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多少は腹黒くないとだめなの?
最近純白になりたいと思っていますが、ものによると影が薄くなってしまうそうなので、元々腹黒いとはあまり無縁なのか、影の濃い方ではありませんでした。 人に好かれるのには、多少は腹黒くいる必要があるのでしょうか?
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- kasanyo
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酸いも甘いも良くわかるグレーゾーンがいいですね(笑) 好かれるというより自分のためにです。
腹黒いって表現が悪いと思います。 もうちょっと言い方を変えてみましょう。 刺激的、冒険的、遊び心、大人の余裕、空気読める、ノリがいい 純白っってのも言い方を悪くかえれば 融通が効かない、潔癖性、つまらない、退屈、子供、馬鹿正直、KYとなります。 人に好かれるのは圧倒的に前者です。 つまらない人間より楽しい人間のそばに人はいたがるのです。 子供だろうと犬だろうとみんなそうです。 退屈な人と一緒にいたくはないのです。
- sakura-333
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腹黒いのがわかっていたら普通に警戒しちゃいません? 何か裏があると思うでしょうから・・ その人が本当に腹黒いのに人に好かれて見えるのだとしたら、単に純粋な人が取り込まれているに過ぎないような気もします。 まぁ~人に好かれる基準を腹黒さに置く事自体が間違っているような・・
- kyoutoukyo
- ベストアンサー率6% (97/1560)
サスペンスドラマなどで人の良さそうな意外な人間が犯人だったりするじゃないですか 影の薄い人=目立たない人はそれだけ濃い人に利用されやすくなることもありますよね 自分が濃い存在だから薄い人間に悪事を働かせようとする腹黒き人間も世の中にはいるでしょう ということで腹黒き人間に好かれるには影薄い人間のほうが好かれるかも。駒として動かせますからね
「水清ければ、魚棲まず」 自らの身を正しくして清廉潔白なのは、よいことには違いないが、あまり度がすぎると、他人のあらを見つけてはとがめだてするようになり、しまいには友人を失い、孤立してしまうようになる恐れがあります。 「清濁併せ呑む」 善も悪も分け隔てをせず、まるごと受け入れるということ。 大海が清流も濁流も迎え入れることから、「清濁併せ呑むの気概」などと使って、度量が広いことに言う。 あまりにきれいな水は餌になるプランクトンが乏しく、姿も隠せないので魚は近寄らない。 純水(水100%)では生物は生きてゆけません。 >人に好かれるのには、多少は腹黒くいる必要があるのでしょうか? 多少はね。
#4です。 どんなに立派な人であっても「完全に純白な人」は存在しません。 なぜなら、社会では常に矛盾があって一方を立てれば一方が立たずということが普通にあるからです。 ルールを変えるにしても「改善/改悪」と単純に決めつけられないものがほとんどです。 ほとんどすべてには「メリット/デメリット」があるからです。 そのような状況で「今日までは純白だったけど、明日からは腹黒く生きる」と言ったところで、もともと真っ白などあり得ませんし、真っ黒もあり得ません。 結局、自分が変わったと思っているほど周りはそのことに気づかないものです。 つまり、いい意味でも悪い意味でもほとんどが「あいつなら、そんなこともあるだろう」と思うものです。 よく自分はいい人には良く接し、悪い人には悪く接する(つまり相手により接し方を変える)と言う人がいますが、そんな人は単に自分の生き方を持っていないだけに過ぎず、自分の生き方を変えていることにはなりません。 たぶん、今から腹黒く変えていく心づもりがあるのでしょうが、所詮は周りからすればそれほど変わったとは思われないでしょう。 たぶん今までも、自分で気づかずに腹黒いことはしてきたのですから。
違うかも知れませんが、 よく勘違いするのに、純白だから人にだまされやすい、利用されやすいなど。 わかりやすく言えば、純白な人ほど詐欺師にだまされやすいとか。 このような考えであれば、間違っていると思います。 自分が純白に生きることと、他人を疑わないこととは別次元の問題です。 それは人それぞれで、たとえだますつもりがなくても単に言葉足らずで相手に誤解を与えてしまうこともあるでしょう。 そのような場合も、話を聞く側も質問するなどして正確な情報を得る努力が必要ですし、コミュニケーションによるトラブルとは一概にどちらが悪いとは言い切れないものです。 これは、単に相手を見抜く力が無かったり、また相手との会話能力の欠如であったりの問題であって、純白とは別問題です。 結局、純白(に生きる)とは相手に与える影響でしかないのです。 そして、自分がだまされた、利用されたから、自分は腹黒く生きると言うのは単なる自分の行動に対する責任回避、責任放棄、自己弁護でしかないのです。 しかし、そもそも価値観が多様化すれば、単に善悪の問題だけでは解決する問題は少なく、常にトラブルはつきものですから、逆に「純白だ」と言っている人ほど実は、自己主張が激しかったりもします。 つまり「私は純白に生きているのだから、間違っているハズがない」という論理で、実は自分が純白に生きていると思っている人ほど「悪いことは言わないから」とか「自分がそのようにされたらばうれしいから」など自分の価値観を押しつけるだけのいわゆる「ありがた迷惑な人」であることが多かったりします。 支離滅裂になってきましたが「純白に生きる」とはあくまでの自分の生き方の問題であって、純白だからだまされる、利用される、ことと切り離して考え、また「純白に生きているから自分は正しい」という考えを捨てなければ、真の純白とは言えないでしょう。 純白に生きるとは、相手の価値観を自分の包容力で暖かく受け入れられる人なのです。(個人的見解ですが) 但し、常識的な判断力や会話能力があって相手を見抜く力も必要です。 「影の濃い方」がいまいち理解不足なため、こんな回答になってしまいました。 「影の濃い方=存在感のある人?」
- Giova
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駄目な人間、性格の悪い人間ほどモテますよね。 やはり腹黒い人間は好かれますよ。
お礼
かなり遅くなってすいません 回答ありがとうございます 駄目な男の人は女の人の母性本能をくすぐるということで好意に走ることがあるみたいですね。 腹黒い人は何をされるかわからないからドキドキするってことですかね。
- m1zn0k31k0
- ベストアンサー率44% (8/18)
私は、純粋にみえるけど実は腹黒いっていう人のほうが好きです^^ 実は純粋なのに腹黒く見える人よりは断然良い。 純粋にみえて本当に純粋でも、腹黒くみえて本当に腹黒くても、何も新しい発見がなくておもしろみがないと思うんです。ギャップって大切なのかもしれません。実は純粋なのに腹黒くみえる人は、その人自体損をしているから欲しくない。 損してる人間より得してる人間のほうが多くもってて力になってくれそうな気がします。だから自分にも恵みをもたらしてくれそう→好き になると思います。利己的でごめんなさい。。
お礼
かなり遅くなってすいません 回答ありがとうございます 僕の場合第一印象は不思議な人です。笑 たぶん自分の中では腹黒いと思っているんですがどうなんでしょうね。
- MOMON12345
- ベストアンサー率32% (1125/3490)
政治家になるなら腹黒くないと。 でも誠実さって顔に出ると思うんですよ。 自分にも他人にも正直に生きていると、自分の周りはいい人だらけ。 それで良いのではないでしょうか。
お礼
かなり遅くなってすいません 回答ありがとうございます 自分の周りは良い人だらけ・・・・ 人を辞書で殴る女の子や調子のる奴に刃物投げる人は良い人じゃない気もしますが、基本良い人だらけ・・・・だと思います
お礼
かなり遅くなってすいません 連続での回答ありがとうございます 僕は腹黒くなりたいんじゃなくて純白になりたいんです。笑 何にも欲を持たずに人とただ時間の流れで過ごしていくそれだけで良いんです。笑