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恩を売り買いするのは美化された共依存ではないのか?自発性が権利として自然に受け入れられる日は来るのか?

周りに、売った「恩」に見返りがないようにみえると、「あの人は恩を感じていない」とまわりに悪口を言う人がいます。 また、助力を提供する義務の無い人について「あの人は全然自分を助けてくれない」と陰口をたたく人がいます。 先輩後輩関係や、上司部下、親子、同僚など、「助け、助けられるべき」という関係で期待し合い、その連帯感でつながっているように見えます。 もちろん、どこの社会でも、見返りを求める関係はあります。助けてもらったら有り難いと思います。しかし恩の売り買い策略や合戦にものすごい労力を使っている人たちを見ると、その合算分で豊かなアフター5を過ごせるんじゃないか、と思います。 また、見返りを期待せず自発的に助け、助けられるように、本人の意思を尊重してもらえないのは、きゅうくつです。 でも、後者を挙げると、前者のシステムが脅かされるのか、「先輩後輩の助け合いの美しさが分からないのか」とか、「有り難いという心が無いから出る発言」などと非難されます。 私には、前者は美化されているだけの共依存に見えてしまいます。 いろいろなところで本人の意思の尊重や自己決定を前提とした議論がされているし、「共依存」と聞いてポジティブに思う人は昨今いないでしょう。しかし、日常世界ではこれが当たり前です。いつになったら変わるのでしょうか。 また、このような即「社会問題」とならないような日常的な「共依存の根」みたいなものに取り組む団体などはあるのでしょうか。 ご意見お聞かせください。

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  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.2

歴史を眺めていきますと、人と人との間に絶対的な神が存在しないと”ドライな関係性”が成立し難いと感じます。 果たして、絶対的な神が存在しない日本において、そのような関係を作る事が可能でしょうか? >自発性が権利として自然に受け入れられる日は来るのか? 絶対に来ないとは言えませんが、その必要性があると思われるのであれば、日本人の心根に対して時間を掛けて分析していく事が不可欠となるでしょう。 >このような即「社会問題」とならないような日常的な「共依存の根」みたいなものに取り組む団体などはあるのでしょうか。 その問題自体を明確に意識している人が少ないと思いますので難しいでしょう。 強いて言うななら、↓のような集まりから今後のヒントが見出せるかも知れないとも思いますが。 http://www.unicahier.com/SEKEN/seken.html 以下も参考にどうぞ。 http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/p/57/index1.html http://crystal-moon.at.webry.info/200806/article_10.html http://iwao-otsuka.com/enqb/res/dwkenpou1.htm http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%B8%96%E9%96%93%E3%80%80%E8%B4%88%E4%B8%8E%E3%80%80%E4%BA%92%E9%85%AC&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja&aq=f&oq= http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%B8%96%E9%96%93%E3%80%80%E9%96%93%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja&aq=f&oq=

SonoAyumi
質問者

お礼

「間人主義」と「世間」など、はじめて知ったキーワードでした。 リンクはとても面白そうです、参考にさせていただき、勉強してみます。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • poyo3
  • ベストアンサー率30% (260/857)
回答No.1

個人的な意見ですが共依存の関係というのこれからますます増えるでしょうね。ただしこの場合の共依存というのはお互いが助け合うという意味ではありません。あなたの言わんとする(本来の)共依存はあくまで自立した人間どうしがお互いを助け合う関係のことを言うのではないかと。(この場合は共依存とは言わないようなきがしますが) 先にあなたが述べられた例は共依存ではありません。それは幼児的依存でしょう。心理的に未成熟な幼児的感情から自分は(ちょうど母親が自分を特別扱いしてくれるように)他人から認められるべきという要求を持っているのでしょう。ですから相手に対して恩着せがましくなる。それでいて何でも自分にしてくれる事を期待する。 そんな人たちは心理的に幼児ですから常に人に何かしてもらいたい人がなにかしてくれないと何も出来ない。常に他人に依存して生きているのです。ですから他人の気を引くことに必死になるのでしょう。そんな姿を普通の人が見れば無駄な努力ですか本人にしてみれば他人(の承認)によって自分が成り立っているわけですから常に関心を引かなければならないわけです。 共依存はそんな人間同士がくっついた状態のことを言うのではないかと思います。 依存して生きたい人、誰かにかまって欲しい人。そんな人がお互いに要求しあって(表面的には相手をほめたりしていても実は自分への要求です)立っている関係の事ではないかと。 このような問題を取り扱う団体はあるかはわかりませんが原因は個人の中にあるものですから個人個人の心理的問題を解決しない事にはこの問題は解決しないように思います。表面的な建前で判断していてはなかなか難しいでしょう。 人を支配するには恐怖や悪意より正義や道徳、規範、愛情等々誰もが共感できるものを立てた方が説得はしやすいですから。それを建前に自分の心理的欲求不満を解決しようとしてくるのでしょう。 問題はその辺にあるかと思います。言う事の本当の真意を見極めれば問題の本質も見えてくるのでは無いかと思います。 個人の偏見と憶測ですので参考までに。

SonoAyumi
質問者

お礼

共依存という言葉でくくってしまいましたが、互いが依存し合った関係になって初めて「共」依存ということですね。 ●人を支配するには恐怖や悪意より正義や道徳、規範、愛情等々誰もが共感できるものを立てた方が説得はしやすいですから。それを建前に自分の心理的欲求不満を解決しようとしてくるのでしょう。 たしかに、「助けている」ことに変わりはないので、陰口を知らなければ、ただの親切ですよね。それが周りから美しい行為というお墨付きをもらい、説得力を持って支配しているという点が、根深い、と思いました。 大変参考になりました、ありがとうございました。

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