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キリスト教徒、聖書における死の観念
キリスト教徒の人は死をどのように考えているのか。 聖書では死はどのように受け止められているのか。 ある文献で「罪の報酬は死である」という聖書の文句・・・・ と書いてあるのを見たのですが、その他にもどのように 考えているのか、分かる方よろしくお願いします。 文献や、サイトなどを紹介していただけると嬉しいです。
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経験の浅いキリスト教徒として。 罪の報酬は死は聖書のなかに出てきます。 それなら人はみな死ぬんだからとお思いでしょうが、 私たちクリスチャン(というか、私)は、死は天国に行くことなので 決して忌まわしい物ではありません。 ですので、お葬式などもハレルヤ!という賛美の言葉とともに 苦しみから逃れ天国に上り、父なる神の御許に行くという ことで、悲しみよりも喜びの気持ちから送り出すという形になります。 罪を犯した者の死とどうちがうのかというと 彼らは裁きを受け、天国の狭き門より入れないということです。 この場合の罪とは聖書などでいう罪で、実際の犯罪のことをさしてはいません。 たしかに実際の犯罪も罪ですが、一番の罪は 罪を犯し、悔い改めないことや、神様を信じないことですね。 未熟なクリスチャンの私の考えですが、ご参考までに。
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- J-kids
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聖書には、『人間は一度死ぬことと、死後に裁きがあることが定まっている』 とあります。 それは、すべての人が罪を犯したからとあります。 pagu-pagu様が回答されているように、 この場合の罪は聖書でいう罪で、実際の犯罪のことをさしていません。 定義としていえば、 『神さまの喜ばれないことを言ったりしたり考えたりすること』 といったところではないでしょうか。 うそ、けんか、ねたみetcこれらも罪になります。 すると、まったく罪のない神さまから見たとき、 こういったことをするすべての人、つまり私たちは、罪を犯した。 となるわけです。 公正な裁き主である神さまは、罪に対して必ず裁かなければなりません。 しかし、神さまは私たちを愛している。 だから救いの道を用意した。 それは、神の御子である罪のないイエスキリストが、十字架に架かり、 手首足首釘で打たれて、私たちの罪の身代わりとなって、死んだということ。 さらには、死後三日目に復活したという事実(聖書及び私はこう考えています) このことを信じるなら、裁きから救われて、天の御国に行くことができる。 これが聖書の(旧約新約含めた)本質ではないでしょうか。 信じたすべての人は必ず天国へ行ける約束を神ご自身がされています。 ですから、死は別れの悲しみではありますが、 永遠の別れではないので、喜びをもって賛美します。 しかし、信じなかったものには、公正な神さまの裁きがある。 だから、クリスチャンは、未信者の方に対して、 神さまからプレゼントとして下さったイエスキリストを信じてほしいという気持ちが非常に大きいのです。 これは永遠の問題だから。。。 わかりにくい文章ですみません。 あと、参照聖句を記載していませんですみません。 pagu-pagu様、勝手ながら引用させていただいたことお詫びいたします。 知っている参考サイト貼っておきます。
- ChokoRin
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ええ~? 死んだら無になる(霊は存在しない)じゃなくて? 「死の意味」についてですか?
お礼
死後の事ではなくて、死に対する観念と言う事です。
お礼
早速の回答ありがとうございました。クリスチャンの方の意見を聞けて 大変参考になりました。