• 締切済み

私は耳が聞こえる人になれますか??

私は中2で、聴覚障害を持っています。 高度~重度の感音性難聴で、聴力が85~105dBくらいです。 障害手帳2級です。 先天性ではなく、後天性で音を聞いた経験はあります。 しかし1歳で聞こえなくなったので、経験はあるけれど記憶には殆ど残っていない状態です。 そういう状態なんですが、将来の医学で、耳が聞こえる人になれる可能性はありますか?? それと、先天性難聴の場合、将来の医学でも無効で、一生治ることはないと聞きましたが 本当ですか??

みんなの回答

  • Microstar
  • ベストアンサー率21% (289/1367)
回答No.5

50代の聴覚障害者です。しかも男性です。 質問文を読んで気になったので、もしもという仮定で書きます。 >将来の医学で、耳が聞こえる人になれる可能性はありますか?? 結論から言いますと、仮に急に健聴者と同じ音の世界に戻れても、人の話がわかるようになるか?というと無理でしょう。うるさいだけになります。 何故無理かというと、人の話がわかるようになるのは、乳幼児期に言葉と音声との関連付けを結びつけながら自然と身につけていくようです。子育てをしながら、何故そうなのと整理してみると、よくわかります。 つまり、音声としての「あ」が耳に入ってくると、人間の脳が蓄積している「あ」の音声パターンを引用して、「あ」として認識できるようになるのです。その上脳の中にある言語データベースみたいなところから言葉を照らし合わせながら、言いたいことを認識できるようになるのです。 それができていないと、音声は聞こえても何をいっているのかさっぱり分からない状態に陥ってしまうのです。 補聴器をかけても、それなりの訓練をしてきていないと、音声として認識しづらいです。 人工内耳も同じです。私はしていませんが。 >私は聾学校に通っているので色んな聴覚障害者の方を知っています。 ですが私は自分の障害を肯定し、手話を取り入れてる人達を見てると 「はぁ。バカだなあ。。将来、仕事で健聴者と関わるんだろ??だったら手話より口話の方がいいんじゃないの?」ぐらいしか思えませんね。 逆にイライラしますよ? それよりも、自分は聴覚障害者としてどう生きるか、考えた方がいいですよ。 私も前ろう学校(含:幼稚部)に7年間いたので、質問者の気持ちはよくわかります。同じ気持ちを持ったことがあります。 しかし、社会に出て、一生懸命生きている方が多くおられるのを知り、 間違いだと恥ずかしく思った程です。 生きていく上で職種も社会活動も制約が多いかもしれませんが、悲観的に考えるよりも私はこれができる!という自信を持って言えるのを1つ、2つ持った方がいいですよ。自分の生きる道が見えてきますよ。

  • maronaji
  • ベストアンサー率48% (62/127)
回答No.4

お返事ありがとうございます。 「聴覚障害者は絶対に幸せになれない」のですね。 幸せになれない、生まれ持った運命なのでしょうか? とても悲しい話ですね。 手話の良し悪しはおいておいて、 しゃべれば幸せ・健聴者ならハッピー!という図式が 私にはまだ理解できていません。まだまだ勉強不足です。 もっと理解できるよう努めていこう!と思いました。 sky_1218さんはきれいごとではない、もっともっと リアルな世界で葛藤がおありなのだとお察しします。 ヘレンケラーはこう答えたそうです。 「社会的障害。これが私を苦しめる最大の障害です」 sky_1218さんは幸せになれますように! そう信じています。応援しています。

sky_1218
質問者

補足

そうですね… 悲しい話ですね。 でも私はそう思います。 聾学校での生活なら幸せに感じるのかもしれません。 しかしどうなんでしょう? いざ健聴者ばかり居る職場に就いたら…。 きっとそのときは苦しむはずです。 一生そういう苦しみと闘わなきゃいけないんですよね。 だから幸せになれない。私はそう感じています。 いえ… 勉強とか関係ありません。 私の考えですので、もし理解出来ないのであれば、無理矢理理解しよう としなくてもいいです。 えぇ。 高熱を出したせいで耳を奪われて… あれから何も楽しい思い出がありませんね。 高熱を出さなければ、楽しい思い出だって沢山作れてたはずなのに… 正直悔しいです。 そうですか~。 そう答えていましたか。 ありがとうございます。 恐らく幸せになれないと思いますがね;笑

  • maronaji
  • ベストアンサー率48% (62/127)
回答No.3

こんにちは。 私は聴覚障害者と共に歩んでいく!と決めた者です。 医学の力をつかれば、聞こえるようになるようです。 しかし、健聴者と同じにはなりません。 希望は捨ててはいけません。 しかし現実も見定めなければなりません。 現実とはなにか? たとえ耳が聞こえなくても幸せに生きている方はたくさんいます。 聞こえないことは不幸で、耳が聞こえると幸せ。 という公式をもっている方が世の中にいるのは仕方ないことです。 でも、これは勘違いだと思います。 記者はヘレンケラーに聞きました。 「聞こえない、話せない、見えないの三重苦のあなたにとって  一番つらい障害は何ですか?」 ヘレンケラーはなんと答えたでしょう。 じっくり考えてみてください♪ ただ、私は耳が聞こえるので、すべてを理解することができていないと思います。 一度、地元のろう協をたずねてみてはいかがでしょう? 現在全国で「ゆずり葉」という映画を上映しているので 見てみると何かつかめるかもしれませんよ。 おすすめです。

参考URL:
http://www.jfd.or.jp/movie/
sky_1218
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 では…医学の力で治すことができても健聴者にはなれないということですか?? 一応自分が聴覚障害者で、又は言語障害も出てるということは分かっています。 しかし…この際だからそう言っときます。 正直、そういう自分を肯定し、積極的に手話を取り入れながら楽しく 人とコミュニケショーンを取っているなんて全然想像したくもないんですよ。 逆に健聴者になって楽しそうに口でペラペラと話している自分が 絶対いいんですよ。 だから貴方が言ってることが理解出来ません。 それとヘレンケラーの件ですが… 「全部。高熱のせいで全部奪われてしまったんだ。憎い。」 そう言ったんじゃありませんか?? 私自身もそうです。 1歳の時に高熱で失聴しました。 そのせいで一生は台無しになりました。 高熱を出さなければ、今の私は、健聴者として 人と楽しくコミュニケショーンをとっていたんだろうね。 はぁ。正直憎んでいます。 私を産むなら最初から健聴者か聴覚障害者かはっきりと決めてほしかったな。 ゆずり葉ねぇ。 友達の勧めで見に行きました。 だけど感想は「あら~可哀想。意味不明。」ぐらいですね。 何も感じません。 ところで話題を変えます。 私は聾学校に通っているので色んな聴覚障害者の方を知っています。 ですが私は自分の障害を肯定し、手話を取り入れてる人達を見てると 「はぁ。バカだなあ。。将来、仕事で健聴者と関わるんだろ??だったら手話より口話の方がいいんじゃないの?」ぐらいしか思えませんね。 逆にイライラしますよ? だから健聴者になるまでずっと我慢します。 だって聴覚障害者は絶対に幸せになれないんですから^-^

  • USB99
  • ベストアンサー率53% (2222/4131)
回答No.2

感音性難聴でも適応があれば、日本でも人工"内耳"の手術はしていますよ。 先天性の場合でも後天的でも、どのレベルで難聴となっているのかで適応があるかどうかが決まります。

参考URL:
http://www2u.biglobe.ne.jp/~momo1/sub1/new_sub/ozawa021104.htm
  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.1

希望は捨てちゃだめだよ。 実際に、日本ではあまりメジャーではないけど、アメリカなどでは「人工外耳」というものがあって、手術者も多い。 まぁ、技術的にはまだまだというところもあるし、煩わしいと感じる人も多いみたいだけどね。 先天性で脳の組織が破壊されているなり、最初から欠損している場合は難しいと思うけど、それでも技術は進歩するし、希望が無いわけじゃない。 まだ十代なんだから、人生先が長い。 いくらでも経験しなきゃいけないことが、それこそ「山積み」なんだ!。 楽しいこともあるし、大変なこともあるけど、みんな血になり肉になることばかり。 「いい仲間」を見つけるようにしてね。 …人生の可能性は障害なんかじゃ止まらないんだよ!

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