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「江戸前うなぎ」とは?
土用丑の日も近く、うなぎが気になります。 うなぎの蒲焼の焼き方は、関東と関西で違うそうですね。 関東は蒸してから付焼きにする、関西は蒸さない。 「江戸前うなぎ(蒲焼)」と称する鰻屋さんがありますが、HPなどを見ると、関東風の蒲焼を出している店が多いようです。 私は「江戸前」というのは、江戸の海でとれた魚のことだと思います。 落語風に言えば、「品川沖に船を出してとってきた魚」。 だから「江戸前うなぎの店」というと「東京湾でとれたうなぎを出す店」と思っていました。 焼き方だけでいうなら、「関東風うなぎの蒲焼」とか「東京風の蒲焼」だと思うのですが、どうなのでしょうか? たくさんの方のご意見をお聞きしたいです。
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江戸で鰻が流行したのは、江戸城のお堀拡張などの工事を行った時に大量に鰻が採れたからと言われています。 その当時は筒切りにした鰻を串に刺したものや小ぶりの鰻をそのまま串に打って焼いて、味噌や酢をつけて食べていたそうです。 その形から蒲穂(がまほ)焼きといわれ、後に蒲焼という名前になったそうです。 裂きが広まったのは、1750年前後と言われており、 裂きの古い記録は、林鴻作著「産毛」(1700頃)の京都四条河原の夕涼みの絵に、露天の鰻売りが描かれ行燈には「鰻さきうり」「同かばやき」と描かれているのが見られます、蒲焼と裂きは別の料理だったようです。 また、江戸は武家が多かったので、腹裂きは「切腹」に通じると言って、縁起を担ぐ昔の人は嫌っていました、なので、関東では背を裂く捌き方が広まりました。 江戸前と言う言葉の意味は諸説あり、 1.江戸城の前でとれた鰻を江戸城前と言ったのが始まり 2.1と被るのですが、江戸時代に江戸前島という島(半島のような鼻)がありその前で採れた物を指していた、品川沖は厳密には江戸湾ではないですし、品川宿が江戸に含まれていません、江戸は高輪の大門まで(江戸後期辺りから)。 江戸湾は今のような広範囲の物ではなく、皇居の前が日比谷入江と呼ばれ、現在の皇居と東京、有楽町、新橋を結ぶラインの間は海でした。 1620年ごろには埋め立てが進み、東海道に沿った地形になります、そのときには江戸前島は消滅してしまいました。 この日比谷入り江を埋め立て、堀の工事をした時に鰻が多く採れたと言うことです、今は地名にしか残っていない小石川や平川と言う川がありました。 その後、品川沖から江戸川下流までを指すようになったと言うことです。 3.職人の仕事のことを上方(大阪)流に対し、江戸流(流儀)のと言う意味で江戸前と言った。 現在の江戸前はこの3の職人の江戸流儀の仕事を指すほうが主流になっていると思われます。 ちなみに現在のタレの味は1800年ごろに出来たようです。
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- tintagel
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江戸前とは品川(洲崎)から深川(洲崎)までの江戸の前の海のことです。初めはかなり狭い範囲のことでした。 江戸前は江戸の前の海でしたが、lucetさんのご質問のように採れた魚を指すようになったのです。 (魚だけでなく、あさり、しじみ、えび、のりなどの海産物も入ります。) 江戸前鰻は江戸の前の海で採れた鰻のことでなく、江戸で採れた鰻のことです。 (江戸前が字そのもの意味から、かなり拡大していきます。) その鰻も初めは芝浦、深川などで採れたものだけを江戸前と呼んだようですが、次第に江戸で採れた鰻全てを江戸前と呼ぶようになったようです。 最終的に江戸前は江戸前鮨(握り鮨)、江戸前鰻(背開き、蒸した後にタレをつけて焼く)など採れた場所や産物ことだけでなく、料理の仕方も指すようにまでなったのです。 *ちなみに「本日土用丑の日」のコピーが生まれた背景には夏に鰻を食べることがなかったことと、暑気払いに”う”のつく食べ物を食べる風習があったことが考えられます。しかも、今では暑気払いに鰻を食べることだけが残っているのです。 (さすがに「本日土用丑の日」のコピーだけでは鰻が売れるようになりませんよ。)
お礼
夏に鰻を食べなかった、というのはちょっとびっくりです。 子供の頃、鰻と言えば夏の魚で冬には鰻がいないのだと思っていましたから。(今は年中売っていますが) ありがとうございました。
- Syuchan-22
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自分が勝手に思ってる事ですがw 鰻は南方の深海で孵化した後に、川に遡上してきますが エサの状況によっては、河口付近に居座るヤツも居ます。 ソコで獲れれば文句なしに江戸前ですが、 その昔の東京湾周辺で言うと、 多摩川とか江戸川、隅田川、利根川水系、霞ヶ浦辺りまでは 普通に水路を使って運べましたので、 全部、江戸前淡水系って事で良かったんじゃないかと^^ また、 関東風の調理法=最大の消費地が江戸 「土用の丑の日」のキャッチコピーを考案したのが平賀源内 (讃岐出身ですが墓所が浅草なので・・・w) だったって事を考えると、関東風=江戸前でもヨサゲな気がします^^ ちなみに 普通のにぎり寿司のスタイルは江戸が発祥のようですので にぎり寿司=江戸前って見方も出来ます。 関西方面は、もともと 寿司自体の原型である「なれ寿司」とか「押し寿司」のスタイルでしたから。 それをてっとり早く食うのに屋台で握って出したのが 元祖ファーストフード=江戸前寿司って事ですw
お礼
「元祖ファーストフード」っていいですね。 いかにも気短な江戸っ子向きですね。 調理法だと正しくは「江戸風」だと思いますが 寿司は握り(調理法)を「江戸前」と言いますね。 ありがとうございました。
- hibikorekoujitu
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昔、荒川、江戸川、浦安あたりで獲れた天然物の鰻を江戸前鰻と呼んでいました、もちろん今は獲れません、ですから今「江戸前鰻」を名乗るのはおかしいと言えばおかしいのだが・・・ でも、江戸前寿司を名乗って、江戸前のネタなんて一つもない店なんてざらにあるしなー
お礼
たしかに、「江戸前寿司」は食材の産地ではなく調理法ですね。 ありがとうございました。
お礼
江戸湾、というものがあったのですね。 江戸と言うのはほんとにせまい地域だったのですね。 興味深いお話を、ありがとうございました。