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草薙の剣について
三種の神器のひとつとして伝えられている草薙の剣は見ることができますか?また、どれぐらいの年代に作られたものなのでしょうか?果たして神話の時代と対応するのでしょうか? もしできたら他の二つの神器にも回答お願いします。
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この問いに答えるのは、物語(古事記)の中では、という条件付になってしまうのですが。 まず、三種の神器についてはtoysmithさんの回答の通りです。「あまのむらくものつるぎ」は正確には、天叢雲剣と書きます。 >どれぐらいの年代に作られたものなのでしょうか? 作られたのではなく、スサノオがヤマタノオロチを退治した時に、腹の中から出てきた、という話です。 その後、ヤマトタケルが遠征に携えて行き、敵の策略で周りに火を放たれたとき、地面の草をはらって火を消し止めました。それで草薙の剣と呼ばれるようになりました。 その火を放たれた場所が、今の静岡県焼津(やいづ)です。 ご質問は、考古学上じっさいに作られた時代を知りたい、という事でしょうか? だとしたら大変な問題でしょう。とても炭素測定など調査できるような代物ではないと思います。そんな事は神道への、もっと大げさに言えば古代日本への冒涜である、と言われかねないので。 >草薙の剣は見ることができますか? ムリでしょう。安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだといわれていますが、もしあったとしても、また複製が作られていたとしても(熱田神宮に祭られているといわれています)、天皇家(というより天皇本人)でもない限り、見る事は出来ないと思います。
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- syunpei
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日本書記より 素盞嗚尊、剣を抜きて斬りたまふ。尾を斬る時に至りて、剣の刃少し き欠けたり。割きて視せば、剣、尾の中に在り。是を草薙剣と号く。此は今、 尾張国の吾湯市村に在す。即ち熱田の祝部の掌りまつる神是なり。其の蛇を断り し剣をば、号けて蛇の麁正と曰ふ。此は今石上に在す。 草薙剣、此をば倶裟那伎能都留伎と云ふ。一書に云はく、本の名は天叢雲剣。 蓋し大蛇居る上に、常に雲気有り。故以て名くるか。日本武皇子に至りて、名を 改めて草薙剣と曰ふといふ。 素盞嗚尊、乃ち天蠅斫剣を以て、彼の大蛇を斬りたまふ。時に、蛇の 尾を斬りて刃欠けぬ。即ち擘きて視せば、尾の中に一の神しき剣有り。素盞嗚尊 の曰はく、「此は以て吾が私に用ゐるべからず」とのたまひて、乃ち五世の孫 天之葺根神を遣して、天に上奉ぐ。此今、所謂草薙剣なり。 且将降しまさむとする間に、皇孫、已に生れたまひぬ。号を天津彦彦 火瓊瓊杵尊と曰す。時に奏すること有りて曰はく、「此の皇孫を以て代へて降さ むと欲ふ」とのたまふ。故、天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊の曲玉 及び八咫の鏡・草薙剣、三種の宝物を賜ふ。 熱田神宮縁起に 第12代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。 と、あります。 八咫の鏡の形は、喬木村の村章にその形が用いられています http://www.vill.takagi.nagano.jp/image/syoukai/sonsyou.gif また、草薙の剣においてこういった説もあります 三種の神器の一つの草薙剣と同名の剣が熱田神宮の神体の一つとなっているの で複雑になり、両者の関係については古来いろいろ論じられ、『古語拾遺』以来、 宮中の神器は伊勢の神鏡・熱田の神剣の模造であるとされているが、両者は本来 はべつべつのもので、倭建命の征討伝承に同名のものが登場してから混同される に至ったと思われる。 宮中の草薙剣は鉄刀であったらしく、『古事談』には陽成天皇が発狂してこの 剣を抜いた話がのっている。平安後期にはたびたびの内裏の火災で、かなり損傷 していたらしい。 源平の戦のおり、元暦二年(一一八五)の壇ノ浦の合戦で安徳天皇の入水とと もに三種の神器も水没する。源義経の努力で鏡と玉は回収できたが、剣だけはつ いに発見できなかった(『吾妻鏡』)。『平家物語』では八岐大蛇が安徳天皇と なって霊剣を取りかえしたものと語っている(巻十一剣)。神剣を失ったことで 義経は責任を問われ、兄頼朝の不興をこうむる表向きの理由の一つとされた。 そして、三種の神器の成り立ちは [1]もともと宮中には鏡・剣が護身のためにあり、それが神璽となった。 [2]それとは別に、伊勢神宮には鏡が、熱田神宮には剣が古くから祭られていた。 [3]まず、伊勢神宮の鏡が神宝とされ、次に草薙剣、最後に勾玉が加えられ三種 の神宝の観念が成立した。 といった、説があります。 このように、「草薙剣」と呼ばれる剣は、宮中と熱田神宮双方にあったとする のが、歴史学では「通説」となっているようです。 草薙剣の「クサナギ」とは、ナギは蛇を意味する。ナギは古くは蛇の意であったと認められる。クサは臭シの語幹。糞(クソ)と同根。猛烈で手のつけられない性質をいう。クサナギノツルギとは、獰猛な蛇から出 た剣の意が、最初の意味で、クサナギが草薙に連想されるところから、後に草薙 をして火から身を守るという伝説と結びついたのではなかろうか(佐竹昭広説)。 結構言葉の意味をたどっていくと、いろいろな元々意味するものがわかってきます。ちょっと時間もなくなってきましたのでとりあえず。今日はここまで。
お礼
うっかりして質問を締め切らずにおりました。お礼もせず、大変失礼いたしました!申し訳ありません! >「草薙剣」と呼ばれる剣は、宮中と熱田神宮双方にあったとする のが、歴史学では「通説」となっているようです。 やはり剣そのものは問題ではないということですか。それでいて御神体であるから見せはできないと。 なかなかお詳しいですね。さすが専門家。研究されているのでしょうか。 詳しい回答をどうもありがとうございました!
- shoyosi
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三種の神器とは「草薙の剣」「八たの鏡」「八尺瓊の勾玉」をいいます。 もともと,これらは,皇居にありましたが、崇神天皇のころ『その神勢をかしこみて共に住みたまうこと安からず』と鏡と剣が皇居より流出し、そのあと模造品を作らして皇居に保管したことになっています。元の鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮にあります。皇居に保管したものについて、そののち,火災(『小右記』に寛弘2年11月15日の出火により『神鏡、大刀ならびに契、ことごとく焼亡す。自余焼損して円規なく、鏡形を失う』とあります。),事変(壇ノ浦のときには剣はとうとう発見されていません。)にあいました。現在の剣は順徳天皇が位につくとき(1210年)、伊勢の神宮から献上されたものです。 鏡については改鑄された記録がありません。近世では内侍所という建物が建てられて祭られ、現在では吹上御苑内の一部に宮中三殿があり賢所に鏡が祭られています。剣も宮中にあることになっています。玉は天皇自らが体につけておくことになっています。 じゃ,これらの神器は,贋物ではないかと,現代の人間には,そう考えがちですが,そうではありません。日本古来の考えには,出雲大社が全国にあり,島根県にある出雲大社以外で結婚した人を誰も「ニセ」といわないように,元の物に宿っていた神霊を他のものに分霊すれば,同じ力があるもの と思われています。よく,火事とか火山の噴火のとき,老人が権利書・通帳などとともに、位牌を持ち出して避難するのを見かけますが、あれは,位牌に魂が宿っていると考えているのですが,みすぼらしくなったり,読めなくなったりすれば,平気で作り変えます。それらと,同じ考え方で,品物自体の価値ではなく,神霊が宿っているから,神器なのです。1973年5月の火事のときも無事だったとしか公表されていません。
お礼
うっかりして質問を締め切らずにおりました。お礼もせず、大変失礼いたしました!申し訳ありません! なるほどー考え方の違いですね。贋物か本物かは問題ではなく要はそこに宿っている神様を信仰の対象にしているわけですねえ。実際に見て時間の流れを感じてみたかったのです。 回答ありがとうございました!
- toysmith
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三種の神器 八咫鏡(ヤタノカガミ) 天の群雲剣(アメノムラクモノツルギ) 別名 草薙の剣(クサナギノツルギ) 八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ) 源平の合戦で海に沈んだと言う話が残っています。 勾玉、鏡は木箱とともに流れ着いたが剣は壇ノ浦に沈んでいると言う話が定説のようです。 少なくとも剣は複製でしょう。 なぜ、“定説”とか“でしょう”という言葉になるかというと情報が公開されていないからです。 “実在”する物品であるにもかかわれず情報が出てきません。 多分、調査もしていないのではないでしょうか。 宗教上の理由から「人の目が触れてはいけない」物のようです。 見ただけで目が潰れると言う伝説もあります。 現在、鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、勾玉は宮中に保管されています。 鏡、剣は複製と云われています。
お礼
うっかりして質問を締め切らずにおりました。お礼もせず、大変失礼いたしました!申し訳ありません! なるほど御神体ですからね。人目についてはいけないのですね。 やはり複製ですかね。古代から、神話を裏付けるようにそれらの神器が存在していたらロマンがあるなあと思ったのですが。 回答ありがとうございました。またなにかあればお願いします!
お礼
うっかりして質問を締め切らずにおりました。お礼もせず、大変失礼いたしました!申し訳ありません! No.1のかたの回答にもあったように、それらがいつ作られたなどということを考えることは御法度なんでしょうなあ。もし実際に見ることができたら、これがヤマタノオロチからでてきたのかあ、などと想像してロマンにひたれるかなあっと思ったんですが。 回答ありがとうございました!