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連合王国って何?イギリス・オーストリア・ポーランド・スウェーデン・・・・

ヨーロッパには連合王国ってのがいっぱいありましたよね あれって何なんでしょう? イギリス オーストリア・ハンガリー ポーランド・リトアニア スウェーデン スペインもポルトガルと一時くっついたし 百年戦争はイギリス王がフランス王の有資格者で(つまり日本の宮家みたいなものでしょ?) よくわかんないのですが・・・

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  • fumkum
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回答No.2

>連合王国って何?イギリス・オーストリア・ポーランド・スウェーデン・・・・ ヨーロッパには連合王国ってのがいっぱいありましたよね あれって何なんでしょう? イギリス オーストリア・ハンガリー ポーランド・リトアニア スウェーデン スペインもポルトガルと一時くっついたし 百年戦争はイギリス王がフランス王の有資格者で(つまり日本の宮家みたいなものでしょ?) よくわかんないのですが・・・ こんにちは。私も詳しくはないのですが、「連合王国」と「同君連合」を混同されているのではないかと思います。例に挙げられているイギリス以外は同君連合だと思うのですが。 「同君連合」は君主が同一で、それぞれの君主国は主権を持っている状態を表す政体だったと思います。特に、外交権・軍事権等の主権を持っていることが重要だったと思います。 区別が紛らわしいのです、ウィキペディアの該当項目のURLをコピ-しておきました。 同君連合 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%90%9B%E9%80%A3%E5%90%88 連合王国 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD あまり参考にならないかもしれませんが、気がついた事柄だけ。

48946
質問者

お礼

なんかややこしいですね 読んでも分かったような分からないような

その他の回答 (3)

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.4

簡単に行きます。 オーストリア=ハンガリーは、ウィーンとブタペストの議会がハプスブルグ家に忠誠を誓って、各々の統治を行う国なわけです。ただし、外交と国防はウィーンが基本的に行っています。チャーチルはこの国が無くなったことについて、同じ通貨を使っていて、同じ国王の元にある国がなくなり、一気に価値のちがう通貨、異なる言語の国が乱立したことは、のちのち禍根を残すだろうと、嘆きました。 ポーランド・リトアニアは、貴族が権利の制限された国王を選挙で選ぶというかなり特殊な王国で、一種の貴族共和制でした。国王の元に議会があって、ポーランドもリトアニアもそこに議員(貴族)を出していたわけです。アメリカに次いで民主的憲法をもった国は、意外ですがこの体制のポーランド・リトアニアでした(5月3日憲法)。ただ場所が欧州の真ん中で、多くの国と接しており、議員の中には外国からカネをもらって票を投じるものも珍しくなく(特に国境沿い出身議員)、また話し合いで物事をきめることは即決が必要なとき機能しないことが多く、プロイセンの拡大をつぶし損なったり、ロシア軍・スウェーデン軍など引き入れる議員が出たりして、結局ポーランド分割につながっていきます。

48946
質問者

お礼

ありがとうございます ポーランド・リトアニアは分割した時はポーランドって習いますよね あんまり関係ないけど

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

ヨーロッパの方では婚姻によって複数の家を継承することがしばしばあります. 挙がっている例ではスペインとポルトガルがこの例かな. オーストリア・ハンガリーは逆に「神聖ローマ帝国崩壊後に残った地域」がそれぞれで政府を作り, その上にさらに統合した政府を持つという形態です. 2重帝国, あるいは 3重帝国というやつ. 百年戦争も「イングランド王家にフランス王家から嫁いでいる」ことに基づいて「イングランド王にもフランス王位の継承資格がある」と主張したのが発端です. とはいえ, 大陸では「サリカ法典」により男系にしか継承は認められなかったんですけどね. なお, 今のイギリスはイングランド, スコットランド両王家の統合が基本だったと思う>#1. 「グレートブリテン王家」ってなんだ. もともとはグレートブリテン島にあるイングランド, スコットランド, ウェールズの 3王国 (+北アイルランド) なんだけどウェールズは先に (実質的に) イングランドに統合され (チューダー朝はウェールズ出身), スコットランドも (スコットランド出身の) スチュアート家のもとでイングランドとの同君連合から 1707年のスコットランド合同法によりイングランドと合体しグレートブリテン王国が形成されています. ついでにいえばスペインそのものもアラゴンとカスティリヤの合同で生まれていますね.

48946
質問者

お礼

そういえばスペインもそうでしたね ありがとうございます

  • kt1965
  • ベストアンサー率34% (116/339)
回答No.1

現在は、イギリス連合王国のみになりましたが、イギリスの場合には、スコットランド王家、ウェールズ王家、グレートブリテン王家の3つの王家が統合されて出来ている立憲君主型の王国のことです。 過去は、世界史などを学ぶと分かりますように、絶対王政という時代があり、その時代の各王家は政略結婚などにより、王室の領土を広げるということがありました。 最後に同じようなことをしたのが、ご存知・・ナポレオン・ボナパルト。絶対王政については、ローマ教会が権威を象徴し、各王家が軍事を司る形で行われてきたのであるから・・・日本の武家政権にも近いのですが・・とりあえず、中世史~近世史の上にあるため、絶対王政とは区別されているようです。

48946
質問者

お礼

日本だと理解しにくいのかな? ありがとうございます

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