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チリ地震で何故三陸海岸に津波が

チリ地震 「地震発生から22時間余り後の5月24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現・南三陸町)では41名が死亡。一方で度重なる津波被害を受けた田老町(現在の宮古市)では高さ10メートルの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E5%9C%B0%E9%9C%87 チリ地震で発生した津波が日本に襲来しますが、 どうして三陸海岸沿岸中心に襲来したのでしょうか? 海底の地形の関係でしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • no009
  • ベストアンサー率40% (109/269)
回答No.3

一般的にエネルギーは同じように伝わります。 どうして三陸海岸での被害が大きかったかというと、 リアス式海岸だったからです。 ネット検索「リアス式海岸 津波」で多く引っかかりますが、・・・。 入り組んだ湾の入り口は広くてしかも深い。でも、湾の奥は狭くて浅くなります。虫眼鏡で光を集めると、紙が燃やせるのと同じように、エネルギーが集められ、湾外で数十センチの津波が、奥に行くほど何倍もの高さになります。 リアス式海岸は、日本のあちこちにもありますが、海岸の長さが長い分だけ、被害も大きくなったのです。 九十九里のような砂浜とは違い、リアス式海岸では津波のたびに、昔から被害が出ています。宮古市の市民は、天災を忘れなかったのですね。

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  • nananotanu
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回答No.2

太平洋の地形が、丁度凸レンズの働きをした、と聞いたことがあるような気がします。詳しい方がおられましたら、フォローしてください。

  • yyuki1
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回答No.1

三陸海岸沿岸がチリ地震を起因として発生した津波の進行方向(伝播角)に対して正面だったからです。 チリ地震の津波は北海道から沖縄までの日本の全土すべての太平洋岸の地域に被害をもたらしました。 当然日本だけではなくて、カナダからオーストラリアに至る太平洋岸全域に津波が到達しましたが、他の国では津波の高さが1.5~2.5メートル前後だったのに対して、津波の進行方向正面に位置していた日本では3メートル以上の津波に襲われ、その中でも真正面に位置していた三陸沿岸では8メートルの津波になった。 正面から津波が来た事と海底の地形の兼ね合いが大きいと思います、ハワイもこの津波をほぼ正面から食らって61人の犠牲者を出していますが、海底の地形の影響を受けないハワイでの津波の高さは3.0メートルだったらしいです。 この地域の人的被害が大きかった理由は、日本の中でも一番大きな津波が来た為である事は間違い有りませんが、当時のこの地域の人々の記憶に新しかった昭和三陸津波の被害が小さかった事が、第一波の後の非難行動を遅らせた為である可能性も有ると言われているようです。 チリ地震は地震の大きさと津波の規模の割りには被害は少なかった部類の地震らしくて、同じ様な規模の地震でも22万人もの犠牲者が出たスマトラ地震とは比べ物にならないくらい被害は少なかったようです。 (沿岸に住んでいる人の数も50年前とではずいぶん違ったからという事も有るとは思いますが) 沖縄の山の中腹の海抜80メートルの所に津波によって削られた痕跡が残っているらしいですが、この時の津波の高さは30~35メートル位であったと推定されるとの事です。 いったいどんな凄い地震が引き起こした津波だったのでしょうかね。

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