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勉強をする意味って何なの??意味ないね!
「因数分解なんて将来使わねーよ」 「こんな昔の事柄を覚えて何になるの?」 あなたは勉強をする意味って何だと思いますか? 特に義務教育期間中に習うが,将来使わない内容(数学の三角形の合同証明などなど)について,本当に意味があると思いますか? 私は自分の中に答えがあり,勉強をする意味があると思ってます。 あなた自身の意見を聞かせて下さい。 また,「勉強をする意味はないと思う」などの意見でも構いません。
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学んだ知識という点では、学んだ事の一部が仕事に使えてるので、無駄ではないです・・・といっても使ってるのはほんの一部なわけですが。 勉強の本意とするところは、 「自主性」等の精神を養うこと だと考えています。 つまり、「自ら問題を考え」「自ら答えを出し」「自ら答えを確認する」 など、「自分から行動する意識」を高めること。 これは、一般社会では必須となる能力。 最終的には仕事のもの覚えが悪かったりとかそういう意欲面にも影響を与えるものだし。 でも今の教育の方針にしろ、教育現場にりそ、それに関わる大人の考えにしろ、完全に崩壊している。 その為、悪循環が出来上がってしまってる。 その結果が今の日本の現状じゃないのかな。 何というかな、ガキな大人を量産する体制になってるっていうか。 どんなに数値や学歴は良くできても、精神的なものがガキだから、簡単に潰れて鬱やニートになってしまってる。 そういった面でも、勉学というのは精神修練の一つだったと思います。 でも今の勉学はその影形も無い気がします。 そうなってしまった、今の勉学には意味は無いと思ってます。 勉学の勉って「努力する」って意味ですから。 努力するっていう行為は、本来、他人から言われてするものではないですから。つまり、自主的に動くってことを指してるわけですし。 勉強にしろ、「努力する力を強くする行為」ってことですしね。
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- Maris2
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勉強することに意味はあると思います。 勉強にも2種類あるとおもいます。一つは可能性を引き出すもの、もう一つは人生を豊かにするものです。 義務教育で色々なことを教わるのは、そのこどもの可能性を引き出すのにどうしても必要な学習ないようだと思います。広く浅くが原則でしょう。 その子供が将来数学者になったり、歴史小説を書いたり、学校の先生になって数学や歴史を教えている可能性さえあります。 義務教育ではその可能性の芽を育てるのが重要だと思います。そして上の学校や社会に出て自分が興味をもった科目をより深く勉強して行くのが理想的でしょう。 人生を豊かにする勉強とは、例えば資格を取るための勉強や、趣味に関することの勉強が上げられます。 資格が社会で生きて行くのに有利になりますし、趣味に関する勉強はその人の時間を有意義なものにしてくれるでしょう。
お礼
> 義務教育で色々なことを教わるのは、そのこどもの可能性を引き出すのにどうしても必要な学習ないようだと思います。広く浅くが原則でしょう。 > その子供が将来数学者になったり、歴史小説を書いたり、学校の先生になって数学や歴史を教えている可能性さえあります。 小さい頃は「俺は~になりたいから,もうそれに関する勉強だけでいーよ!」と思い「何で一番最初に”将来になるか”を決めないで,いろんな勉強をさせるんだろう」と疑問に感じてました。 小さいころに様々な可能性を提示するのは良いことですが,それを選択させて他を閉じるというのはいけないことですね。 回答ありがとうございました。
- lxdaixl
- ベストアンサー率40% (2/5)
自分は「勉強をする意味はある」と思います。 日ごろ役立つ勉強は主に副教科(体育や音楽、家庭科など)で、数学や理科は専門的な分野にいく人以外は使わないかもしれません。 実際人生に必要な勉強は、大学に入ってからや、社会にでてから学んでいくものだと思います。 しかし、その勉強も「学ぶ」という能力がなければ学べません。つまり、頭をやわらかくするため、「学ぶ」という行為を学ぶための学習こそが、義務教育期間中の数学であったり、古典であったり、理科であったりするのだと思います。 国公立大学は、入ってから使わない教科もすべて受験科目の対象になっています。それはなぜか? 数学ができるかどうか、漢文がよめるかどうかを見ているのではなく、どれだけ効率よく勉強し、理解できる能力を携えているのかを見ているのだと自分は思います。 そして、そうした能力を養い、使うことに優れている人が東大など一流大学に入れる。入った後も、膨大な情報を効率よく吸収できる。その基礎を学ぶのが義務教育期間なのではないでしょうか? 下手な文章ですいません。
お礼
> 国公立大学は、入ってから使わない教科もすべて受験科目の対象になっています。それはなぜか? > 数学ができるかどうか、漢文がよめるかどうかを見ているのではなく、どれだけ効率よく勉強し、理解できる能力を携えているのかを見ているのだと自分は思います。 なるほど。 ”学ぶ”能力を大学側は見ているわけですね。 回答ありがとうございました。
- HiYoKoNoK
- ベストアンサー率30% (119/395)
勉強すると言うことは、頭の使い方を練習するトレーニングのようなものと認識しています。 因数分解自体に意味があるかどうかはわかりませんが、その作業をすることで、頭を使う体操になると思いますし、物事を論理的に考えたり、理解したりする役に立つと思います。大人になったいま、当時できなかった問題をみると、自分自身の頭で考えて解法を導き出すことができますから、そうやって物事を考えられるようにする素地を作っていたのだと思います。 その他、物理、生物、歴史など、多くの勉強をしたと思いますが、それらのひとつでも役に立たないと思ったことがありません。(当時は思っていましたけど) さまざまな社会の流れや物事の仕組み、道理を理解する時に非常に役に立ちます。 勉強を怠ってきた人と話をすると、選ぶ言葉遣いから考える思考回路に至るまで、浅さを感じ、面白くないと感じることがあります。 政治にしろ経済にしろ、社会的に生きていれば自分にとって益になる情報は何かを見分け、判断するような力も必要になると思いますが、その判断力をつけるのも、多くの知識や情報に加えて、脳みそを使うトレーニングが大きく左右するんだと思います。
お礼
> 勉強すると言うことは、頭の使い方を練習するトレーニングのようなものと認識しています。 まさしく私の持っている意見と同じです。 どんな不必要と思われる科目においても,絶対にこの”頭のトレーニング”という要素は抜け落ちないはずですよね。 回答ありがとうございました。
- jyujyu pamyupamyu(@marlbro)
- ベストアンサー率27% (10/36)
勉強には意味がありますよね。知識がない人には発想の発展ができませし、日々の日常でも自然と勉強で覚えたことを実践してるものです。 あなた自身の答えがあるのならそれで いいのでは?
お礼
> 知識がない人には発想の発展ができませし、日々の日常でも自然と勉強で覚えたことを実践してるものです。 それを認識できない人って案外多いもので…よく「意味がない」なんて耳にします。 > あなた自身の答えがあるのならそれで いいのでは? 勉強に対して自分が何らかの意味を持たせたかったのではなく, 他の人はどのように考えているのか…それを聞きたかっただけですので。 いわゆる興味本位というやつです(´・ω・`) ありがとうございました。
- junsuke911
- ベストアンサー率26% (11/41)
確かに使わないものってよくあると思いますが、勉強する意味はあると思います。 勉強すればするほど、将来の道は開けると思うのです。 まあ、私が言えた事ではないですが…(笑
お礼
> 勉強すればするほど、将来の道は開けると思うのです。 そうですね。 「えっ,因数分解するのって楽しくない!?」と言ってその道の研究をする人もいるでしょうし。 回答ありがとうございました。
- west-urban
- ベストアンサー率38% (88/228)
勉強する意味は絶対あると思います。 小学生での勉強はすべての基礎となり、 中学生での勉強は社会に通用すべくための基礎となり その応用を習得しないともう一ランク上の高等教育までついていけない。 自分のレベルに合わせた高等教育から専門の教育まで、 多種多様のコース、分野があり歩む人がいる。 なにごとの基礎もほとんどが勉強。 分かろうとする事で機転を利かせるうまさやひらめく力を養い。 意地でもついていかなければならないといったところで、 根性などもつく。 そしてそれに向かう姿勢こそが気合。 もう人生じゃないですか勉強って。
お礼
> 分かろうとする事で機転を利かせるうまさやひらめく力を養い。 > 意地でもついていかなければならないといったところで、 > 根性などもつく。 > そしてそれに向かう姿勢こそが気合。 なるほど,共感です。 もしかしたら「意味ないよ」なんて言う人は意地や根性がないのかもしれませんね笑 回答ありがとうございました。
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お礼
> そういった面でも、勉学というのは精神修練の一つだったと思います。 > でも今の勉学はその影形も無い気がします。 > そうなってしまった、今の勉学には意味は無いと思ってます。 表面的に”勉強ができる”としても,それは意味がないと…確かにそんな気がします。 回答ありがとうございました。