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どういう事なのでしょうか?
「太っている人って、見ているだけで幸せになるよね」とか、「(太っている人は)居るだけで、周りを和やかにしてくれるから良い」と言う意見を目にしたり、聞いた事があるのですが、そう言っている本人は、自分ではその「太っている人」には決してなりたくないと思ってるんじゃないかな、とよく思います。 例えばスタイルの良いモデルさんが、肥満の人にそう言う場合、そのモデルの方は実際は自分が肥満になる事に対しては嫌悪感さえ抱いていると考えると、どういうつもりでそんな事を言うのでしょうか?嘘か社交辞令でしょうか?本当の事を言っているとしたら、どんな気持ちで話しているのかが理解出来ません。どなたか教えてください。 (一応人生相談と言うことで、こちらのカテゴリーでお願いします。)
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- nantonokimi
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価値観に多様性があるからではないでしょうか。 自分の理想に当てはまらないものを、全否定するということではないということで。 例えば、自分が外資系の企業で英語を駆使して、ばりばり働きたいと思って努力してるとします。 その時、普通の日系企業で働いている友人を、「こんな会社で働いて、ばかだな~、みじめだな~こんな人生ごめんだな」と思います? そんな事はありませんよね。 肥満になりたくないと思うのは、あくまでもその人の理想で、それを他人に押し付けないというだけではないでしょうか。 「いいよね、私もそうなりたい」と言えば嘘ですが、「そういう人っていいよね」というのは「他の価値観も認めますよ」という事ではないしょうか。 中には馬鹿にして言う人もいると思いますが、自分のものさしだけで世の中を測らないという事をわきまえた言動だと思います。 「これ以外は認めない」という否定的な見方より、「こう言う価値観の人も認めます」という肯定的な見方の方が、良いと思いません? これはあくまでも、私個人の見方ですので、質問者様が「これはちょっと違う」と思えば、それもありだと思います。 こんな考えもあるということで。
「太っている人」にはけしてなりたくない、かどうかは、 人それぞれだと思いますので、なんとも言えませんが(笑)、 他の人の美点を認めるのと、自分の「なりたいイメージ」が違うのは、 なにも体型に限ったことだけではないと思いますし、 自分とは違う、多くの人の美点を認め合うのは、とても良いことではないでしょうか? たとえば私は、30を過ぎた独身女性です。 別になりたくてそうなったわけじゃありませんし(笑)、 結婚願望がないわけでもありません。 単純に、どういうわけだか(?!)今まで結婚できなかっただけです。 家事や育児に忙しくしている既婚の友人は、 ときどき息抜きに遊びにやってきては、 「あー、いいなぁ。私も結婚なんかするんじゃなかった~」 「人が作ってくれたご飯って、なんでこんなにおいしいの!!」 「子供のいない家はスッキリ片付いていて羨ましい!!」 なんてコトを口々に言います。 これはけして私に対する「嘘」でも「嫌味」でもなく、 本心だろうと思うのですよ。 じゃあ、結婚したコトを本気で後悔しているのかと言うと、 やはりそんなことは全然ないと思うんですね。 結婚したのは、もちろん、結婚願望があったからだし、 良い伴侶と子供に恵まれて、幸せだと感じているはずです。 それでも、自分で言うのもナンですが、 独身でノホホンと暮らしていて、いつでもフラリと遊びに寄れる (私は自宅メインで仕事をしているので、家にいることが多いのです) 私の家と存在は、「ある種の癒しの場」なのだと思います。 実際に、「こんなことを言うのはナンなんだけど」と前置きをした上で、 「あなたが結婚して主婦になっちゃったら、ちょっと淋しいなぁ…… 学生時代からずーっと変わらない感じでいてくれるのが嬉しい」 というようなことを、頻繁に言われます。 「そんなコト言われても、私だって結婚したいわよっ!!」 と言い返しちゃいますが(だって、本音だもん。。。)、 実はそう言ってもらえることも、それはそれで嬉しいんです(笑)。 女性が30を過ぎて独身であることも、太めの体型であることも、 現代の日本では「欠点」と見なされる傾向にあります。 多くの人がそうならないように、「モテ研究」に励んだり、 「ダイエット」にいそしんで、時々ふと、それに疲れたりしています。 そんなときに、かたわらでノホホンと独身でいる友人や、 まんまるの笑顔で嬉しそうにケーキを頬張る友人を見ると、 ふと、心が和んで、 「ああ、いいな。こういう人が友達にいてくれると……」 と思うのではないでしょうか? 私もできれば、「ダメな癒し系」よりも「憧れられる人」になりたいものですが(笑)、 それはそれで、「ま、いっかぁ」と思っていますし、 「顔を見ると、ホントにほっとするわぁ」と言ってくれる友人の言葉を、 とても嬉しく思っています(笑)。 母親に言わせると、「そんなんだから結婚できないんだ」そうですが……
お礼
あなたは本当に友人の癒しの存在なのでしょうね。ご友人の言葉は私も本当だと思います。そして、ご友人は正にあなたの立場になっても良いと感じているのも事実だと思います。皆様のご意見をお聞きしていると、自分の考えが偏ってるだけかなと思いますが、やはり肥満とはちょっと違うパターンではウソ偽りの無いけど、肥満の場合はそうではないような気がして…。ちなみに私の肥満というのはどの程度かというと、200キロ以上の体重です。もちろん本人が良ければそれを否定するわけではなく、その人らしくて良いのです。その人がダメだと否定するつもりは全くありません。その人の長所を否定しているのではなく、自分の価値観で自分自身には許せない事を他人に投影した場合に享受できるという心情が知りたいと思い、質問しました。何だか分からないですね。ごめんなさい。詳しく回答ありがとうございます。
- jimmy35
- ベストアンサー率26% (468/1774)
うーん、日本人の歴史的なコミュニケーション方法にまで突っ込んでいきますけれどいいですか?? 元々日本人は環濠集落の中でムラを作り、その土地の中で情報共有しながら作物を作り収穫を得る生活でした。しかも大陸とは日本海等が行く手を阻んでおり、あまり侵略を他国から受けたり、征服された歴史などありません。せいぜい失敗に終わった元寇くらいですね。(この事実を認識せずに失敗に終わった過去はありますね)その頃の環濠集落の巨大化が日本という国と考えていい部分が現代においても多々あります。(例をあげれば、密室政治=政治家という環の中での決めごとになってしまう、密室会社=政治家をその会社の役員と考えれば話は簡単ですね、友達同士の中でうまくコミュニケーションを取れない人をはずしたがる=いじめ問題も底は同じですね) やっぱり話が大きくなったので、話を戻すと、そんな国民性の中で自分が所属する環の中に自分が理想としない、今回の例では体形の方がいらっしゃったとして、その環の話題が体形の話になれば、そういった表現も必要になってきます。その理想としない体形の人が環のリーダー格ならなおさらでしょう。そういう意味では自分の思いはできるだけ密室の中というのが日本人の国民性とも言えると思いますね。ついでに言うと、はっきり言えない外交をボヤく人がいますが、これも結局同じ底に原因があります。要するに環の外の人(この場合外国の政治家)に日本の思いを出しきれなくなってしまっているということです。 おそらく、あなたは昨今の情報化社会の中で無意識のうちに西洋を始めとする他国の国民性の態度に触れ、表現をもっとはっきりとした方がよいとお考えな部分があって、そのことと今回の例が矛盾するので質問されたと思います。が、おそらくこれも無意識の中ですが友達や知り合いというものの環という考え方を心の奥底に持っているはずです。そこを引っ張り出して考えればおそらく理解できると思います。が、今後そういうことを表に出すのかどうかはあなた自身で決めることですから、自分としてはどうこう言いません。結論としては嘘でも社交辞令でもないということですね。
お礼
なるほど、一理ありますね、そうかも知れません。心の底で思っている本心を、人とのコミュニケーションの中で正直に言う事の弊害を考えたら、環の中で生活している以上は言わないか、長所として口に出す以外にない為、この様な矛盾を感じているという事になるのかな。回答ありがとうございます。
物事にはプラスとマイナス、長所と短所がありますよね。 ですから、太っている人のプラスな面や長所を見出しているだけです。 それが、自分の欲するモノとか理想とは、また違う事ですし、 立場や見方を変えれば、長所も短所となり、その逆もしかりです。 良い面、良かった事に目を向けるのは悪いことではありません。 ただ、物事を単純に決め付けるのには、少々無理がある・・・ そういう事ではありませんか?
お礼
なるほど・・・?回答ありがとうございます。
- minttea3
- ベストアンサー率26% (287/1096)
嘘、社交辞令、相手を見下して哀れんでの発言、というケースはもちろんあるでしょう。 本気で言っているのなら、「自分とは違う相手の魅力」というものを認めているからの発言なのだと思います。 たとえば、 「自分は背が低いが、それを欠点とは思っていない。可愛らしいと誉められるし、自分らしいと思えるので、自分の身長が低いことは自分の個性であり、長所である」 と考える女性がいたとします。 その女性が長身の友人に対し、 「背が高いと何を着ても似合うし、モデルみたいでいいよね」 と誉める気持ちにも嘘はないとします。 しかし、友人の高身長が魅力的だからといって、別に友人のように背が高くはなりたいとは思わない、という気持ちも真実なのです。 身長も体系も、いい意味でその人らしさにつながっているのならば、立派な長所なのではないでしょうか。 痩せている・太っている、背が高い・低い、という要素は、単にその人を構成している個性のひとつ、事実のひとつにすぎません。 元々、別に人と競うものでも評価しあったりするものでもないし、と思います。 自分は自分、他人は他人。 その長所も短所も何もかも、本来比べるものではないと思います。 あまり他人の言葉を気にしないで、裏を読もう読もうとせずともいいのではないでしょうか。
お礼
魅力だと感じて褒めるのであれば、少なくとも自分がその立場に入れ替わってもそれはそれで受け入れられるのでは、と思うのですが、私の質問ではそうならないのが不思議です。 >裏を読もう読もうと …別に意地汚く探っているわけではないのですが、不愉快にさせてしまったのならすみません。
- uniunix
- ベストアンサー率17% (51/293)
自分と他人は違う人間なので 自分がどうなりたいかと他人がどうあるかは別の事だと思います。 私は男性ですが太りたいとは思わないです。 でも太っている人は嫌いではないです。 一緒に居て楽しかったら質問文にあるようなことを言うかもしれません。 No.1の方がおっしゃっているようなイメージがあることもあると思います。 もしも生活が困難なほど太っていたら 多少の嫌悪感は抱くかもしれません。 でも太っているという一つの事だけで嫌いになったりはしないと思います。 太りすぎの原因が明らかにだらしの無い性格にあるとかなら別ですが。 でもそれは太っているのが嫌なんじゃなくて 性格の問題ですよね。
お礼
あなたと同じ気持ちと意見なんです。太っている人は嫌いではないけれど、自分がそうなりたいとは思いません。他人がどうなのかと、実際自分がどうであるかは別なのでしょうか。何となく分かります。でも、自分自身であれば嫌だということは、それ自体に嫌悪感を持っている状態ですよね。他人であればそれが心地良い事に変わるのは何でなんでしょうね。。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
単に大らかそうに見えるって事なんでしょうね。 後は食べている姿が凄く幸せそうだったり、笑顔を絶やさなかったりする場合にはそういう事を言う事もあるんでしょうけれどね。 自分とは違うからこそ、そういう感想が出てくるんでしょうね、きっと☆
お礼
>単に大らかそうに見えるって事なんでしょうね。 感想を述べているだけ、と考えればいいのでしょうか。私も、太っている人をみて和やかな気持ちになる事もあるのですが、自分自身は太りたいとも思わず、逆に自分が太る事には嫌悪感があります。この矛盾がわかりません・・・。
お礼
なんか私が肥満の人を否定している様に思われて、皆様から「多様な価値観」「短所長所は人それぞれ」という言葉を出させてしまっているのかもしれませんが、何か違うんですよ。うまく表現できなくてすみません。「肥満の人が嫌!自分が肥満になるのも嫌!」と言っているわけでは無いんです、もしそう思っていて質問していたら、「それぞれの長所がある事を理解しなきゃ」と言われるのも理解出来るのですが、 私もふっくらした人を見ると幸せにな気分になったりします。和やかになるよね、とも思いますし、実際好きです。それは、その価値を認めているからです。他人に投影して価値を認める事が出来る事でも、自分に投影した時に自分自身に対してはその価値を認められない(自己にとっては否定的になってしまう)のはなぜかなという視点なのですが、難しいのかもしれませんね。 回答ありがとうございます。