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障害者の人づきあい

自分は精神障害者で、大卒後勤めた会社を度々首になりました。 学者ならば障害者でも勤まるとの医者の指導に従い30になってから 大学院にいきましたが、勉強も難しく、案の定そこでも干されており 修了はできそうですが、学者はあきらめました。 ところでこのたび大企業に就職が決まりました。 今困っているのは、今後どうやって、生きていくか、人付き合いをしていくか?ということです。 この年まで地獄のような生き方をしてきました。 その結果、一般人の経験を積んでいないので人付き合いも わからず、雑談すらできません。 恥ずかしいことに「友人」すらいないのです。 どうすれば、今後人付き合いができるようになるのでしょうか? 会社に入ったときにも、自分のこれまでのことを普通に話したら 「ヘレンケラーの伝記」そのものになり絶対に引かれます。 親も右往左往するばかりで就職にはほとんど手助けしてくれません でした。 ここで皆さんのお力を借りたいと思います。

みんなの回答

  • marnya33
  • ベストアンサー率36% (12/33)
回答No.1

質問の文面からは精神障害なんて感じられないんですが・・・ とりあえず私の考えをお伝えします。 >恥ずかしいことに「友人」すらいないのです。 恥ずかしくないですよ。本当に「友人」と呼べる人を持っている 人って意外と少ないもんですよ。 >その結果、一般人の経験を積んでいないので人付き合いも わからず、雑談すらできません 人とのつきあい方に公式はありません。一般人の経験が無いと 言いますが、雑談の話題なんて自分の趣味とか最近のテレビの ニュースや番組の事だったり、たいしたことは話してないですよ。 つまり「何か雑談しなきゃ!!」っていう気負いみたいなものが かえって話題を狭く、難しくしているのかもしれませんよ。 >自分のこれまでのことを普通に話したら 「ヘレンケラーの伝記」そのものになり絶対に引かれます それが分かっているなら、自分の過去の話は基本的にしないよう したらいかがでしょう。確かに人は自分と異質なものに恐怖や 拒否感を持ちがちです。自分の過去なんか話してもたいていの場合は 他人にはどうでも良い事が多いですから、一般人同士でもあまり 聞きたがらない(面倒くさいから)人が多いと思います。 人付き合いがテーマのようですが、一般人でも頻繁に付き合いが あるのは、共通の何かに関わる場合が多いと思います。 同じ趣味とか、サークルとか、会社とか・・・ 会社の場合は同じ部署という共通要素があってもみんな友達という わけでは無いですから、全員と仲良くする必要は無いと思います。 具体的にこれからどうしたら良いか? こういった問題に特効薬は残念ながら無いと思います。漢方薬の ように時間をかけて改善していく以外は難しいのではと考えています。 でも、結果それが一番の早道とも思いますが・・・ もし私なら、とりあえず、無理に友達作りをしないで会社のサークル とかに参加ます。無口なふりをしてあまり話をしません。なぜなら 人と話すのが苦手な内に無理に話して他人から「変なやつ」という レッテルを貼られると、はがすのが本当に大変になるので、しばらくは 「無口な謎の人」キャラで行きます。 そして、例えばテニスサークルに入ったとしたら、テニスのみに集中し て、会話もテニスの質問以外はしないように心がけます。 そのうちにテニスについて他の人と語り合ったりする機会が自然に 湧いてくると思いますよ。「テニス」という共通の話題ですから 雑談でも、技術向上の真面目な話でも会話には困らなくなるのでは 無いでしょうか?そんな経験を積んでいる内に自然に他の話題でも 雑談が出来て、更にそのうちに友人と呼べる人も現れるのでは? そうすればこれまた自然に「無口な謎の人」キャラが無くなっていく と思いますよ。 もちろんスポーツサークルじゃなくてもなんでも良いと思います。 又、会社のサークルじゃなくてもインターネットで色んなサークル 活動があるので、そういったものに参加するのでもかまわないと 思いますよ。 一般人でも「今日から俺たちは友人な」と決めて友人になる人は いません。共通の話題や付き合いの中から自然に出来るものと思い ます。 次に精神的に障害があるような事を言ってますが、現代の医学の中で 一番解明されていないのが精神医学であると思っています。 なぜなら「心」は定量的には計れずその解明を試みるなら、 霊的なものも含めた超自然科学の解明も同時に必要になると思います 従って、自分の精神と向き合う一つの方法として、本を読むのは いかがでしょうか? 私は宗教は嫌いですが、仏教の考え方は好きです。私の偏見では 「宗教とは、仏教やキリスト教等の教典を基に集まった人の集まり」 と考えています。宗教に参加する気はないですが、私のお薦め本は 「般若心経」の本です。訳本が何冊か出ているので数冊読む必要が あります。大筋の解釈は一緒ですが本によって微妙なところで 解釈が違うので、数冊の中から自分が一番しっくりくる訳本を 数回読み返していくと、ある時何かの「気づき」に出会えると思い ます。悟りなどと言う大げさなものではなく、自分の人生における 「気づき」が、自分の行動の様々な場面で助けになります。私の場合は そうでした。 とにかくあまり気負わず、思い詰めず「なるようになる」的に気楽に 考えることが解決の一つと思いますよ。頑張って!!

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