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神は人間が幸せになってほしいと願っていますか?
神は人間が幸せになってほしいと願っていますか? はじめから神は幸福のみを築き上げるように人間の精神を作らなかったのですか? なぜ、その逆の可能性の発端をも人間に組み入れてしまったのでしょう? 神は人間が幸せになってほしいと願っていますか? それとも。 神はいないのでしょうか?
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NO31ですが、一部修正がありました。 >私は、肉眼においても霊眼においても、神仏や霊界を見ることは未だできませんが、 と、書きましたが、 これは、その後に続く文面である、 >信頼できる様々な方々等々を通じたりして、それを信じることはできます。 という部分を強調することに専心するあまり、そう書いてしまったものでして、 実際は、見ることができていないわけでもなかったことに気付いたため、この点、修正しておきます。 神仏を広義にとらえた場合としてですが、 肉体に宿られた天使等々というケースであれば、様々な方々を拝見していると思いますし、その他のパターンでも色々あると思います。 ただ、それ以前に肝心なことは、NO31に記載したとおりですので、どうか行間(主訴)をくみ取って頂きたいと思います。
NO28、29です。 (自分の不幸を嘆くどころか、神の愛を説き続けて亡くなった) >>そういった人々が、死する時何故苦しまねばならないのだろう。 360度自由になる心を与えて頂いている中で、現実には試行錯誤等は出て来ますし、人々もそうしたことは承知の上で、しかしすばらしいあり方を実現してみせる、実現してみたい、と思って生まれて出て来ていると思います。 それは例えば子供が自転車に乗りたがるのと似た面もあると思います。 補助輪なしだと、転んで苦痛を味わうことも想像できるし、実際転んで泣いたりしながらも、練習を重ねて熟練して行くわけです。 それは、苦痛を味わうことも承知の上だけと、しかしそれ以上に喜びを味わうこともできるから、それを味わいたいという思いの方が上回るからでしょう。 そして、子供が自転車に乗る練習をしていて転びそうになった際に、いちいち親が介添えしていては、一向に上達もできないし、自立心のある子供としてもウザイでしょう。 やはり、転びながらでも、自分自身の力で乗り回せるようになるところに充実感・幸福感を味わうことができるでしょう。 親や神仏も、心配はしつつも、それを望む気持ちはあるでしょう。 >>神は、その存在を人間が納得し確認できるような状態で存在を表してはおりません。霊界も然りです。 人間が疑いの余地無くそういった存在を確証できる手立てはありますか? これも既に記載済でもあるかと思いますが、 むしろこの世に生まれてさえおられると思います。 超常現象的であったり、神々しい姿格好をしているか否かで判断するのではなく、中身で判断することが必要ではないでしょうか? また、この世自体が宝探しのような意義もあるわけで、同じような肉体というぬいぐるみをまとって外見上は似たような感じで見分けがつきにくい状況において、神仏や天使といった方々を、その中身において発見する、という意味等々で、非常に貴重な意義があると思います。 (また、自分としてどう生きるか、ということをおろそかにしてはならないと思います。) ともかく、肉眼による視覚認識が全てであるわけではないと思います。 また、信頼という価値自体も、むしろ物証がなくても、善の実現が可能であることを示す意味で、この世の意義そのものだと思います。 私は、肉眼においても霊眼においても、神仏や霊界を見ることは未だできませんが、信頼できる様々な方々等々を通じたりして、それを信じることはできます。 例えば、視覚障害者だって、人の温かさを感じることはできるのです。 私は、例えばマザーテレサ等々の方々を通じたりして、神仏を信じることができます。 また、霊界の存在につきましても、他の方々等々を通じたりして、信じることができる事例は色々あると思います。(私はそうした事例等を通じても信じることができます。) また、ちなみに、映画でもクイズでも、先に答がわかっていては、充実感を味わいにくい、ということがあります。 それを観たり解いたりしている過程にあっては、明確な形としては答を示されないでしょうが、それでもその中において自分としてつかみ得るものがあったり、自分として答を確信するということ自体はできるわけで、そこに充実感を味わうことができるわけです。 そして、死後、霊界へ帰った後に答がわかる、ということもあると思います。 ですから、仮に物質次元的な範囲で完全客観証明ができないことがあるにせよ、それだから意義があることもありますし、また、物質次元的なものが全てではないと思いますし、更に物質世界において物質的でないものを感じることは可能である、と言えると思います。 (なお、将来、科学的に霊界が証明されることもあるかもしれませんが、そうなればそれはそれですばらしいことだと思いますし、そうなったらなったで色々な面に意義を深めて行ったりすることもできるのではとも思います。) なお、当初からのご質問につきまして、私からのコメントは以上とさせて頂きたいと思っていますので、よろしくお願い致します。
お礼
ありがとうございます。 >すばらしいあり方を実現してみせる、実現してみたい、と思って生まれて出て来ている 生まれる前の子供はそのような心を携えていると言われるんですね。 >神仏や天使といった方々を、その中身において発見する 当の本人はそのような存在であることを自分自身知っているのでしょうか? >私からのコメントは以上 そうですか。残念ですがありがとうございました。
- mmky
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追伸まで >>生きているうちに救いはないのでしょうか? 当然ありますよ。現代の日本に生まれたあなたなら特にありますね。 >>神は、その存在を人間が納得し確認できるような状態で存在を表してはおりません。霊界も然りです。 そんなことはありませんよ。存在してますよ。いつの時代でも存在してますが、気がつく人が少ないだけですよ。気がつくより石投げつける人のほうが多いんですよね。イエスの時代にはみんな石なげたでしょ。今という時代は地球にとっても人類にとっても大変な時代なので至高神とか人類にとっての根本仏と呼ばれるお方がでてますよ。 つまり、イエスが父と呼んだ方が日本にいますよ。 探しなさい。近くにいますよ。 >>人間が疑いの余地無くそういった存在を確証できる手立てはありますか? これ難しいんですね。 私もね。救世主を少年時代から探していてね。イスラエルまで旅してね探したのだけどいなくてね。でもその熱意と情熱が評価されたのか、マリアが枕元にたって教えてくれたのですね。日本に救世主以上の仏陀がいるとね。あわてて帰ってきたのが三十代後半ですよ。見つけましたね。 うれしくてうれしくて表現のしようがなかったですね。それから十数年、学び続けて多少の悟りも得たので回答者として回答してるわけです。 本屋を探し回ってめぼしをつけてね。確証のポイントは声の抑揚でしたね。遠い遠い過去に聞いた懐かしい声でしたね。心の琴線にふれたのでわかりましたね。かって弟子であったものはそのようにして確認することができるのですね。 初めて弟子になりたい人は私の回答を信じるしかないでしょう。 信じて探せば必ず目に付くはずですね。救世主以上の救世主が存在しますよ。あなたも救われますよ。 つまり最後は真理に対する情熱でしょうね。 よわい60にもなって嘘はいいませんよ。 参考程度にね。
お礼
ありがとうございます。 >イエスが父と呼んだ方が日本にいますよ。探しなさい。近くにいますよ。 エホバ神のことですか? その他具体性のなさから理解しかねます。
NO28ですが、更に補足します。 正直なところ、私自身もご質問同様の思いを抱いたりしていました。 他者の理不尽な苦しみに気付き、それに心を痛めておられる質問者様のようなあり方がまず大切だと思いました。 しかして次には、それに気付いたなら、気付いた人から、自分のやれる抜苦与楽をやっていけばいいのではないでしょうか。 地上界には地上界なりの意義があって、霊界から直接何でも介入できるようなら、そもそも地上界は無くてもいいわけです。 霊界は基本的に思ったことが実現しやすい世界なのですから。 しかし、地上界は、理想実現のためには一層の尽力が必要で、 しかし、だからこそそこにより一層の【充実感】という幸福感を味わうことも可能なわけです。 むしろ神仏の助力をしようという思いこそ、大切ではないでしょうか。 そう思うところに、神仏の支援も注がれるのではないでしょうか。 霊視をすると、この世のあちこちに、この世で他者の幸せのために尽くしている人のそばに、天使達が様々な支援をしている姿が見えるそうですよ。
お礼
ありがとうございます。 >他者の理不尽な苦しみに気付き、それに心を痛め そういった事柄の発端になる愚劣な精神的動機による行いは日々、ここでそこでかしこで、茶飯的に行われているこの今の世に心から嘆かわしさを覚えない日はありません。 さらに、それに対し、反省の心を持ち備えるかと言うと、自我の暴走の影にそのような分別は埋もれ省みられない精神と、そのままの精神で迎える明日に行われ暴走成長する結果と未来に、辛さと悲しさを感じています。 神は、その存在を人間が納得し確認できるような状態で存在を表してはおりません。 霊界も然りです。 人間が疑いの余地無くそういった存在を確証できる手立てはありますか?
NO18、19です。 NO18、19へのコメントや、その他のコメントを拝見し、当初のご質問と照らし合わせてみたところ、要は、この世において自業自得でもない苦しみを味わっている人が多くいて、更にそれが放任されているではないか、神はいるのか、神は人間の幸せを願っているのか、ということが1つのポイントであるように感じました。 例えば、イエス様やその弟子は、他者への愛を説きながら、虐殺されました。 しかし、こうした方々は、自分の不幸を嘆くどころか、神の愛を説き続けて亡くなったわけです。 また警官という職業にしても、殺されることがあります。 こうした方々は、自分がどういう扱いを受けるか、ということよりも、自分はどう生きたいか、ということに専心しておられる状態なのでしょう。 生まれて来る前に、「自分は命ある限り、可能な限り人々の苦しみを解消し、幸せをもたらそう」と決意して生まれて来られたのではないかと思います。 そして、神仏も、「可能な限り支援するから、頑張って来てほしい」とメッセージを送って、送り出されたのだろうと思います。 また、実際に神仏御自身と言えるほどの、イエス様や釈尊御自身等だって、生まれて来られて人々の抜苦与楽のために一生を送られたと思います。 ご質問のもう1つのポイントである、 >神は幸福のみを築き上げるように人間の精神を作らなかったのですか? の方は、NO18、19に記載させて頂きましたので、省略します。
お礼
ありがとうございます。 >この世において自業自得でもない苦しみを味わっている人が多くいて、更にそれが放任されているではないか、神はいるのか、神は人間の幸せを願っているのか はい。そういうことです。代弁していただきました。 私、国語力があんまり無いですね。 >自分の不幸を嘆くどころか、神の愛を説き続けて亡くなった そういった人々が、死する時何故苦しまねばならないのだろう。 とおもいました。
- mmky
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>>どういうことですか? 金魚鉢(この世のたとえ)の中の金魚たちが現在の私たちですね。 私もおそらく30数年後にはあの世にいますので金魚鉢(この世)を外(あの世)から見ることになるでしょう。誰しも死から逃れることはできませんでしょ。つまり、いつまでも金魚ではいられないということですね。金魚鉢(この世)の金魚(私たち)はいつかは皆、金魚鉢の外(あの世)にいることになるわけですね。 舞台劇でたとえると舞台がこの世、楽屋があの世ですね。舞台に立っている間が生、舞台裏に戻ることを死というだけですね。たいした意味ではありません。
お礼
ありがとうございます。 死なんですね。 と言うと、キリスト教などでいわれる楽園はもうすぐ来るということは、 すなわち死の後を意味するのですか? 生きているうちに救いはないのでしょうか?
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
追伸 >>誰なのでしょう。 歴史を学べば予想はつくでしょうけど、 ゴルビーおじいさん、エリツインさんはなくなりましたね。 >>舞台裏からのビジョンを懐疑に思うほどの所に人の精神は結わえ付けられているのですか? 金魚鉢の中の金魚状態(舞台の役者)ですね。 金魚鉢の外から金魚をみんな見てるんですよ。金魚は望遠鏡で小さな金魚鉢の世界を観察して無限に大きいと思ってますけどね。金魚鉢をその手に持っているのも神ですよ。金魚は金魚鉢の中でしか生きられないですけど数十年後には誰しも金魚鉢の外から見ることになる摩訶不思議な世界ですね。
お礼
ありがとうございます。 あ。ゴルバチョフですね。そういえば。 >数十年後には誰しも金魚鉢の外から見ることになる どういうことですか?
- debukuro
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神が存在するならそれは職人肌です 自分の作品が気に入らなければ壊してしまうのですから さまざまな民族がありそれらのそれぞれが神を信じています 皆異なる神であり異なる奇跡を起こします とすると神とは人間が創り出したものじゃないでしょうか 懺悔をすれば許してくれる神 犯した罪と同じ報いを受けさせる神 災いや恵みを何の脈絡もなく与える神 いやになるほど人間くさい神
お礼
ありがとうございます。 >とすると神とは人間が創り出したものじゃないでしょうか 妥当性が考えられると思います。 通りが通りますことから。
- mmky
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追伸 >>現代の世にその愚かさを見ることが出来ますか?どういったものが挙げられますか? 近代では、最悪の愚かさは神を否定する共産主義思想の蔓延でしたね。 自身による何千万人かの粛清もありましたがこんなのは小さいことですね。この思想が続けば地球による完全抹殺までいったでしょうね。 地球は核兵器も大変嫌いですよ。核兵器を持つ国家は戦争によらずとも存続がむずかしいでしょうね。これは現在進行形ですね。 >>具体的に申されますとどのような修正がどのように入っていますか?いつ入りましたか? ソ連は内部崩壊しましたよね。崩壊にはそれなりの人物が神の世界から送り込まれたということですね。まだロシアという国土は存在してますものね。 日本でいうと、明治維新もそうですよ。明治維新がないと日本という国家も存在していたかどうかということでしょう。日本が選ばれたということですね。 神は植民地や奴隷もきらいですね。 大きな戦争を経て植民地がなくなったでしょう。戦争の勝ち負けや悲惨さではなく植民地(人間の「尊厳の平等」の否定)をなくすのが目的だったんですね。それが神の御心ですよ。 >>悪き人も良き人も所詮神の手の中で、可愛いものなのですか? その通りですね。親はいたずらな子供でもかわいいでしょ。麻薬や大麻をやった息子を親は泣いてかばっているじゃないですか。同じですよ。 気がつこうがつくまいが黙って背負っているのですよ。気がついた者がいうのですから間違いありません。 「誰も死んでも死なない舞台劇のようなものですからね。」
お礼
ありがとうございます。 >神を否定する共産主義思想 共産主義は神を否定するものなのですね? >粛清 権力を持った精神の全く偏った反映のやり方ですね。 >ソ連は内部崩壊しましたよね。崩壊にはそれなりの人物が神の世界から送り込まれた 誰なのでしょう。 >死んでも死なない舞台劇 舞台裏からのビジョンを懐疑に思うほどの所に人の精神は結わえ付けられているのですか?
- maimaisus
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正直、神が存在するかどうかは分かりませんが、仮にいたとすると。 「神は人間が幸せになってほしい」とは思っていないと思います。 そう思っているならば不幸な人間が存在するはずがないからです。 単に幸せを願って、人間を生みだしたとしたら、どんな状況でも、幸せを感じるように造ればいいのですから。 おそらく別の、意図があると考える方が無理がないかと思います。 仏教的な考えを個人的に解釈すると、世界を創った神と、人間を生み出した神は、おそらく同一のモノではないと推測します。 上手く説明出来ませんが、例えて言うなら、ゲームです、ハードを作る人間と、ソフトを作る人間がいて、ゲームをするプレイヤーがいる事によりその世界が成り立っているように、世界もまたそのスケールや形態に合った、神が存在しているのではないでしょうか。 と言っても、神はいないかもしれないけどね。 まあ、いるかどうか分からんモノの事考えるより、自分が何をどうするか考え、行動することの方が、結果的には「本当の意味」での幸せに近づけると思いますけどね。
お礼
ありがとうございます。 >神が存在するかどうかは分かりません >神はいないかもしれない 帰結するところまでは行けませんが、現段での正論と思います。 多くの人が大多数納得する明確な存在の有無を言い渡せた人はいるかと言ったら、偽りなくYESと答えられる人はいないでしょうね。 >「神は人間が幸せになってほしい」とは思っていない >そう思っているならば不幸な人間が存在するはずがない >単に幸せを願って、人間を生みだしたとしたら、どんな状況でも、幸せを感じるように造ればいいのです たしかに。そのとおりにおもいます。 >おそらく別の、意図があると考える方が無理がないかと 妥当なる推察ですね。興味があります。 >仏教的な考えを個人的に解釈すると、世界を創った神と、人間を生み出した神は、おそらく同一のモノではない そうなんですね。 >ハードを作る人間と、ソフトを作る人間がいて、ゲームをするプレイヤーがいる 神はもちろんハードを作る側に入りますが。 ソフトを作るの範囲にも入ると思われますか? プレイヤーは人間ですね、実際に良い目、悪い目、場合によっては不条理にも不徳な死を迎える可能性もちゃんとその手によって準備されている。 ありがとうございます。
お礼
ありがとうございました。 明確には分かり辛いなかなか込み入った内容ですね。