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「屁理屈」VS「当たり前」

論理の問題な気がしたのでこちらで質問させてください。 論理A「○と△には相関性がある。」 論理B「○と△には相関性がない。」 この2つの意見があったとします。 ここで論理Aを主張する人の意見は 「○と△とを結びつけるある学者の理論が、専門家の間でも認められている」 「○と△に注目した統計において、その2つには相関性が見られたことが学会で発表されている」 「以上のことから論理Aは正しいと思われる。」 次に論理Bを主張する人の意見は 「論理Bには、証拠となるような事例がないが  世の中には証拠となる事例がなくとも正しいことはたくさんある。」 「みんな、○と△に相関性はないと思っている。」 「論理Aの証明は屁理屈だ。」 「だから、論理Bが正しいのは当たり前だ」 というものです。 この2つの論理の証明。どちらの方が論理の裏づけとしては強力なのでしょうか? 回答をよろしくお願いします。 ※まことに勝手ながら これまでこちらの「数学」カテゴリでたくさんお答えになった方の ご意見を重視させていただきたいと存じます。 もちろん、回答数が0であっても 貴重なご意見として扱わせていただきますが それをご理解のうえで、回答していただければと思います。

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noname#101087
noname#101087
回答No.1

「論理Aを主張する人の意見」を見るかぎり、  ・真偽はさておき、理論モデルが想定されている。  ・そのモデルからの推論で論理Aが支持されている。 わけですね。 論理の裏づけとしては、かなり強力だと思われます。 もし反例が見つかれば、新たな理論モデルを生み出せる可能性もあります。 他方の「論理Bを主張する人の意見」は、そのような理論的な手続きがスッポリ抜けているように見受けました。 これでは、水掛け論に終始する可能性が大なのではないでしょうか。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>・真偽はさておき、理論モデルが想定されている。 >>・そのモデルからの推論で論理Aが支持されている。 おっしゃるとおりだと思います。 これにより論理Aの裏づけはかなり強力である。ということですね。 しかし「論理Bを主張する意見」は理論的な手続きが抜けている。 ということですね。 とてもわかりやすい回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。

Opolskie
質問者

補足

こちらの回答を見まして、多少論理Bの裏づけが弱いかなと感じましたので 後付で申し訳ありませんが 多少質問に付け加えさせてください。 論理Bを主張する意見に 「論理Aで示されている統計では、○と△はゆるい相関関係しかない。それでは、不十分だ。  (ただし、論理Bを裏付けるような統計の提示はなし)」 「○と△とを結びつけるある学者の理論は、ある程度は認められるが  あくまである程度だ。」 「だから論理Bは正しい。」 という意見も追加したいと思います。 また、もしよろしければ 論理の裏づけが弱い方の意見が 「より論理を裏付けるためにどのようなことをすればよいのか」 そのアドバイスもいただけると幸いです。

その他の回答 (2)

  • naozou
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回答No.3

どちらも証明にも裏づけにもなっていないと思うのですが・・・ 数学カテゴリーならば、純粋な論理の観点でお答えがほしいのでしょうか?それとも現実的な論理展開を期待されているのでしょうか? で、本題ですが、 (1)「論理Bには、証拠となるような事例がないが世の中には証拠となる事例がなくとも正しいことはたくさんある。」 (2)「みんな、○と△に相関性はないと思っている。」 (3)「論理Aの証明は屁理屈だ。」 「だから、論理Bが正しいのは当たり前だ」 (1)が主張しているのは、「論理Bの証拠がない」「正しいとことでも証拠がないことがある」、ですね。何をもって正しいかを示すかはわかりませんが、前段は証拠の有無を重要視しつつ、後半は重要性を無意味にするような主張ですね。 (2)はなにも主張していないのと同じですね。こんなことを言うとみんなってだれ?って突っ込まれておしまいです。 (3)論理Aは正しいとはいえない、という主張ですね。 以上の主張から、 「だから、論理Bが正しいのは当たり前だ」 という結論が導けますか?少々苦しいですね。 補足の (4)「論理Aで示されている統計では、○と△はゆるい相関関係しかない。それでは、不十分だ。(ただし、論理Bを裏付けるような統計の提示はなし)」 (5)「○と△とを結びつけるある学者の理論は、ある程度は認められるが  あくまである程度だ。」 を追加してみても、 (4)「○と△にみられるのは弱い相関で、もしかしたら単なる偶然かもしれない」というぐらいの主張ですね。ちなみに「(強い相関を示したいのに)論理Aはゆるい相関を示している」とも読めてしまいます。 (5)「○と△とを結びつけるある学者の理論は、ある程度は認められるが あくまである程度だ。」 純粋なロジックとしてはナンセンスな雰囲気がありますね。現実的な論理としてはも判断しずらいですが、論理Aには多少見るところがあるわけですよね。(4)のゆるい相関の判断が付きそうな雰囲気が読み取れませんか? で、 「だから論理Bは正しい。」 という結論にはいたらないですね。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても論理的なご意見で頭が下がります。 ただ、う~ん。もしかすると私がBの主張を持っている。 という印象を受けられたのかなと感じました。 あえて明言を避けたのですが私自身はAの主張を持っています。 それ故、Bの主張にとって不利なBを主張している意見をあげているのではないだろうか。 と考えてBの主張を多く提示させていただきました。 >>数学カテゴリーならば、純粋な論理の観点でお答えがほしいのでしょうか? そうです。論理として皆様はどのように捉えられるかと思い 質問させていただきました。 (1)~(5)までの主張は「論理Aが正しいとはいえないかもしれない」ということは言えないという主張であって 「論理Bが正しい」とはいう主張は見受けられない。 ということですね。 参考にさせていただきます。 …と、ここまで、オブラートに隠して質問をしてきたのですが 「なんだかよくわからないもの」の論理について考察させてしまうのも どうかと思いましたので、改めてその具体的な内容を示して http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4530701.html こちらにて質問をたてさせていただきました。 もしよろしければそちらにも協力いただけると幸いです。

noname#111804
noname#111804
回答No.2

論理A 「電子には質量がある。専門家はそう思っているし、学会でも それが正しいとされている。」 論理B 「電子が粒子だとするなら、質量があってもよいのだが 一方で波動性もあり、つまりは質量がないとも言える。」 論理的なのは論理Aなのでしょうが、私は、観念論的に 論理Bを信じています。これは、それを信じるか信じないかの 話です。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私の見当違いでしたら申し訳ないのですが sakurada6様の論理Bには 「電子には波動性がある」というしっかりとした根拠 (少なくとも根拠らしきものといえるもの) があるように感じられます。 論理Bにこのような「根拠らしきもの」すらない場合 はどのように考えられますでしょうか?

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