• 締切済み

自信をなくしたときどうしますか?

こんばんわ。 今研究の仕事をしていますが、自信をなくしてきています。 10数年前のことを持ち出して何言ってんの?といわれそうですが、高校生の途中までは学内でもトップで、模試でも東大は合格ラインでした。しかし、それで調子に乗ってしまい勉強をおろそかにしたため、某中堅レベルの大学に二浪して入った始末です。 やはり成績の良かった頃は自分に自信を持っていました。堂々としていました。でも最近は、自信がなく、おどおどしています。そんな自分が嫌で勉強して知識を身につけようとしているのですが、なぜか怖くて先に進めません。もうどう頑張っても自信がもてるくらいにまでなれないんじゃないか、という恐れがあります。正面からそれに向き合わないとと思ってやってみても、すぐに忘れたりして自己嫌悪に陥ります。「自分はできるんだから。びくびくしてるけど、さぼりさえしなければこんなことにならなかった。」と自分に言い聞かせてもやっぱりだめです。 学生時代より記憶力とかが落ちているからだとは思うのですが、このままでは、おどおどしたまま、仕事も中途半端なまま終わりそうです。自信をなくしたときって、どうやって取り戻しますか?克服しますか?色々本を読んだりしてますが、あの挫折した感を感じてから、どうも歯車がくるって本調子でないような気がして仕方ありません。

みんなの回答

回答No.5

こんな考え方もあるんだなぁ~っという感覚で読んでみてください。 意識のベクトルを必死に自信をつける方向に向かしても、 無意識が同じ方向を向いていないと、上手くいかないんです。 そこで2,3年後に、自信が持てるようになっていると仮定して、 どんなものが見えているのか? どんな声や物音が聞こえるのか? どんな感覚がするのか? 五感をフルに使って、味わってください。 これを繰り返すと、無意識のベクトルが自信をもっている方向に向き始めますので、 意識と無意識のベクトルの方向が自信を持つに変わると、 自信が持てるようになります。 色々本を読まれたので、この手のイメージトレーニングも、 すでに知ってらっしゃるかもしれません。 そこで付けたし情報なんですが、 これはあなたが自信を失った方法と同じなんです。 挫折感を味わったときに、その感覚が体に染み渡った事で、 無意識のベクトルが自信が持てない方向になってしまったから、 今度は自信を持てるようになった未来の自分の感覚を 体に染み渡らせることによって 無意識のベクトルを自信が持てる方向へと変化させるんです。 なんで未来?という事なんですが、 それは意識には、過去、現在、未来という時制が存在します。 そして未来に関しては、白紙ですから、 自分で好き勝手に想像する事ができますよね。 だから「もし自信がもてるようになったら...」と考えるんです。 そして無意識には過去も未来もなくて、現在しかありません。 つまり意識では未来ですが、無意識には現在となります。 無意識では今、自信が持てているという風になるんです。 これを繰り返すことによって、無意識的に今現在自分は自信を持っているという方向へ向かせることができるんです。 これが上に書いたイメージトレーニングの狙いなんです。 だからこそ未来の自信を持った感覚を体に染み渡らせる事がポイントです。 仮に失敗したときは、五感を通して染み渡ってないからです。 難点は、ある程度上手くいきだしても、 変化が起こってないと感じることなんです。 これは体に感覚として染み渡ったように、 変化が起こるのも感覚や無意識的動作に現われますので、 意識で気づきにくいんです。 本当は何か無意識のエキスパートの方と一緒にやるのが ベストなのですが、 一人でもできないことはありませんのでここに書かせていただきました。 自信が持てるようになって、歯車が合いだしたら良いですね。

chris_1999
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼が遅くなってしまってすみません。 なるほど!この仕事についた頃は、結構いい感じだったんです。もう毎日がいきいきしてました。でも、問題が重なってきて、また意気消沈。今の状態に戻って、あぁなんでこうなったんだろう。あそこで手をぬいたからだぁ~と負のスパイラルに陥って、今この状況です。 最初の頃って、結構自信を回復したと思ってたんですよね。何かよくわからない自信があって。。 これ、やってみます!何で自分はこうなんだ、って考えてるよりもよっぽどいいですしね。ありがとうございました。

  • mayupiyo
  • ベストアンサー率28% (44/156)
回答No.4

 自分の物差しを、他人や目に見えるものではかるからです。  自分がどういうときに満足だと感じて、どういうときに落ち込むのか。  何をしてるときが楽しいか、嫌いなことは何か。  手帳に日記のような簡単なものをつけることから始めるといいのかもしれません。そして段々に、上記のようなことを付け加えて書くといいでしょう。  人に恵まれない、認めてもらえないから虚しいのでは??  自分で自分を認めていた気がする学生時代は、見やすい物差しがあったからです。今はそれを見失ってしまってるのかも・・・。  癖をつけるんです、自分をもっと見つめる。他人は関係ないですよ。そうしたら虚しさなんて感じない、自分にとって居心地のいいものに出会えるはずです。  お仕事に見栄えはいらないです。やりたいことをやれたら最高、毎日心地よく疲れられたらもっと最高ですね。

chris_1999
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうなんですよね!人に恵まれない、認めてもらえない。だから今こういう状況なんだと思います。だから認めてもらおうと思ってあがいているんだと思います。 上司に報告したときや学会発表でいいレスポンスがあると満足ですね。こんなことして何の意味があるの?といわれるとへこみます。まさに認めてほしいってことですよね。 なんか自分のものさしで図っていると、自己満足で終わってしまいそうな気がして、他の人がどう思うかということが気になってしまいます。 もっと大人にならないといけないのかもしれませんね。仕事が研究なので、認めてもらわないと意味がない!という気持ちが強くなってしまうのかもしれません。 なかなか難しいですが、自分を見つめてみます、ちょっとこわいですが・・

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.3

僕の兄弟、従兄弟を見ると、医者、薬剤師、大学教授、30代にして中堅企業の取締役、東大卒、阪大卒と目白押しです。そこに持ってきて僕は… 僕は、中途障害者です。交通事故に小六のころ遭いましたが、右手足、言語の機能に麻痺が残りました。 それからは、戦いの毎日でした。どうすれば、以前の健康な身体に近付けるか?ちょうどリハビリがうたわれだしたころだったので、リハビリすればやがては治るんだ、と信じていました。 しかし、現実には… どうしてもあるレベル以上には治りませんでした。それではどうすればよいか?自分の今できることを、自分のペースで、自分なりに工夫してやればよい。そして、自分なりに満足することです。 今、僕は小学校の用務員をしています。仕事は、木の剪定、草刈、ペンキ塗り、ワックスがけ、便所掃除から、種々雑多です。一つ一つの仕事について、身体が不自由でもできるようなやり方を自分で考え、やっています。身体が不自由でもこんだけできる、というのは、僕の自信になっています。 従兄弟兄弟に比べればはるかに劣るけど、まあ俺かって事故に遭わなかったらこうなれたんだよ、と軽く考えています。 何年前か知りませんが、貴方も確実に老いているのだから、今になって、成績の良かったころの自分に戻ろうとしても無理でしょうね。だから貴方も、自分のできることを自分のペースで自分なりにやり、自分が満足することです。些細なことでも、自分のできることが見えてくると、自信につながるでしょう。

chris_1999
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 辛い経験をなさったんですね。 自分が、自分に負けてぐたぐた言ってることが恥ずかしくなりました。 やっぱり、楽したんだから、良かった頃の自分に帰り咲きたいなんて虫が良すぎますね。戻れるくらいの努力すら、自己嫌悪だとか怖いとか言ってしてないわけですからね(泣)欲張りなのかなぁ。 今自分のできることを、自分のペースで、工夫してやる。(一番私にかけてる)自分なりに満足することを目指してみます。回答者様がやってこられたことですよね・・がんばります。ありがとうございました。

  • hasiru750
  • ベストアンサー率13% (64/490)
回答No.2

>自信をなくしたときどうしますか? 親しい人にグダグダダラダラ愚痴っちゃいます。 それで適当に慰めてもらって愚痴の相槌をうってもらってスッキリします。

chris_1999
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 あまり人に愚痴っちゃいけないかなと思ってしまって・・ 勇気を出して愚痴ってみます。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

身軽だった頃は旅に出ていましたね。今は日帰りで海を見に行ったり、何か人の役に立つことをしてみたりしています。ゴミ拾いとかね。 ただ、学生時代の挫折に関してのコツは、「良かった時の自分が良すぎたのだ」と気づくことですよねえ。まだ(高校生のように)子供で、自分を取り巻くものも(東大合格レベルとはいえ)単純で、世の中も甘やかしてくれていた時には、わりと楽に目標を達成できるのですよ。けれども、その先にある壁を乗り越えられないのは、「自分の力がなくなった」からではなく、単に「もともと自分にそこまでの力がなかった」からなわけで、裏を返せば「自分は人並み」だったわけです。その人並みの自分に気づくと、わりと前進しやすくなったりしますけどねえ。 仕事も中途半端でいいじゃないですか。誰かの役に立っていれば。その役に立つ自分を探しに行ってみては?

chris_1999
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 若い頃は一人旅にふらふら出かけていましたが、最近は億劫になってしまいました・・・ 「良かったときの自分が良すぎた」のでしょうか。確かに、高校一年生までは、周りからもほめられ、ちやほやされ。それでもストイックに頑張っていました。でも、あまりにすごいねとか言われているうちに調子にのってしまったんですよね。確かに、その先にある壁を乗り越えられないのは自分にそこまでの力がなかったということですよね。あのときに維持しておけばよかったです。さみしいです。 研究をするうえでは中途半端ではいけないかなぁと思って、勉強→あぁ~自分ってだめだぁ~→昔並みに戻りたい(遠い目)→勉強の悪循環です。