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博士課程での「研究適性のなさ」って何?
- 博士課程での「研究適性のなさ」とは、掲載不可コメントを受け止められずに将来を悲観してしまうことや、関心が広すぎて専門分野に集中できないことなどを指す。
- 掲載不可のコメントを受け止める対応策としては、理由を考え、リサーチ不足を反省し、修正の余地のある箇所を見直すことが挙げられる。
- 関心が広すぎる場合は、専門分野の論文や書籍に注力し、趣味の読書との区別をつけることが重要である。
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質問者が選んだベストアンサー
前の質問の回答でも書きましたが、私は「怒り」自体は良いと思います。指導教官や査読者から、研究の穴を指摘された時、もしそれが自分自身の研究なら、自分の子供が非難されているかのような気持ちになって当然だと思います。 ただ、その怒りを研究にフィードバックさせて、穴の無い完璧な研究にできるのか、それとも、単に「むかつく。一生懸命研究したのに・・・」と、なんの原動力にも出来ないのか、そこが研究適正の分かれ道のような気がします。 ちなみに、怒る前に、「偉い先生から言われたから、だめなんだ・・・」と、萎えちゃう人も、あまり研究に向いていない様な気もします。研究者で成功している人たちを見ているとギラギラしている人が多いですから。草食系(?)は向かないのかも。
その他の回答 (3)
ちょっとご質問の趣旨から外れてしまうかも知れませんが、連続してスレを立てて居られるので、論文の採否について一言申します。 私が米国留学中、まあ「一応世界有数」の化学者のボスがこう言っておりました。 「論文の投稿にはpolyticalな方法があるんだよ。どうせ私の出す論文は知り合いの教授連中がレフェリーになるだろう。だからこの論文が誰のところに回りそうか当りを付けて、その知り合いに手稿を送りつけ批評を頼むんだ。その批評にそって直してから投稿すればまあほとんど通るよね。」^^ 世界級の学者でも却下や書き直しは嫌なんです。だから許される範囲でこういう多少「ズル」もするんです。 ましてや白面の書生の場合、知り合いの先輩達の批評を聞きましょう。
お礼
毎度お世話になります。「ズル」の話、私も参考にしようかな(笑) >白面の書生の場合、知り合いの先輩達の批評を聞きましょう これは言えますね。他人の批評を、自身の今後の研究に資するように取り入れていけることは本当に重要です。論文や報告というものの性質上、他者不在であってはいけないというのは、漸く分かるようになりました。 批評や批判を受けて、あたかも自分の研究全体を否定されように感じ てしまったり、研究者としての資質や自分の人間性を攻撃されたように 感じてしまう必要は無い。だから、冷静に、実験や考察を深めていく。 うーん、大切なことですね。
いまいちご質問の趣旨がわかりません。 理系と文系で違うかもしれませんが、一応、理系のスタンスで答えます。 論文が掲載付不可になる理由は様々です。質問者さんは、掲載不可の原因が研究者の資質とお考えのようですが、私はそうは考えません。掲載不可になるのは、はっきり言って研究が駄目だからです。表現方法とか、研究者の資質による部分であれば、修正を求められるだけで不可にはなりません。 ただ、不可になると言っても論文誌のレベルがあります。高いレベルの雑誌は高いレベルが求められ、それに達しないものは不可です。低いレベルで不可になるとすれば、その低いレベルにも達していない駄目な論文と言うことになります。ただし、研究者が駄目というより、研究が駄目なのです。 もしも、自分の論文のレベルに見合わない雑誌に投稿して、掲載不可になり続け、それに対して不満を持っているのだとすれば、勉強不足で自分の研究を客観的に評価できていないか、独りよがりの説を振り回している、あるいは選先行研究を全く知らないなどと言った原因が考えられます。 ただし、いずれの場合にも、不可であればその理由に関するコメントが帰ってくるはずです。それを参考にするのは当然のことです。また、あまりにも下らない内容であれば、それを明確に駄目と書くのははばかられますので、英語が悪い(英文の場合)などというコメントが帰ってくるでしょう。でも、本当は英語も悪いし、内容はさらに悪いということです。 以上、ご質問と関係がないと言っておしかりを受けるかもしれませんが、上記のようなことが、掲載不可に対する私の考えです。 適性云々ということであれば、上でも少し述べましたが、自分の研究を客観的に見れない人には適性はないでしょう。
お礼
おはようございます。 >自分の研究を客観的に評価できていないか、独りよがりの説を振り回している 私は、まさにこういうのを、資質のなさ=適性のなさだと捉えています。でも回答者様は、資質ではなく、勉強不足であることに起因するというお考えですか?つまり、資質と勉強不足は次元が違うのでは?と。
補足
>いまいちご質問の趣旨がわかりません。 奇しくも?以前の質問者の方も同様の指摘を受けていました。私も先の回答者の方に同様の指摘を受けたのですが、こういうことですか?(1)から(3)が混乱していませんか?と。 (1)あなたは、論文掲載が不可になるのはどういうときかを一般論として教えてほしいのか (2)研究適性のなさとは何かを、皆さんなりの具体的な言葉で説明してほしいのか。 (3)あなた自身が掲載不可で悩まされているのか 私の意図は(2)でした。もし、今後も、同様の指摘が来るようでも、あえて、このまま締め切らないでおきます。
- negitoro07
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研究者としての適性は、学会誌なり、正式な媒体に掲載される論文が書けるかどうかです。当然、分野によって、求められるセンスや知識は違います。 たくさん書かれた部分では、何が言いたいのか、いまいちつかめません。 論文を提出してレフリーに批判されば、その点を修正するなり、レフリーの批判が的外れなら言い返すかは、あなたの自由です。ただ、あなたの論文や言い分が適切かどうかは、やはりその分野の人が論文そのものを読まないと分かりません。 そのあたりのセンスを磨きたいなら、あなたも他の人の論文を見習ったり、行き届かない部分を批判して、改善すべき点を考えてみるなどの訓練をすればいいと思います。 私は社会科学なので、人文系、特に哲学の分野は理解できません。 もし、あなたが今専攻している分野の人たちや考え方についていけないのなら、別の分野に転向するのがよいかもしれません。
補足
せっかくお答えいただいたものに失礼かもしれないですが、私自身が悩んでいるとは一言も申しておりません。 >たくさん書かれた部分では、何が言いたいのか、いまいちつかめ >ません 質問の趣旨です。 一、皆さんなりの捉え方(定義)で結構ですので、研究適性がない(人)とはどういうこと(人)でしょうか。文理問わず、できるだけ多くの方の投稿をお願いします。 二、 博士課程在学当時の経験として、無事に学位取得・就職を決めている人がいると同時に、論文や研究発表が評価されず、大学院を去っていく人がいるという。当事者として、この落差を見るのは結構つらいものがありました。また、名指しをさけますが、身近にいる研究の上手くいかない院生の方の例を挙げて、数ヶ月前に、このカテゴリで、研究適性や国語力を話題にされた方がいました。それで気になっていました。その方の疑問を勝手に引き継いだようで申し訳ない気もありますが、寄せられるお答えが多くの院生の方に有益な情報になると考え、あえて投稿しました。
お礼
こんにちわ。ありがとうございます。確か、国語力の質問者のときに回答されていた方ですよね?その質問者に対して、私がレスしようとして、明確な言葉が出ずに回答できなかったことを、kirin_beer様が代弁くださった気がしました。 >指導教官や査読者から、研究の穴を指摘された時、 >もしそれが自分自身の研究なら、自分の子供が非難されている >かのような気持ちになって当然だと思います。 全く賛成です。大なり小なり、みんな、そうです。でも、そこで冷静に自分の現在地を悟るか、自己過大評価を捨てきれずに駄々をこねるかで違ってきます。それが次のご指摘につながるのではないかと。 >ただ、その怒りを研究にフィードバックさせて、穴の無い完璧な研 >究にできるのか、それとも、単に「むかつく。一生懸命研究したのに・・・」>と、なんの原動力にも出来ないのか、そこが研究適正の分かれ道のような気がします。 先立っての質問者の方の真意は、kirin_beer様のお答えを求めていたような気がしました。私の思い込みでしょうか。それはともかく、後者の状態になってしまう人って、意外と多いと思うんですよ。むかつく原因が、「博士課程を修了できない」「このままだと、オレの人生どうなるんだ!」という所から出ている。kirin_beer様の書いてくださったようなことを自覚するのは、ある人にとっては呼吸のように当然出来ているもの。だけれども、身についていない人にとっては、改めて教えてもらって直さないと、ムダに年月を費やしてしまう。そういうものだと思いました。
補足
「指導教官や査読者から、研究の穴を指摘された時に感じる怒りやネガティブな感情を、しっかりと、自分の研究にフィードバックできるために必要なこと」 私は、あまり自覚したことがないので、回答者様のような表現ができませんでした。ですから、ごちゃごちゃ書いてしまったのかもしれません。