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ルドルフ皇太子の死:暗殺か心中か?
- オーストリア皇太子ルドルフの死は、暗殺の可能性も指摘されています。実際の部屋の状況や遺体の状態などから、自殺ではなく殺害されたと考える声もあります。
- 教会が自殺者の葬儀を許可したことや、部屋の血痕や争った痕跡、複数の銃弾が見つかったことなどが、暗殺説を裏付けています。
- しかし、ルドルフ皇太子の個性や関係者の証言を考慮すると、彼が暗殺の標的になる可能性もありました。首謀者については複数の説がありますが、詳細な証拠は乏しく、まだ不明な点が多いです。
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2)首謀者について・・・動機のある人物がありすぎて絞れませんが、故ツィタ皇后は政府要人が絡んでいると発言していたようですね。 ルドルフ皇太子は自由主義に傾倒し貴族批判を繰り返し、立憲民主制を望んでいたそうなので、彼が皇帝になるのを不都合に思った人物は政府にも貴族にも大勢いたでしょう。 さらには、ルドルフ皇太子はドイツと手を切り、フランスとロシアとの同盟を望んでいました。故にドイツとの同盟の存続を願う者や、ドイツから見れば、ルドルフ皇太子が皇帝になるのは不都合だったでしょう。 上記の2点でルドルフ皇太子は父であるフランツ・ヨーゼフ1世と激しく対立していたそうです。帝国の安定した存続を考えるべき立場の皇帝としては、ルドルフ皇太子は、もはや不都合な存在だったとも言えます。 問題のある跡継ぎを廃嫡、または殺害する事は歴史にはよくある事です。 精神的に不安定になったルドルフ皇太子は、冷え切った関係にある正妻ステファニーに、ピストルを突きつけ「そなたを殺して私も死ぬ」と言った事もあったとか・・・また、ステファニーは嫉妬深い性格だったそうです。夫の愛人問題に嫉妬し悩み、また夫の不安定な精神に悩まされたステファニーが、首謀者だったとしても私は驚きません。 歴史を見れば、どのような国でも王位を争い暗殺や戦争が起こる事は珍しくありません。ルドルフ皇太子が亡くなり、皇帝の座に近づいたのはフランツ・フェルディナントです。彼自身が望んだ、またはその側近が主君を皇帝にする為に暗殺をたくらむという事はいかにもありそうです。 つまり・・・ 1.ルドルフ皇太子の政治思想に反対する政府要人や貴族。 2.ルドルフ皇太子の外交方針に反対する政府要人。またはロシアとフランスに結びつかれると困るドイツ。 3.帝国の将来を憂慮する皇帝。 4.夫との愛憎問題を抱える妻ステファニー。 5.次代の皇帝の座を狙う者。またはその側近。 など、色々首謀者が考えられます。 故にルドルフ皇太子の死が暗殺だとしても驚きませんし、昔から暗殺説はありました。 1)暗殺なのか自殺なのかは分かりませんが、私としては故ツィタ皇后が言った事をそのまま鵜呑みにはできません。 当時、検死に当たった宮廷侍医のヴィーダーホーファー博士の報告とは、全く違ってきますし、故ツィタ皇后の発言は、事件から94年も経った1983年の話ですから。もはや証人も確たる証拠も集めようがありませんし、証明しようがありません。 そもそも事件のあった1889年にツィタは生まれてもいませんし、その夫になるカール1世は2歳です。 そのカール1世に、1916年になってからフランツ・ヨーゼフ1世が犯人を捜させるといのも腑に落ちません。事件から27年も経っていては、殆ど不可能でしょう。現代のようにDNA鑑定を始めとする科学捜査ができる訳でもないのですから。 それに、故ツィタ皇后の発言は信頼できるのか否か、私には微妙です。 そもそも彼女は自分達の住んでいた宮殿に霊が出たとか、ポルターガイストが起きたというような事を手記に残している人でもあるので・・・ 霊を信じない私としては、どうも・・・ また、タブロイド紙に発言した当時のツィタ皇后の財政事情は分かりませんが、一時は酷く困窮していた時代もあったようですし・・・ ハプスブルク家に世間の注目を集め、同情を引き、将来のハプスブルク家、復権への一手として故ツィタ皇后が、暗殺説を出してきたとしても私は驚きません。故ツィタ皇后は最後まで、ハプスブルク家の復権を望んでいたそうですから。 まあ、マリーが母親にあてた遺書や、ルドルフ皇太子が妹のヴァレリーや、妻のステファニーにあてた遺書もあったので、やはり自殺ではないかと思いますが・・・ なお、私から見れば、ハプスブルク家だけでなく、ロマノフもブルボンも王家はみんな陰謀渦巻いてるように思います。
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- DieMeute
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NO.2です。ちょっと補足を・・・ フランツ・ヨーゼフ1世と皇太子ルドルフの決定的な対立は、「マイヤーリンク事件」直前の事です。 それまで、ルドルフ皇太子は自らの政治姿勢や外交姿勢について、皇帝と表立って激しく対立するという事はしておらず、水面下での動きの方が大きいものでした。外交方針については、皇帝に親露政策を進言するものの、自由主義や立憲民主制への傾倒については、皇帝も当初は知らなかったと言われます。 しかし、1988年にドイツでヴィルヘルム2世が即位し、その軍国主義、拡大主義、ドイツ民族主義に危機感を抱いたルドルフ皇太子は、独自に親仏・親露・反独姿勢の動きを強めます。それが表面化しウィーンの新聞などにも書かれ、遂には皇帝の怒りに触れます。 そして1989年1月26日、皇帝と皇太子の二人だけの間で激論が交わされます。それは廊下まで聞こえたそうです。皇帝は外交から女性問題まで皇太子を叱責し、一説によると、ここで皇帝は皇太子に、皇帝の位は継がさないと言ったとも言われています。 皇帝にとり皇太子は一人息子ですし、多少の問題はあっても初めは皇帝の位を継がす気は当然あったでしょう。しかし、この日の激論はそれを揺るがしたのかもしれません。 そして、その4日後、「マイヤーリンク事件」が起きます。 つまり、26日の激論で皇帝が皇太子を見限って暗殺したとも、皇太子が皇帝に見限られたと思い自殺を図ったとも、考えられると思います。 正妻ステファニーについてですが、問題はステファニーが愛人マリー・ヴェッツラやミッチー・ガスパールをどう思うかではなく、夫であるルドルフをどう思っていたかが重要な問題だと思います。 ステファニーは公けの場で、夫に愛人の事を難詰し、夫の体面に傷を付けています。 また、ステファニーは、愛人宅に行く夫を尾行し、夫が愛人宅に入った後、皇太子専用馬車だけを先に帰宅させています。その為、ルドルフは愛人宅から出てきた時、馬車がなくて困惑し、それを見物していた街の人々はルドルフを笑ったそうです。 もう一つ問題なのは、「マイヤーリンク事件」直前、ウィーンの社交界や外交筋では、ルドルフとステファニーの離婚話が公然と話題になっていた事です。もし、その離婚が実現したとしたらステファニーの面目はどうなっていたでしょう。 公の場で夫の体面を傷つけ、また市民の笑い者にするほどのステファニーです。彼女が、思い余って憎い夫を暗殺したとしても、私は驚きません。 マイヤーリンクは狩猟場の館で周囲に人は少ないでしょう。暗殺にはうってつけです。もし、ステファニーが暗殺を命じたのならマリーは、その巻き添えを食ったのかもしれません。もしその場にマリーではなく、ミッチー・ガスパールがいたのならルドルフと一緒に死んでいたのは彼女になったのかもしれません。
お礼
大変参考になる御進言ありがとう御座いますm(_ _)m 如何せん、情報が少なく資料もないので困っています…;(まさかドイツ語を学ぶわけに…しかないのかなぁ;) >水面下での動きの方が大きいものでした >皇帝も当初は知らなかったと言われます そうでしたか…私はそれまでの経緯からてっきり皇帝も御存知かと思っていましたが、直前まで知らなかったとは…。 >26日の激論で皇帝が皇太子を見限って暗殺したとも、皇太子が皇帝に見限られたと思い自殺を図ったとも、考えられると思います なるほど…。 私は暗殺の場合、皇太子ともなるとよほどの政府高官じゃないと実行(指示もしくは容認)できないと思いますので、皇帝は一枚噛んでるとは思っていましたが、こうなると首謀者の一人でもおかしくはありませんね…(暗殺の場合)。 >夫であるルドルフをどう思っていたかが重要な問題だと思います なるほど…。 愛人のマリーではなく、皇太子ルドルフ自身を見落としていました。 >「マイヤーリンク事件」直前、ウィーンの社交界や外交筋では、ルドルフとステファニーの離婚話が公然と話題になっていた >もし、その離婚が実現したとしたらステファニーの面目はどうなっていたでしょう むむ、う~む…。 おっしゃる通りですな…。 いや、しかし歴史としての重要性は皆無なんでしょうけど…実に面白い!:笑(いや、面白んじゃいけないんでしょうけど…;) どっちにしろ、後のフランツ・フェルディナント大公御夫妻の死は「決定事項」でしょうし…(私はあの暗殺が失敗しても遅かれ早かれ暗殺かそれに代る事件が起き、第一次世界大戦は勃発したと思うので…)、歴史家はルドルフ皇太子の死なんて興味ないんでしょうけど(ハプスブルク家のお家騒動ぐらいの扱いか?)、後のフランツ・フェルディナント大公もこれがまたルドルフに負けず劣らずの一癖二癖もある人間ですし、当時のハプスブルク家の様相は実に興味深いですなぁ…。 なんでも…て、また長くなったので、一旦切ります…;(もう少しお礼の文字数制限を下げて欲しいですな…;)
補足
すいません…例に倣ってNO,2同様、こちらが続きです;(下がNo,1)。 フランツ・フェルディナント大公もルドルフ皇太子同様あまり快く周囲から思われてなかったようですな…。 そもそも、チェコ人の妻と結婚するだけあって親スラブであり、さらに大のハンガリー嫌いとは…。 正直、暗殺者もどうも気になります…バックとか。 どうもこの頃の皇室というか、ハプスブルク家の皇太子は不穏な動きが多過ぎる気がします…。 しかし、ルドルフ皇太子は暗殺されても自殺してもおかしくない状況ですね…; 敵も十分過ぎるぐらいに多いですし…。 しかし、その一方で親ドイツと思われていたオーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク家)も蓋を開けてみると、どうもそうではないようで…。 実は今、第一次世界大戦の原因を調べてるんですが、どうも調べれば調べるほど世間で言われてるのとはまた違った様相が見えてきて、どうもおかしさというか、不に堕ちないというか、後ろ暗いものがどろどろと渦巻いてるようで…非常に気になります。 (すみません、ポイントは100点ぐらい気持ち的に付けたいんですが、20までが限界なのでそれで許して下さい;)
- lvmhyamzn
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どういう回答を期待されているのでしょうか? 謎とされてるものをここで質問して回答が出ると思いますか? ここで誰かが回答できるならば、質問文にある「歴史の永遠の謎ですが…。」というのは何を意味する?
補足
そう言ってたら何も真実は出てきませんよ? 典型なオウム返しとお見受けしました。 (しかも、参考サイトがウィキとは…何とも残念な限りです)
お礼
おお。 詳しい解説と予想ありがとう御座います。 >正妻ステファニーが首謀者 愛人のマリー・ヴェッツェラとはルドルフは既に関係が冷め切っており、そのことも正妻ステファニーは知っていたようなので、嫉妬はしていたが私は首謀者ではないと見ています(たぶん、もっと早く殺していたと思うので。あと、ルドルフが一番入れ込んでたのは娼婦ではないかと…)。 >ツィタ皇后の証言は鵜呑みにできない そうなんですよ。 特にツィタはハプスブルク家再興を願ってますから、都合の悪い証拠を捻じ曲げ、何者かから「ハプスブルク家再興に必要だから協力してくれ」と言われれば、高齢で元々プライドの高いツィタ皇后のこと、簡単に乗りそうな気がしてなりません。 特に仰るとおり財政的に貧窮してるとなればなおさらでしょう。 ただ、「暗殺そのもの」はあったのではないかとみています。 ツィタ皇后やその他の人々は真実を反らす為に利用されたに過ぎず、恐らく暗殺は本当にあり、恐らく「皇太子に非常に近い人物」かそれに近い「非常に地位の高い人物」だったと睨んでます。 >自殺説 直前に公の場でドイツ軍服(正装)を着させられてるので、自由主義の強い皇太子にとっては、耐え難い屈辱だったのも確かです。 ただ、同時に「このままではパプスブルク家がやばい」と周囲の皇族が思った事も予想されます。 不都合な事情を反らし、これ以上悪化しないようにルドルフを消すのは非常に整合性がいく気がするんです(むろん予想の域を出ませんが)。 すいません、長くなったので一旦切ります…;
補足
(長くなりましたので、別けました…;こちらがNo,2です) >皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 息子が問題児なのは一番父親がよく分かっていたでしょうから、暗殺するぐらいならそもそも皇太子に置かなかったのではないか?、と考えています(ただし、権力闘争もあるでしょうから、一概にはそういえないんですが…;) 私個人の予想としては、当時既に厳しい監視を受けていた事やマリー・ヴェッツェラとの関係が冷え切っていた事、そしてルドルフ皇太子自身の精神が不安定だったのを考えると、周囲の人間(首謀者も)が皇太子に心中(自殺)をけし掛けたか強制したかしたのではないかと…。 そのまま従ったのか、あるいは何かあったのか(拒否した?)分かりませんが、最終的に「皇太子ルドルフの死」そのものは予定調和だったのではないか…と。 どこまでで誰が関係者なのか分かりませんが、口裏合わせはよくある話なので、物的検証の乏しい当時ならいくらでも暗殺がやれてしまうのが恐い所ですね…;(むろん皇太子ともなると話が違いますが、ルドルフ皇太子自身は色々と問題が多いので、協力者は事欠かない…) もっとも、仰るとおりただの自殺(心中)だったのかもしれません…。 いずれ自殺するだろう事も予想できましたので、それまで時期を待つ、あるいは誘導する事も出来ましたし、ルドルフ自身は皇太子といえど劣勢で、父フランツ・ヨーゼフ皇帝も健在でしたから…。 しかし、消去法でいってもあとからあとから濃厚な人物が出てくるので、2)の首謀者はキリがないですね…; (1~5の予想の特定はありがとう御座います。整理の参考にさせて頂きますm(_ _)m)