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苦手な人と関わりたくない
苦手な人と関わりたくないのに、関わらなくてはいけない状況がくる可能性が高いです。まだ、可能性の段階なので絶対ではありません。 避けたいけどあからさまに避けることもできませんが、なぜかそういう人に限って、話しかけて来たり、今までよりも関わろうとしてきます。 例えば子供の塾とか、幼稚園です。 「違うところにしてよ~」と思うのですが、思えば思うほど、関わりたくない人に限って同じところを選ばれます。 今年のおみくじはそれぞれ別のところで3回引いて、3回とも末吉でした。よほど運がないのだと思います。神様がそうおっしゃっているんですから。ちなみにどれかには「対人面で厄介を被る」というような内容が書かれていました。 できれば、まだ間に合うのでせめて出来るだけ関わらずに済むように方法はないでしょうか?決定している以上、うちが違うところを選ぶとか引越しするいう選択は出来ません。 お払いなどは有効でしょうか?そういう類のお払いはどういう名目でお願いするものなのですか?
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質問者さんとその方の相性を占ってみました。 その方は、内面的なことよりも表面的なことを尊ぶ方だと思われます。 本質よりも形式を重んじる方なのです。 おつきあいのコツは、愛想笑いをしたりお世辞をどんどん言うことです。 「○○さんのおかげです」「助かります」「いつもありがとうございます」「迷惑おかけして申し訳ありません」「感謝しています」「お手伝いできず申し訳ありません」 など常にお礼を言い、その方のプライドを尊重し、謙遜する言葉や態度を心がけることです。 礼儀や建前を重んじる方ですから、時間に遅れないようにする、小さなことでも勝手に決めず相談するなども気をつけると良いです。 小さな贈り物や手紙なども効果的です。 見栄を張る方で、精神的なことよりも容姿やおしゃれ、学歴や家柄や経済力などをかなり気に掛ける方なので、気をつけてください。 質問者さんと心から仲良くなれる方ではありませんが、その方の価値観に同調しておけばやり過ごすことができる相手です。 苦手な人とのおつきあいは大変苦痛ですが、心から仲良くすることは無理と諦め、割り切ってやっていってみてはいかがでしょうか。 決して意地の悪い方ではないと思います。
- Wendy02
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こんにちは。 難しい質問ですね。この世では嫌な人に会わなくてはならない、とは言うものの、度の過ぎるもの、例えば、嫁姑関係などは典型的ですが、他にも、相手の男性のDV があります。いじめの問題もあります。嫁姑の姑の心理状態は、更年期の関係だったりすることもあるかもしれません。概ね、社会性の欠如が原因なのですが、今は、異常性があるものも少なからずあります。 嫁姑問題でも、相手は、かつて、若い時に、そういうことをされて我慢してきた、と自慢するのですが、それで苦しんだはずの人が、今度は、それをする側に回っているのです。しかし、単に、自分の不安定な精神状態を他人に向けているだけだと思うことが多いです。どうして、そんなウソを他人に話しをするのかなって思うのです。 私は、どうにも解決できないものなら、自分を守るために、完全に関わり合いを切ってしまいます。しょせん、人生は生きていくことは楽ではないにしても、正常な人間関係を超えたものは、自分に解決できないものは、離れるしかないと思います。男女の関係も家族の問題も、学校や会社内のいじめでも同じです。 私は、新興宗教のように、祈ったり、何かをして、人間関係が解決するというように期待できません。期待して、現状の関係を続けても、改善しないことも多いではないでしょうか。こちらが、本当に強い人間や達観した人なら可能だとは思いますが、今の時代って、度が過ぎたものが多いのではありませんか? 数年前、「桶川のストーカー事件」などは、相手の男性が一方的に好きになって、ストーカーになって、警察に何度も相談したにも関わらず、女性側が殺されてしまったのでは、あまりにも不条理だと思います。でも、殺されてしまってはおしまいだと思います。 >この人とはウマが合わないという直感は、大抵当たっています。それに、大抵その後気まずくなってこじれるパターンがあります。 そのウマが合わないという予感は、私たちの中の防衛本能だと思います。それを利用して、深みにはまらないように、その人の距離を縮めないように、毅然とした態度で対応したほうが良いかと思います。嫌な人とは、機械的な対応をしてやり過ごす、ということです。際立った問題のある人もいます。それは、どんなに理屈で考えても、一般の人にはわからないことも多いです。 しかし、度が過ぎる人は、いずれ、天のはからいがあると考えても良いかもしれません。そう考えたほうが楽です。
- itanochan
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私が思うに全ての出会いは神仏による御計らいではないかという事です。 例えそれが自分としては好ましいものではなかったとしてもです。 そういった人間関係の中に身を置き、時に喜びに包まれ感動し、時に苦悩する・・・そういった経験を繰り返す事により人は成長して行くものなのではないでしょうか。 誰にだって苦手な人物というものはあると思います。でもその苦手な人とどうやったら上手く接して行く事が出来、今以上のより良い関係を築いて行けるか試行錯誤する事にこそお考えを向けるべきかと思われます。 神とは人間に対し様々な試練を与え、その試練に対し真面目に向き合い努力し成長して行く姿を応援してくださる尊き存在だと私は思っています。 件の苦手な人物との出会いも神仏による御計らいであったとしたならば、そこから逃げようとしている質問者さんを神仏はどの様な目でご覧になられているでしょう? 折角成長の機会を得ながら、おみくじにはこう書いてあったとか、お祓いをどうしようかとか避ける事ばかり考えておられる姿をご覧になられて嘆かれているのではないでしょうか。 苦手な方との付き合いの中で、ご自身にも反省点は無いかとか色々と考え実行し結果としてより疎遠になったとしてもその中から更なる反省点を見付ける内省を繰り返し、そして学ぶといった、成長の糧となる事柄は沢山あると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございました。 しかし、残念ながら前向きに考えたくても今はその方向に考えられません。 避けることしか考えられません。全てを避けることは出来なくても全てを受け入れる必要もないのではないかと思っています。 例えばですが、どう考えても合わないのに心労を重ねて自分がヒステリックになり家族に迷惑をかけてしまうことも考えられます。ヒステリーにならなければ、考え込まなければ、上手く受け流す術を見つければいいじゃないかと言われても、そう簡単にいかないこともあります。 この人とはウマが合わないという直感は、大抵当たっています。それに、大抵その後気まずくなってこじれるパターンがあります。 できれば、上手くやっていきたければ適度な距離(この場合は嫁姑の例ですが)を保つとよいとも言われますよね。他人の場合でも、わざわざこじれるくらいなら、適度な距離感も必要だと思っています。 回答いただき、ありがとうございました。