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鬱の母と自分の将来について
- 大学生の私が鬱の母との将来を考えると落ち込む
- 母の躁鬱病により私たちは毎日対応しながら暮らしている
- 自分の将来について自由になりたい気持ちと両親への心配と罪悪感に悩んでいる
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はじめまして、私も家族との距離に悩んでいる者です。 率直な感想を言いますと、お母様は「共依存」ではないかと思います。 誰かがいないと生きていけない、人に助けてと言えるというのは、躁鬱というより「共依存」の心配をした方がいいのではないか、と。 甘えているのです。よく老人が死ぬ間際に子供のようになる、と言います。 実際私の祖父がそうでした。祖母はそんな祖父に「赤ちゃんのようだ」と笑って言っていました。 私はそれを聞きながら、横で分析していて、きっと祖父は今まで家族のために自分を犠牲にして働いてきて、辛くて辛くて、でも頑張ってきて、だから報われる、大事にされるのは当たり前だと思っているんだと。 だから、きっとお母様は子供のころ、自分の思い通りに生きれなかったのではないかと思います。苦労して、何かを我慢したんだと思います。 だからその我慢の代わりのものが必要なんです。 私が勝手に思っているのは、それは愛情でなくても、自分が夢中になれるものなら何だっていいんだということです。でも、簡単にはわからない。 それは、今まで自分の欲求を我慢してきたから、自分が何が好きなのか、分からなくなっているということです。 そこに私は「家族の手助け」が必要だと思います。家族の誰かが世界を広げてあげることが、大事なんじゃないかと思うんです。 きっとお母様は「小さな世界」に生きてらっしゃるんじゃないか。それは自分の選んだものではないから、辛くて辛くて、限界がきて、子供のように誰かに手をひいてもらって、外に連れ出してもらいたいんじゃないか。 うちの両親は、どちらとも趣味をもっていて、それに打ち込んでいます。だから私にはそういう心配はないのですが、祖父母がお母様に似ています。「孫が生きがい」という感じです。(共依存です) 一度、お母様に「昔できなかったこと、好きだけどやれなかったこと」などを聞いてあげたらどうでしょう? 私も昔、躁鬱っぽかったんですけど、それは2次的な被害だということが分かりました。環境不適応による睡眠障害が、体内のバランスが狂わせていたんだと。体内のバランス、つまり脳が正常に働かなくなると、躁鬱っぽくなります。(普通の人でも) だから、人生を充実させていけば、人に甘えるということもなくなるのだと思います。
お礼
アドバイスありがとうございました。 母の躁鬱や甘えの原因は指摘してくださったとおりと思います。 他人との接触や細かい作業で疲れてしまうのですが、 何か良い方法で趣味が見つけられるよう考えてみたいと思います。