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質問に沿わないおせっかい回答について
たとえば、アンケートカテに 「みなさんは人から「臭い」といわれたことがありますか?自分でもわかりますか?」 というような質問があったとしましょう(例がよくありませんがあくまで仮定です) そのとき、 「あります」 「ありません」 が答えの要件で、それに尾ひれをつけるかつけないかが回答者の自由だと思うのですが、中には要件がまったくなく 「におい消しの香水があります、気になるならつけたらどうでしょう」 というようなパターンのものがあります。 これは失礼ではないでしょうか。というか、なぜこういう思考方法をするのでしょう? 「質問者がこういう質問をする→すなわち質問者本人の気に病んでいること」 という、なにか人を馬鹿にするような思考法というのが垣間見れる気がして非常に不愉快な言動に思える。 よくなくないですか?
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一読させていただいて、まず最初に感じられたのは、ちょっとネガティブに捉えがちな傾向をお持ちなのか、あるいは、ひょっとして、回答者を煽る効果をも狙って、敢えて、このように極端なキライのある書き方をなさってるのかな?ということ。 もしも、日常から、物事の端々で何かとネガティブに捉えがちな傾向性がおありのようだとすれば、いろいろ鬱屈した思いに捕われ、疲れやすくなっちゃうんじゃないかな?と、これこのように! おせっかいな回答になってしまいますね。(苦笑) もちろん、こういうのが行き過ぎたり、それどころか、てんで的外れな「おせっかい」になるようだと、はっきり言って、迷惑以外の何物でもなくなりますね。 わたしとしては、それでも、悪気や何かの圧力が感じられないかぎり、けっして疎ましいなどといった感情はないほうですけど。 ただ、人間どうしの遣り取りですから、 「あなたは、一見むだ、冗長と思えるようなことのなかから、思わぬ宝が拾えることもあるということを考えたことはないのですか」とか、 最初から質問文に明記しとけよというならば、 「イエスかノーか二択返答以外は不要につき」などと、それこそ「木で鼻を括ったような断りを入れると、それはそれこそ、「尾ひれをつけるかつけないか回答者の自由だ」、 質問者が、そのように注文つけるとはケシカラン、 どのような回答の仕方であっても受け入れるべしである、とかまあ、どうやったって、大概の場合、何か言ってくる人はいますでしょうね。 さて、ここは、何をやる所かというと、基本的にQ&A用サイトですから、その目的での利用が果たせないのでは本来ではありませんので、「二択で!」と切り口上みたいに言ったせいで、かえってバッシングという、あり得る事態を避けるために、 「わたし自身が、個人的に困っているわけではありませんので、これの対処法などについては、今回お聞きしておりません」とでも念押ししておきますかね。 たしかに、いらぬ気を回し過ぎたために、相手側として持て余したり、迷惑になってしまったりすることもありますし、もとは親切のつもりが、それこそ、失礼レベルになってしまうことや、極端には、争い事に発展することすらあり得ます。 あまりに気を利かすのも、度が過ぎるほどの人でしたら、むしろ心配性に近い面があるのではないかと思われますし、そっちの方が、かえってネガティブな傾向性なのかもしれません。 それと、やはり、先入観や、何らかの原因で普段からの意識の強さがある場合ほど、電光石火の如き反応に結び付く、ということも言えるでしょうね。 ただ、日本人には多いのかもしれないけど、人が何か言ったら、表面だけで、あるいは、ご希望のような「二択」的応答で済ませるというのは、すでに、ここでも、ご指摘が出てるようですが、「木で鼻を括ったような」と形容され、いい年の大人らしくもない気の利かなさ、として批判されることもありますね。 つまり、人の発言、裏の裏まで読んで、先回りするくらいの気を利かせられるんでなくっちゃ、賢いオトナとは言えない、と言いたいらしいのですね。わたしなんか、もともと、これが大の苦手なんですけどね。 とまあ、さっそく尾ひれだらけの回答になっちまって、失礼しました。
その他の回答 (11)
「便所の落書き」をいちいち真に受けていても仕方ないです。 私もいくつか「オレ様ルール」を持っており、他人もこのルールに従って欲しいと希望していますけど、それは海岸で砂山を築くような物で、一晩たったら波に洗われ消えてしまう、そういう物ですから、意に沿わない回答が付けばスルーしかないのではないでしょうか。 人間の思考は千差万別、あなたとは思考回路が違う人間はいくらでもいて、どこかで折り合うしかないです。 私もたとえば「音痴は自分でも分りますか?」という質問をした場合、「音痴でも上手に歌える方法があります。」と書かれても、私自身家族に音痴と言われていますけど、多少外れるだけで音痴という自覚は全くなく、実際問題、風呂や車の中で気分良く鼻歌を歌うだけで、他人に聴かせる気も無ければ、仮に音痴が事実としても治す気も無いです、単に家族が音痴だというので、当人はそうは思っていないので、一般論として音痴の人は音痴を自覚できるかどうかを知りたいだけで、治し方など知りたくもないです。 治し方を回答されても何の役にも立たないので、スルーするかありきたりのお礼を書くしかないです。
お礼
音痴の例は実に的確ですね。 基本はやはりあると思いますよ。 よく文章を読み、どこが質問形式なのか、何を答えればそのやり取りが成立するのか、と言うことを読み取り実行すると言う、一種の国語力でしょうね。「国語力」これで80パーセントは決まると思いますね。それができない人間がかなりいる。意識の上で尊大なのと、実際の国語能力がないこと。その相乗効果なんじゃないでしょうかね。
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お礼
これはすばらしいご回答ですね!感謝感激です。 ネガティブ思考というのはおそらく私にあるでしょう。でもなんというか、正確さというものを尊重したい!という、強い意志もあると言うことを付け加えさせていただきましょう。 何を聞きたいのか?ということを把握もしないで回答らしきものを得意げに書くのは失礼だ、ということです。「質問」を軽く考えているからですね。質問文から何が疑問なのか、WHO HOW WHERE WHEN WHATは何々か?それを把握しようとするか?極端に言えば 質問者の下僕になる覚悟があるか? と言うところに行き着くだろうと思います。 YES OR NOをまず答えよといっているのに、どうしてもそれ以外のことを答えたい!というのは不遜以外の何者でもない。 >質問者が、そのように注文つけるとはケシカラン、 どのような回答の仕方であっても受け入れるべしである、とかまあ、どうやったって、大概の場合、何か言ってくる人はいますでしょうね。 こういう感覚がまかり通ることになる。 要は、尾ひれをつけるのは勝手で、場合によってはうれしいが、それにはまず条件を満たせ!という大原則が軽く考えられているようですね。