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幸せって?

大学1年生の男です。 僕の幸せは小さい時から、 勉強ができて、いい大学、いい企業、 いい給料で働くことが幸せだとずっと思っていましたし、 それを実行しました。 現在は有名大学に通い、そして、公認会計士をめざして 頑張ってます。留学も経験し、それなりに英語ができます。 が、 それって幸せなのか?という問題です。 僕だって、今まで順調に歩んでこれたわけではありません。 高校受験に失敗、大学受験に失敗、英語がうまく話せない。 会計士の勉強もぜんぜんうまくいかない。 で、もしかしたら、会計士に合格することはできないかもしれない。 大企業に就職できないかもしれない。 実際、大企業に行けいない人、会計士に合格できないほうが 大多数でしょう。 で、仮に大企業に行けなくても、それが不幸せか?ということです。 そう考えたときに、 幸せとはお金持ちになることや、難関大学、難関資格、 大企業に行くことではないと思うのです。 なぜなら、ほとんどの人間はそうじゃないからです。 では、なぜ人間はお金持ちや大企業に就職したがるのでしょうか? 大企業に行けなくとも、幸せなはずです。 お金持ちじゃなく、貧乏でも幸せなはずです。 それをなぜ苦労してまで、求めるのでしょうか? お金持ちになりたいことや大企業に転職したいなどの気持は 自己否定になりませんかね? 例えば、貧乏な人が、お金持ちになりたいとしたら、 貧乏を否定して、お金持ちを肯定することになります。 そしたら、貧乏な人、これから、難関大学をめざす高校生、 医者を目指す医大生、大企業を目指す大学生、 それはすべて、今の自分を否定したところにあると思います。 ということは、お金持ちを目指す人たちは、みな不幸せ。 なぜなら、現在の自分を否定し、まだ実現していない 将来の自分を否定しているからです。 この考えをどう思いますか?

みんなの回答

noname#208384
noname#208384
回答No.8

本格的に就活が始まれば、淡い期待すら感じる余裕すらなくなります。 面接は人物重視のよくわからないキーワードの基、試験されます。 大半の方は何度も就苦戦するので、プライドも何も捨て、自分自身がどんな人間かわかるようになります

回答No.7

自己肯定しすぎると他人を否定することになりません? お金持ちになりたいことや大企業に転職したいなどの気持も自由であるはずです

iowaboy
質問者

お礼

たくさんの回答ありがとうございます。 今後の糧にして頑張りたいと思います。

  • rikutuman
  • ベストアンサー率29% (37/124)
回答No.6

こんにちわ。 全ての人は、それぞれ個人の主観で世の中や物事を捉えています。 幸せと感じる事も、感じられない事も、それぞれの個人次第です。 質問者さんがおかれている現状の立場や目指している事が幸せなのかどうかは、質問者さんにしか答えられません。 なので、自分が目指してきた事柄が幸せなのか?という問いから思考された事全ては、どう思うかと尋ねられても答えかねます。 是非、一人で思いっきり考えて、質問者さんにとっての幸せとは何かをみつけて下さい。

回答No.5

幸せの価値観は人それぞれです。 お金があるのが幸せな人もいるし、無くても幸せを感じる人jもいる。 仕事でも、他のことでもそうですね。 ただ、だからと言って大企業やお金持ちを目指す人が自己否定ということになりません。 自己否定ではなく、現状の否定ですね。 現状に満足していないから、夢を求め、現状を否定し明るい未来に進むのです。 現状が幸せなら、そのままでも良いでしょう。 選ぶのは自分です。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.4

>なぜ人間はお金持ちや大企業に就職したがるのでしょうか? そうしたら幸せになれる、と希望をたくしているからです。 最近の女性も、結婚して子供を産めば幸せになれる、 と希望を託している人、多いです。 ある精神科医は、金持ちの精神病患者と、金持ちでない精神病患者がいれば、 金持ちを選びます、と答えたそうです。 なぜなら、「お金があれば幸せになれる」という妄想をすでに卒業しているからだ、と言ったそうです。 >お金持ちじゃなく、貧乏でも幸せなはずです。 >それをなぜ苦労してまで、求めるのでしょうか? 「サバイバルへの不安」からの逃避が、行き過ぎた形になっている、と思います。 本来、衣食住足りれば事足りるはずです。 進んだ社会になれば、基本的な衣食住は、無料の義務教育のように、受けられるものになると思います。 農業を始めとした現代の技術は、 人々の基本的な衣食住をむだなく満たすためなら、 それほどたくさんの人が毎日毎日働かなくても、もうやっていけるのではないかと思います。 今のお金のシステムは、拡大し続けなければ存続できないしくみなので、 いずれ崩壊するとしか思えません。 わたしは、「仕事」というものは、その仕事の必要性が小さくなっていくことが、究極の最終目標だと思っています。 とくに、警察とか、政治家とか、医者とか。 もちろん、今すぐではなく、まだ遠い話ですが・・。 >貧乏な人が、お金持ちになりたいとしたら、 >貧乏を否定して、お金持ちを肯定することになります。 そういう人生の時期も、あっていいと思います。 お金持ちになっても幸せとは限らない、と自分のプロセスで学ぶ時期があると思います。 >お金持ちを目指す人たちは、みな不幸せ。 >なぜなら、現在の自分を否定し、まだ実現していない 自分が幸せになるのを、何か条件をつけて先延ばしにしている人は多いものです。 その条件をすべて満たすか、取り払わない限り、幸せになることを自分自身に禁止しています。 欲するものを手に入れたとしても、 今度はそれを失う不安が募る場合が多いです。 それを考えたら、多くを手にいれてそれに執着するよりも、 足りる程度のものを持っていればそれでよし、と思います。 執着は少ない方がいい、そう思います。 幸せというのは、感謝したり喜んだりする自分の気持ちだと思います。 現代人は、いろいろなことを思い通りに出来る代わりに、 何でも当たり前に思って、感謝や喜びは結局減っているそうです。 日常の、ささやかなことに感謝できると、本当に幸せです。 無理に感謝するのではないです。 心を掃除して、まっすぐに見つめていると、 心の底からわいてくるんです。感謝の気持ちが。 自分が清らかな存在である、と感じて、 失うことも、誰も不幸にすることのない、絶対的・恒久的な幸せです。 足るを知ること、そういうことから始まった気がします・・私の場合・・ 衣食住が足りるだけで、結構幸せを感じます。 多分、一度、どん底・死に直面した時期があったため、 何に対しても、当たり前、という気がしないからだと思います。 この世のものは、すべて借り物です。この体さえも。 希望というか・・野望が、いい意味で消えました。 いまの自分に満足で、これからの自分も、楽しみです。 進歩していく、というより、本来の自分に帰っていく旅をしている感じがあります。 外側の世界をコントロールできる力ではなく、 内側の世界にまず直面する勇気、それが私に幸せをくれました。 本当の幸せは、いつも、いま、ここでだけ見つかる、そう思います。

noname#203300
noname#203300
回答No.3

 誰だったか忘れましたが、むか~し大学時代に哲学でやりましたね。  『人間は自己を否定するために生きている。学生は学生でなくなるために学生をやっている。』って。『じゃぁ、パン屋はパン屋でなくなるためにパン屋をやっているのか?プロレタリアはブルジョアになるためにプロレタリアをやっているのか?』なんてツッコミを入れたことを覚えています。  でも、現在の自分の全てに満足したら進歩は無いでしょう。自分自身のある部分を否定し、それを変えようとすることは大切だと思いますよ。  まぁ、正直言って私の場合、もう否定すること自体“億劫”になっちゃってますが・・・ > お金持ちを目指す人たちは、みな不幸せ。  不幸せと金の有る無しは必ずしも関係するとも思えませんが、少なくとも、『お金持ちを目指す人』が今の自分の経済状態に満足していないことは確かでしょう。  ただ、100%今の自分に満足していなくとも『幸せ』を感じることは出来ますよ。否定するべきところがあっても“億劫”で受け入れてしまっている私も『幸せ』なんですからね。  貴方からみると、『どうしようもない60男』って思いませんか?それが“若さ”でしょう。そう思って頂ければ、日本の将来も“捨てたモンじゃない?”

  • peruna
  • ベストアンサー率34% (39/112)
回答No.2

どんな状況にあろうと、例え余命幾ばくもなくとも 充足できれば幸せなのではないでしょうか。 何かがなければ幸せになれないという考え方をしている限り 本当の意味での幸せを感じる事はできません。 何かを成そうと、懸命に努力し、苦労を重ね、いろいろな事を我慢して、やっとそれが叶ったところで、その喜びは一瞬です。 しかも、今度はそれを失う恐れに悩まされる事になる・・・ 世俗な幸福をすべて否定するわけではありませんが それによって得られた刹那的な満足感で本当の幸福感を得られたと いえるのでしょうか? 沢山のお金を求めたり、人の羨むような職業につきたいと 考えるのは人から認められたい、安心したいと いう欲求からくるものでしょう。 社会に貢献する事は大切な事ですが、 それと幸せとはまた別の問題です。 心の安らぎ、安寧を得る為には どうすればいいのか・・・ その答えを求め、実践してゆく道を探すのも人生の醍醐味です。 安易に得られる答えにはそれなりの価値しかありせんしね。 楽しみましょう。

noname#110920
noname#110920
回答No.1

有名大学に入ったり、大企業に入ったり、公認会計士になるなど、あなたのおっしゃておりますことは、私には、幸せを実現するための、手段のように思われます。 また、金持ちや貧乏などの価値観は、あくまで他律的な価値観です。 例をあげますと、コーヒーに、カフェオレやカフェラテ、モカなどの種類が何もなく、ブラックコーヒーしかないとしましょう。 そうしますと、わざわざ呼び分ける必要などなく、単にコーヒーと呼べば、すみます。 まあ、勉強にしろスポーツにしろ、今までの方法を改めるということは、確かにあります。 ただ、それは、自分の行動の積み重ねによって成り立つのだと、私は思います。 ようするに、ある限定した事柄において、自分の考えや行動を改めるということでしょうか。 そうそう(笑)、肝心の幸せについてですが、一人でいて幸せならば人に尋ねる必要は無いのだし、一緒に幸せになりたい人が見つかるようでしたら、性急に答えを求めずに、ゆっくり考えてくだされ。

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