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輪廻転生について考える
一般的に人間の成長とは経験や知識の積み重ねによって構築されていくものだと思います。 しかし、輪廻転生という方法では前世の記憶がありませんので、常にゼロ(赤ん坊)から始めなければなりません。 輪廻する魂が同一のものとするなら、これは人生というチャンスにおける一発勝負を意味しているのでしょうか。 それとも輪廻によって魂の変質が起こり、より良き者へと変わる人生という名のステップでしょうか。
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- littlekiss
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こんにちは、shift-2007さん。 ●一般的に人間の成長とは経験や知識の積み重ねによって 構築されていくものだと思います。 ↑ うーん、なんかたんなくないですか? ひと味 うん、みずくさいぞよ。|(><)| “経験や知識”も大事か分からんけど やっぱ、人とのかかわりなんちゃうやろか? ひとが抜けてますやん。 だれがだれとどうかかわるかでも 状況一変することおまへんやろか? こんな手があったかと (e_e).。oO( @@)( ◎◎)驚き 桃の木 目から鱗 参考本にこれひとつおいていきます。 (思考の助けになるかもしれません。) 『幻刻(とき)の門』 菊地昭夫著 竹書房
- tamatama_8
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質問の意味を理解していなかったらすみません。 転生があることを前提にしますが、転生の際には通常一般的な記憶はないですし、より良き者へやステップを重ねたい人、人生を楽しみたい人にはチャンスなのかもしれませんが、環境や時代もそのつど違いますし、戦争中の国に生まれることもあるかもしれませんよね。 転生というものをシステムに例えるとしたなら、リスクやマイナスのほうが大きい場合もあると思います。 これも個人的な意見ですが、生まれること、死ぬこと、すべては真に選択できることが望ましいと私は思います。
お礼
>戦争中の国に生まれることもあるかもしれませんよね。 >リスクやマイナスのほうが大きい場合もあると思います。 そうですね。 それはある意味人生とは楽しむような娯楽ではないということではないでしょうか。 そして輪廻の目的からすれば知識や経験はあまり重要ではないのかもしれません。
輪廻転生につきモノの『カルマの法則』で、 人生のリセットとはいかないそうですね。 『阿頼耶識』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98 に、業が刻み込まれるのかな。 で、死んだら、エネルギー?に成って生まれ変わるに相応しい身体や環境などを自ら選択し、 いや、強制的に相応しい身体や環境に生まれてくるとか。 そして、因が縁を作り縁が出来れば結果が生まれ報いを受けてまた因が生じる。 そして、重ねた業の重さ?を阿頼耶識に仕舞い込み死んでいくとか、 で、また、輪廻転生し相応しい場所へ生まれ、阿頼耶識に仕舞われた業を展開していき成長するとか。 なので、ゲーム機のゲームの様にリセットで初めから新たに人生を始められれば、 業とかカルマとかいう言葉が無かったかもね?。 そうそう、赤ちゃんが子宮から産道を通り抜ける時に前世の記憶を痛みで封じ込められるとか。 業(カルマ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
お礼
ご回答ありがとうございます。 輪廻の輪から抜けることが輪廻の目的と思われますので、 輪廻のルールでは業もクリア条件の一つかもしれませんね。
輪廻転生は信じていませんが、質問は面白い。あると仮定しまして。 一発勝負じゃないですかね。#1のかたが仰っているように、賽の河原です。一回完結、毎回リセット。 前世で功徳を積めば、次は恵まれた環境、恵まれた才能、いい人生・・というわけではないと思います。次にどう生まれ変わるかは、前世に関係なくランダムに振られるような気がするんですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一発勝負と考えるなら人生を無駄には出来ませんね。
- kigurumi
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No.7です。 >魂>命>体という感じで、DNAなんかも言葉はわるいですが道具にすぎないと思うのです。 ということは、関連性があり、連携してはいるが、独立した存在が魂じゃないかってことですよね。 「魂の叫び」とか聞きますよね。 本来の自分が望むものとは違うとき、「魂の叫び」とか、、、そんな表現をする。 何かを得た時、「魂の叫びで」とか得たことに満足したことを表現したり。 それは自由意志のことなんじゃないかな って思うんですね。 で、人間には自由意志があるか。 オイデプス物語だったか忘れましたが、主人公が船旅をするんですが、ローレライの歌声は聞きたい。 ローレライは歌って船を岩場に誘導して、難破させる。 歌声は聴きたいが命は惜しい。 で、どうしたかというと、自分をマストに縛ってもらい、自分以外の船員の耳にロウをつめて、漕がせた。 ローレライが出てきて、歌を歌うので主人公はそっちの方角に船を向けろと叫ぶが、船員たちには聞こえず、船はローレライの方角に向かわない。 主人公は歌声を聞きながらも、生きてその場所を通過でき、港にたどり着いた。 ということは、魂は欲望ってことですよね。 ところが欲望どおりにやっていたら、周りから煙たがられたりするので、自制して、自分は望まないが回りが自分に期待するようにふるまう。 でも、本来の自分の希望じゃないので、「これが自分じゃあない。魂がこんなにも叫んでいる」とか言うんじゃないか と。 ということは人間には自由意志はある? 面白い実験をした人がいます。 物を取る実験。 物を取ると脳が命令をして、筋肉に命令を伝え、筋肉は物を取ろうと動き出す。 ところが、計測器をつけて調べてみると、脳が物を取ると判断してピカンとセンサーが光るその1秒?(忘れた)前に、すでに筋肉を動かす命令をする脳の部分が点灯した。 自分が命令する前に、すでに筋肉は動こうとしている。 誰? 誰が手に命令をしているの? ということは、自分が望んだから物を取っているようで、実は自分じゃない何者かが自分の体に命令をして取っている? とにかく自分が望まなくても、物をとってしまった場合、取ったってことは自分が望んだから と自分は理解するしかないわけです。 「なんで 動くなって言ったのに」といわれたら「おなかすいていたから」とか「馬鹿みたい つきあってられないから、命令に背いたのさ」とか。 自分が納得するような後意味づけしてはいないか? まっ ともかく、人間って自己防衛本能が備わっていますから。 で、最初はできなくても、だんだんやっていくうち、うまくできるようになる と経験上知っていますから。 その応用で、人生 何度でもやりなおせば、いい状態になるはずだ って考えるようになったんじゃないか と。 だから転生ってものが考えられたの かもしれないですね。 関係ないかもしれませんが、地球の地軸って黄道12星座の方角に向いてぐるぐるまわっているらしいです。 1周するのに2万5千年以上かかるらしいです。 で、初期のキリスト教徒は魚をシンボルとしていたが、その通りで、うお座にはいるときだったから。 その前はおひつじ座だったかな? その前はおうし座。 だからモーセは牛の像を破壊させた。 おうし座の時代が終わり、おひつじ座の時代に地球の地軸が向いたことを、古代の人は知っていたから。 しかも グルグル回るって知ってた。 で、解脱ってのが、このグルグル回る法則から抜け出ることですよね。 イエスの「この世の終わりにもう一度来る」って言ったとされるのは、この世 じゃなくて この時代。 なんの時代かというと、うお座の時代。 で、うお座の時代が終わったら(この世が終わったらと誤訳された?)どうすればいいかと弟子が聞いたたら、「水がめの男の家に入れ」みたいに答えた。 聖書作家はうお座の次はみずがめ座の地軸が向くと知っていたってことですね。 でぐーるぐーるしてますので、うお座またやってきます。 宇宙の携帯が乱れないかぎり、ぐーるぐーると。 この地球の軌道が名瀬が人の起動になってしまい、輪廻転生って概念になった ってことは無いでしょうか。
お礼
>ということは人間には自由意志はある? >誰? 誰が手に命令をしているの? 「私」=魂というより、「私」は魂の一要素のように考えるとどうですかね。 >この地球の軌道が名瀬が人の起動になってしまい、輪廻転生って概念になった ってことは無いでしょうか。 どうでしょうね。まあ私の場合あと40年もすれば寿命がきますからそのときに分かるでしょう。だから輪廻転生の真偽については必ず分かるのです。そのうち。だから今はそれについて云々言うのは取り越し苦労というものじゃないでしょうか。
- w-hiterose
- ベストアンサー率28% (11/39)
まず、ご理解頂いていると思いますが・・・。(前回わざわざ説明しなかったのでw)私は輪廻転生や魂の存在を信じているわけではありません。「ある」と仮定して考えるということですよね。 さて >つまり一発勝負ということですよね。 そうですね。輪廻の回数を重ねれば自動的に・・・。とは行かないと思います。 >しかし、なぜ我々は欲を断ち切らなければいけないんでしょうね。 ・断ち切らなければ「いけない」わけではないでしょう。輪廻から抜け出したいと望んで生きることをしなければ、必要はありません。望みはしなくとも、「私として生きたい」という欲を「手放す」ことがあれば、勝手に抜け出ているかもしれませんし。 ・輪廻から抜け出すのに「欲を絶ちきること」が必要だと考えるのは、輪廻から抜けることが易しいことではないという先入観があるのかもしれませんね。だから人にとって一番難しいことはなんだろう?と考えたのかも。生存欲求を断ち切ることが一番難しいだろうと。 ご質問の趣旨とずれてしまいますが・・・。輪廻のからくり・この世あの世のからくり、すべて知ることができたとしても、私がくだらない、どうしようもない人間であることは変わりはなく、自ら死を選ぶにしても、生きて行くにしても、どちらにしろただ死ぬまで生きていくだけで・・・。なにも変わらない気がします。正しい行き方・正しいゴールも・正しい誰かに誉めてもらおうとも、認めてもらおうとも思いません。ただ、少しでもどうしようもなくなくなりたいです。そのための自己研磨・・・励めたり、励めなかったり(T0T)
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 >私がくだらない、どうしようもない人間であることは変わりはなく そうですかね。 私とはなんだろうと考えていくと価値という物差しでは計れない存在と思えるのですが。
- qsxdrfvgyh
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「輪廻する魂が同一のものとするなら」と質問者さんは書いていますので、『不変の実体/霊魂』を想定しているのですね。魂の特性をどのように見ていますか。僕の先の回答では、心身二元と書いてしまいましたが、より正確には、霊肉二元と書くべきでしたが、霊肉二元又は霊身二元とお考えでしょうか。この点は、重要な確認作業です。真如理解のチャンスだと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 霊肉二元という言葉の意味が分からないのでご説明いただけないでしょうか。 私の言った「輪廻する魂が同一のものとするなら」とはそもそも同一でなければ輪廻とは言わないだろうという意味だけです。
No.12です。 ☆☆ 辻つまを合わせようとし 納得のいくようにする ☆ のでないなら 前世という観念は 要らないはづです。因果応報の貫徹性のためにでないなら 記憶のない過去を持ち出す必要はないのではないでしょうか? したがって 《輪廻》にかんして ★ 分かっている事実は「わからない」ということだけです。 ☆ という事態は どうでもよいことです。もちろん《わからない》のですが 問題は 前世からの因果関係があると捉えて 辻つまを合わせ 帳尻を合わせることができたら いいということにあります。 つまり いま現在における思考だけの問題です。そういう気分になれれば いいという問題です。 というよりも もっと具体的には 誰かが触れておられたように バラモン階級は 前世で善を積み 下層階級の人は 前世で悪をおこなった そのような結果が 現世にあらわれているという思想であるはづですよ。それで 納得したということなのでしょう。 むろんギリシャだとか ほかの地でも 輪廻の考えは あったようですが 因果応報を問題にしないのなら あまり 取り上げる必要はないと思うのですが。 善因に善の結果 悪因に悪の結果という思想と関係ないのならば 前世を持ち出しても 持ち出さなくても この現世からの一からの出発という前提は すべて等しく当てはまることになります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >因果応報を問題にしないのなら あまり 取り上げる必要はないと思うのですが。 そうなんですか? 私にとっては因果応報にはあまり興味がなくて、輪廻を繰り返すほうが問題なんですが。帳尻あわせについても私個人にはそんなつもりはないのです。
- tyr134
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なかなか興味深いテーマですね。 勝手ながら「輪廻転生があるならば、何故「赤ん坊」には前世の記憶が無いのか?」という疑問に読み替えて答えてみます。 ここで問題になるのは「前世の記憶」ですね。 人間の脳は面白いモノで、「忘れる」という機能が備わっていますね。 ということは、「前世の記憶」は「忘れる」事が出来るはずです。 ということは、「赤子」に「前世の記憶」が無かったとしても、「忘れたんだ」と解釈すれば、矛盾は無くなりますね。(ちょっと強引すぎる気もしますが・汗) さて、この「前世の記憶」的な物につてい、西洋哲学でも面白い議論があります。 いわゆる「生得観念」と言われるモノに対する論争ですね。 イギリス経験主義の代表者、ジョン・ロックは「赤子は白紙の状態で生まれてくる(タブラ・ラーサ)」と唱えています。 つまり、人間の記憶は「真っ白な紙」であり、生まれてからその「紙」に記憶が書き込まれていくのだと考えました。 それに対して、ドイツの哲学者ライプニッツは生まれたばかりの赤子を「大理石」に例えています。 一見、真っ白に見える「大理石」には「細い筋」が通っています。 人間の記憶も、同じように「微小表象」があらかじめ書き込まれているといいます。 ただし、「大理石の筋」が後に出来る「彫像の形」を決定づけているわけではないように、その「微小表象」も人間の人格形成を決定づけているわけでは無いといいます。 まぁ、無意識というか「生得的に持ってる何かはあるが、それが人生を決定づけているわけでは無い」という考え方ですね。 「記憶」に関していえば、ロックの考えに立てば「輪廻転生」は無い事になりますね。 逆にライプニッツの立場に立てば、「大理石の筋」が「前世の記憶」になるかもしれません。 中途半端な駄文で失礼しました。 参考になれば幸いです。
お礼
人の個性も生得観念からくるものがあるのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
まづ ウィキぺディア:《輪廻》=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BBの解説から 次の二箇所を取り上げます。 ▲ § ヒンドゥー教における輪廻 ~~~~~~~ 生き物は、行為の結果を残さない、行為を超越する段階に達しないかぎり、永遠に生まれ変わり、生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定される。 これが、業(行為)にもとづく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得) ▲ § 仏教における輪廻~~~~~~~~~~~ 大乗仏教では、六道輪廻を超越した上に、縁覚・声聞・菩薩・如来の世界があるとし・・・た。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これらを見る限りで 輪廻の思想は この世に生まれて来てからのわが人生について 辻つまを合わせようとし 納得のいくようにする思考形式であるようです。 つまり 実際に生まれ変わるかどうかは 問題になっていません。この世での人生を振り返ってみても いま現在の生活境遇は 自業自得だとは 納得が行かないというとき その原因を さらに 誕生以前の過去に 求めるというだけの話です。実際にそうであるかどうかは 問題になっていません。(むろん 分かるわけもありません)。 あるいは 《学問や芸術や利他行によって 六道輪廻を超越した》というとき ならば もはや 輪廻を想定することなど 要らないのです。 これらのことを踏まえて ご質問の内容を いま一度明らかにしていただけないでしょうか? 輪廻転生には関係のないかたちで 人生論なら人生論を問うておられるように思われます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も輪廻があるかどうかは分かりません。 分かっている事実は「わからない」ということだけです。 だからといってむやみに否定していては芸がないので、あるという前提の下に輪廻転生における問題点『前世の記憶がない』ということに関してどう考えたらいいのかと問いました。人生論とはリンクさせていないつもりです。たぶん >辻つまを合わせようとし 納得のいくようにする思考形式であるようです。 ここの部分はなぜそういえるのでしょうか。 まぁ私もそう思わないわけではないのですが、それが事実、前世の業によるものではないと否定はできないのではないですか。
お礼
>やっぱ、人とのかかわりなんちゃうやろか? うむ。 ちーといつ