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不確定性原理の証明とハイゼンベルクの思考実験

不確定性原理、ウキペディア>位置をより正確に観測する為にはより正確に「見る」必要があるが、極微の世界でより正確に見る為には、波長の短い光が必要であり、波長の短い光はエネルギーが大きいので観測対象へ与える影響が大きくなる為、観測対象の運動量へ影響を与えてしまうからである(ハイゼンベルクの思考実験)。ただし、この種の議論は前述の証明とは異なる種類のものであることには注意されたい。前述の証明は、量子論の性質そのものから導かれる物であり(量子力学の数学的基礎も参照)、測定器の誤差、あるいは測定による反作用とは区別して考えなければならない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86 とありますが、このハイゼンベルクの思考実験(?)とどう区別する必要があるのでしょうか?定性的にやさしく解説いただければと思います。

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  • semikuma
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回答No.3

私も気になるので少し調べました。 Wikipediaの記述は中途半端なんですね。 ハイゼンベルグは元々次のような説明をしたんですね。 http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity3055.html 要約すると 電子の位置を測定するために、ガンマ線など波長の短い電磁波を当てると、跳ね返った方向から電子の位置がわかる。ところが電子のほうも飛ばされてしまうため、運動量が測れなくなる。 ならばエネルギーの弱い電磁波(長い波長の電磁波)を当てると、運動量はわかるが、位置がはっきりしなくなる。 ミクロの世界では、このように対象となるモノの位置や運動量を同時に正確に計ることはことができない。なぜなら、測定という行為自体が電子の状態に影響を与えてしまうからだ。 これに対してアインシュタインやボーアの論争を経て不確定性原理が確立したようですが、現代では次の2通りの解釈があるそうです。 ・・・・・・・・・・・・ 1つは量子が持つ基本的性質から導かれるΔqとΔp。電子などの位置は波動関数,つまり確率で表現される。確率でしか表現できないということは,一点に静止し続けることは不可能であり,常に揺らいでいることを意味する。これを「量子揺らぎ」という。量子揺らぎの幅は,統計学的には「標準偏差」で定義される。標準偏差はσ(シグマ)と表されるので位置の量子揺らぎをσq,運動量の量子揺らぎをσpとすればσqσp≧h/4πになる。 もう1つは観測にからむ不等式だ。位置を観測する場合,その測定誤差はε(イプシロン)とよく表記されるので,Δqはεqと表される。一方,位置測定による運動量の乱れによる変化量はη(エータ)と表記されるので,Δpをηpと書く。不等式はεqηp≧h/4πと表される。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ハイゼンベルグの元々の考えは2番目の立場だと思いますが、この不等式が破られているケースが見つかったそうです。 http://www.nikkei-science.net/modules/flash/index.php?id=200704_030 つまりハイゼンベルグは定性的には正しかったが正確ではなかった。 「区別して考えなければならない」とは、上の「基本的性質」と「観測の問題」とを区別せよ、ということのようですね。

ga111
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 本質的には理解できませんが、不確定性原理には「基本的性質」と「観測の問題」2つあるということですね。この小澤さんの発見が正しければ、ノーベル賞級の発見ということになるのでしょうか。少し信じがたいです。 定性的には正しかったのであれば、私としては何も文句はないです。

その他の回答 (3)

回答No.4

なかなか難しい問題でここで答えが出るかどうかわかりませんね。 ですが、量子力学の不確定性はすべてを波であるとしたところに起因するものであって、観測の有無にかかわらず本質的に存在しているものであるということに異論はおそらくないだろうと思います。 ですから、問題はハイゼンベルグの思考実験をどう解釈するのかという点にあると思います。質問文やwikipediaにもあるようにこの思考実験を「観測対象へ与える影響」としてとらえるということはよく見かけるものですが、私はこの解釈そのものが間違っていると思います。ハイゼンベルグのγ線顕微鏡の思考実験は測定によって不確定になったととらえるのではなく、位置の不確定さと運動量の不確定さが見積もることができる状態を準備しただけだと考えるべきです。 というのは、この実験を注意深く分析してみれば、電子の運動量の不確定さは光子によって乱されたからではないということがわかるはずです。 この思考実験がどのように不確定性を見積もっているかというと、電子の位置については散乱された光子が顕微鏡のレンズが有限サイズであることによる回折現象によっています。これは測定による擾乱ではありません。電子との衝突により光子が散乱される方向は必ずしも顕微鏡内に入る方向とは限らないわけですが、顕微鏡で光子が観察されたときのみを相手にするということは、そのような状態だけを選び出したということです。つまり、顕微鏡で光子を観察して電子の位置を決めるというのは、観測というよりは回折現象に起因するΔxという位置の不確定さを持つ量子状態を準備したというべきものです。 次に、運動量ですが、電子によって散乱された光子が顕微鏡で観察されたということは、顕微鏡の鏡体内を通過したことを意味しますので、このときの光子の波動関数は電子で散乱された直後から顕微鏡の開き角の範囲に広がることになり、結果として光子の運動量に不確定さが生じます。この不確定さは電子による散乱で擾乱が生じた結果の不確定さではないはずです。 電子の運動量は、運動量が保存量であるということから光子と同程度の不確定さを持つとして光子の不確定さから見積もります。したがって、光子の不確定さが観測による擾乱によるものでないならば電子の運動量の不確定さも観測による擾乱によるものではないことになります。 ちなみに、光子と電子の波動関数は互いに絡み合っているはずで、光子の経路、つまり運動量を決める測定をすれば電子の波動関数も収縮して運動量を保存するような値を持つ状態になるはずです。 したがいまして、ハイゼンベルグの思考実験が意味しているものは「観測対象へ与える影響」を計算しているのではなく、「位置と運動量の不確定さを見積もることができる量子状態を準備してみたところΔxΔp~h程度の不確定さが存在していることがわかった」、と解釈するべきものだと思います。 つまり、ハイゼンベルグの思考実験の不確定さと、ケナードの不等式から導かれる不確定さを区別して考えること自体が間違っていると思います。 なお、私の記憶が確かならば、ハイゼンベルグ自身が「測定という行為自体が電子の状態に影響を与えてしまうからだ」と考えていたかどうかはわからないということではなかったかと。 それから、#1さんへのお礼に書いてあるように「不確定性原理がほかの基礎的な原理から導かれる「定理」である」とはいえないと思います。 というのは、定理が示しているのは交換しない演算子が表す物理量の間には不確定さが存在するということですが、そもそもその演算子が交換関係を満足するように定式化されています。交換関係を満たすように定式化するということは不確定性関係を満足するように定式化したということと同義で、つまりは、不確定性原理が根本にありこの原理を満たすように物理量を表す演算子が定式化されたということになります。これならばやはり不確定性は『原理』です。 不確定性を原理ではないとした場合、物理量を演算子で定式化するための別の原理が必要となるはずですが、量子力学の枠組みではそれは現れていません。したがって、不確定性を原理とし、その原理に従って演算子が組み立てられたするのが現在の枠組みでは妥当かと思います。

ga111
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >なお、私の記憶が確かならば、ハイゼンベルグ自身が「測定という行為自体が電子の状態に影響を与えてしまうからだ」と考えていたかどうかはわからないということではなかったかと。 では、なぜ質問文にあるような定性的な表現が、ハイゼンベルグの不確定性原理としてウキペディアに限らず、(#3にもほぼ同等の表現があります)頻繁に見受けられるのでしょうか? 私は量子化学の先生の講義でも聞いたことがあるのを覚えています。納得いきません。これは真偽を決定付けられる文献があるはずです。

  • semikuma
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回答No.2

私は物理を専門に研究している訳ではないので、ハイゼンベルグが本当にそう言ったか、どういうシチュエーションでそれを言ったかまでは知りませんが、ここに書かれていることをそのまま解釈すると、次のようになります。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 極微の世界を正確に測定しようとすると、どうしても擾乱が生じてしまう。 例えば電子に短波長の光を当てると(コンプトン効果などにより)電子の位置も運動量も変わってしまう。 だから(位置と運動量のような)2つの物理量を同時に確定することはできないのだ。 ・・・・・・・・・・ これを認めてしまうと、光を当てる以外の測定方法が開発されれば、(先に挙げたさかずき一杯の湯の温度の測定のように)不確定性原理で規定される測定限界(プランク定数h)を超える精密な測定が可能となります。 それに対して「区別して考えなければならない」と書いた人は(その人の頭の中まで私が知る由もありませんが)、「それはちょっと違うんでないかい?」という気持ちで書いたものと想像されます。

  • semikuma
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回答No.1

ウキペディアはいろいろな人が(比較的)自由に編集できるので、時として前後に矛盾があったり、同じことが別の言葉で何度も書いてあったりします。 ご指摘の文言は今年2月28日に書き加えられたようですが、確かにちょっと解り難いですね。 あと何ヶ月か経てば誰かがもっと解り易く編集してくれるでしょう。 私なりの解釈では、「不確定性原理は『原理』そのものであって、ハイゼンベルクの思考実験のような『測定による擾乱』や『測定器の精度や誤差』ではないよ、これらと区別してくださいね」と主張しているものと思います。 例として、有名な寺田虎彦の課題「さかづき1杯の湯の温度を正確に計るにはどうすればよいか?」を考えます。 例えばガラス温度計を突っ込むと、温度計の温度で擾乱されて元の温度は計れません。 しかし現代なら、放射温度計を使えば簡単に計れます。 このように、「2つの物理量を同時に確定することはできない」のは、測定や測定器の技術が未発達のためではなく、『原理』的に確定できないというのが「不確定性原理」です。

ga111
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 もう少しお伺いしたいのですが、ハイゼンベルクの思考実験は正確に不確定性原理を反映した定性的な表現といっていいのでしょうか? 不確定性原理がほかの基礎的な原理から導かれる「定理」であることは理解しています。 ハイゼンベルク自身が間違った不適切な定性的な表現をするとは思えないのですが? 「前述の証明とは異なる種類ものである」という文が適切かどうかという疑問にもなります。

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