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修士論文の指摘の受け止め方
修士論文の研究計画書の文章が稚拙だったため,指摘を受けました。この指摘に対して,私も納得し,指導教官の指摘を受け入れ,特に反論しなかったのですが,その態度のため,相手から「反論しないほどの意見がないのか」と言われ,ますます意見を言いませんでした。結局「自分の取り組む姿勢が甘かった」と伝えると,相手に通じたようでした。 その後に,「あなたは,いろいろ知りすぎているから,研究が進まない」など,修士論文の内容以外の部分を言われ,かなり落ち込みました。 研究に関しては,できるだけ積極的にフィールドワークに出ています。 また,修士論文に関しては,指導教官と共通理解をして,進めてきています。 今回の指摘については納得しているのですが,それ以外の指導教官からの言葉で落ち込んでしまいました。 修士論文に取り組みたいと頭では思っているのですが,心が追い付かず,やる気がでません。 どう乗り越えたらいいでしょうか。
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いえ、恐らくですが、勉強された以上のことが出てきていない、子供っぽい、大学生っぽい言葉遣いになっていたんだろうと思います。その教官はものすごく、熟練の方で、人を育てるプロだと思います。信じて付いていってください。 「自分の取り組む…」と言ってしまってはだめなんです。人生の先輩に、言い返す、怒るくらいでなければだめなんです。自分を否定するのではなく、「こうなんです! こういうことを言いたかったんです!」と主張しなければだめなんです。特に若い人は。自分という、殻を破ってください。普通、言われっぱなしだと、怒ります、人は。そうすることで、小さな自分の殻を破り、先輩と初めて対峙できる。 例えとして、プロレスがあります。若手のプロレスラーは、経験を積んで、実力をつけて、先輩レスラーに勝っていかないといけないんです。世代交代を実現するために。それは、先輩の胸を借りて、プロレスを教えてもらってるんだ、という謙虚な心です。先輩にはむかう、とかではなく、正々堂々と、先輩を超えていく。でないと、その若手が後に、プロレス業界を背負っていくことになるわけですから、それは先輩も手加減なしで、若手とするわけです。 話がとんちんかんかもしれませんが、どうか、言葉を丁寧に並べるのではなく、自分の言葉を持ってください。言葉を知っている、というところから、使い方を覚える、という方向に進んでください。喜怒哀楽という、人間の感情の出し方を覚えてください。言われて黙るようでは生きていけないんです。多少でも、自分の言葉で反論してください。もちろん、会っているときに。メールなどで怒るのは卑怯ですから。 教わるだけではだめ。
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指導教官としてではなく、普通のおっさん(お姉さん、兄ちゃんかもしれませんが)としての一面が出てしまったのかもしれませんね。 教育と欲求不満を混合しての指摘は、私自身受け入れる事が出来ないので、勝手ながら質問者様の心中御察し致します。 指導教官と気持ちの面で距離を置いてはいかがでしょう? 相手の指摘が論理的に破綻していても、”普通の人だし、そんなものかも” 認めてくれなくても”論文が良ければ研究成果は他の人に伝わる” と、指導教官の目線を飛び越した視点で研究に向かうのが良いのかな、と感じました。 あと、指導教官の癖というのも、今回の経験で理解出来たでしょうから、 起こりうるトラブルを予測して、研究の腰を折られないようにした方が良いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 指導教官との気持ちの距離,って大事ですね。 あと,起こりうるトラブルを予測するのも,必要ですね。 ただ,「予測する」って,自分は,苦手で・・・。 特に,焦って行動すると,失敗する例が多いかなと。 できれば,常に,冷静に行動したいです。
- domaine-espoir
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こんにちは。 自分の経験談を材料に回答しますね。 結論から言うと、 「自分の気持ち(怒りや探究心)は、この程度? いや、違う。 人に、自分の議論を十二分に伝えたい。 じゃあ、どうすればいい? ・・・ ・・・・・・ まだ、全然、余地があるじゃないか… これ、やろう、 とりあえず、全部 まとめた・・・ 全部し終えた。。。 そこから得たエキスは・・・? これだ・・・。。。。。。。 これ、大事だ・・。 これ、主張しよう、 言の葉に表そう。」 です。 まず、文章の稚拙さは、最初に出てきやすい点だと思います。 そこで、自分の思いを文字に表すときの怖さを学べます。 でも、それはテクニカルなこと。 いくらでも、ぼかすことを学べます。 ただ一点。 気になるのは、本当に反論しないほどの意見なのか という問いです。 修士論文になると、相手の人は研究者です。 自分の立場は学部生ではありません。 院生です。 院生って、相当な資金も時間もエネルギーも費やしています。 なぜそうするのかというと、この分野に相当な意識がある。 この点です。 いまの狭い日本の会社社会でどう思われようが、 そんなことは知ったことではない。 そんな器用なことは捨てています。 表面的な器用さを捨てないと、院生をやりません。 裏を返すと、やろうとするなら、表面的なものの大半は理解できていきます。 社会の無常さや無情さも。 だからいま感じる疑問の芯が大切だとも理解できます。 そんなそういう相当な意識があるから、 貴重な時間と資金を投げかけているから、 そうそう交流できない上手の人と接することができる。 これは、一生の財産です。 一生です。 そうできるのに、反論できないもの ではいけません。 反論を楽しみにしています、相手は。 断言してもいいと思います。 だからこそ、相手は自分に詰めたことを言うかもしれません。 でも、それは、相手も経験してきたこと。 相手もしたきたんです。 だから、その苦しみを乗り越えて、 あなた”にも”、 ”独自に”、 やり遂げてほしい。 ぜひ、やりましょう。 自分の意気を十二分に乗せた、緻密な論文を目指して。 それから、 幾年か経った自分は、 運よく、時々、指導教官と会えます。 そのたび、そう思います。 その分野は、遠くなったけれど、 でも、残っています。 その時に得た感触から、これからの自分を高めさせる材料を。 よき思い出を作りましょう。 できる機会です。 ぜひ。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね,指導教官と,上手くやっていこうと, 器用にふるまっていたのかもしれません。 けれども,研究内容以外の部分で,指摘されたことを 乗り越えるためには,どうすればいいのでしょうか・・・。 特に,研究がんばろう!だけでは,処理できない感情を どうやって扱っていいのかで,悩んでいます。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
指導教官変えるわけにはいかんの?まあ、この時期、今更変えてもなぁ、とは思うけど。でも、その教官ダメじゃない? 流石にこの人は指導教官としてダメだと思うぜ? だって”反論しない事””納得した事”を注意されても・・・ねぇ?一体どうすりゃ良いのさ?ってなるじゃん。ゴネれば良いの?素直になれば良いの?どっちなの?って。 そうだよ。「じゃあどうすれば良いんですか!?」って言っちゃえば良いんじゃない? こういう人いるよ。ただ文句を言いたいだけの人。グチグチ文句言ってくる。で、段々辻褄が合わなくなってくる。(この教官の場合は、”指摘した”という行動と、それに対して相手が反論しなかったという結果に対して思う事がチグハグになってる。) そういう人には「貴方はこう言いました。ところがその後、こうも言いました。矛盾してるように見えるのですけど、どうすれば良いんですか?」とか言ってやるとヒステリー起こして面白いよ。 そういうの一回見ちゃうと、そいつに何言われても何にも感じなくなるから。 まあ、そうなったらそうなったで、その人は教官として終わりだけどね。下について学んでも仕方がない。どっちにしても師と仰ぐほどの人ではない。
お礼
回答ありがとうございます。 指導教官としてのダメさが,どうしようもない(笑)としても もう少し付き合わないといけないんですよね。 どう距離をとるか,ですかね・・・。
お礼
回答ありがとうございます。 その時は,指導教官も,私からの反論は期待していたと思います。 正直,頭がパニックになって,何もいえなかったです。 研究に関する討議については,後日,修士論文をまとめて 指導教官に持っていこうと,ようやく決意しました。 ただ,その反論をたきつけるために 「あなたは,いろいろ知りすぎているから,研究が進まない」といった, 個人に近いフレーズを言われるのは,お門違いのような気もしています。