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自分をクズだと思うことで広がる世界
20代男性です。 先日、信頼している友人とお互いの人生観を話する中で、私自身のプライドが私の周りに敵を作ることに繋がっているのでは、と指摘を受けました。 私は今まで、周りから見れば取るに足らない自分のプライドが邪魔をして素直になれないことだらけでした。そのくだらないプライドの為に私は大切な人を傷つけてしまいました。 自分の器の小ささ、他人を受け入れることを拒む心の狭さ、などに今までも気が付いていたのに私のプライドが邪魔をしてそこを認めようとはしてきませんでした。 そんな時、友人からのアドバイスで“怒ったら負け、自分をクズだと思うことで他人を受け入れられるようになる”と言われました。 皆さんにとって他者を受け入れる為に必要なことは何でしょうか? 一つ気軽にお答えして頂ければありがたく思います。
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自分のことをクズだと思うような極端な思考法ではなく、謙虚になって、自分も他人も尊重するすることを基本にしませんか。 それに本当はクズであるとは思っていないとしたら欺くことになります。なので、自然体がいいでしょう。 複眼の思考で、自他肯定の展開をしましょう。
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- formidable
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アナタが周りの人たちを尊重し、素直に感謝していた時代に遡って考えてみれば、いまとは違ったスタンスで関われるようになるでしょう。Inferiority Complex とか、そのままになっている挫折、長い間、叶わない願望などはないですか。 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 〔 吉野 弘 『祝婚歌』から 〕 ・ぼくは若い頃に斜めに構えていて、いろんなことを素直に吸収できずに大損した。 by 糸井重里 ・ひとって自分のことが客観的に見えるようになったら大丈夫なんですよ。 by 宮本亜門 演出家 ★人生観を語るのはいいのですが、話は話でしかないので、それより世界を旅してきませんか。南米・中米・北米・ユーラシア・アフリカ・オセアニアを、日本文化(墨絵・華道・茶道・合気道・日本料理などなど)を教えながらね。言葉の通じない世界ではトータルの人間力でコミュニケーションを図るしかないので、貴重な体験ができますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 むむっ。ひと際個性が光っている回答を頂きましたね。 まず、Inferiority Complexって意味は何でしょうか。 粗悪なコンプレックス(直訳)ですか?一からの質問ですいません。 回答者様は男なら旅に出ろ、ということなのですね。 それも良い経験になりそうですね。
- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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suunanさんは良いことを言いますね。 その後でのコメントで恐縮なんですが、 >皆さんにとって他者を受け入れる為に必要なことは何でしょうか? 他者を受け入れるのも大事ですが、その前に受け入れられる方面から考えてみます。 司馬遼太郎が”竜馬が行く”という本の中で言っていたコメントを紹介します。(読後15年前) 「一流の人間とはなんだろうか。坂本竜馬と桂小五郎を比べた場合、桂小五郎は剣の腕も立ち、頭の回転も優れている。見るからに優れた才能のある人間。それに対して坂本竜馬は確かに剣の腕も立ち、商才などにも優れているが見た目と行動が奇抜。この2人を比べると桂小五郎は見た目からも優れているがゆえに人から警戒され敵を作る。対して坂本竜馬は見た目からは一向に優れてなく誰とも付き合うので人は警戒心を持たずに付き合える。敵はつくらずに見方を作る。この時点で桂小五郎は準一流の人間と呼ばざるを得ないだろう。坂本竜馬こそが一流の人間と呼ばざるを得ないだろうか。」 とこんなようなことを言ってました。(たぶん。笑。) それを読んで私は「人からは秀才と見られるよりもアホと見られた方が良いんだ!」 と勝手に判断して関西出身のお笑い好きな友達をリスペクトしました。 つまり”自分を落として笑いを取る。” でもそれを続けてると外国では人に引かれます。”こいつ馬鹿か?”と。 いろいろアドバイスされました。「自分を落とし過ぎ」や「人前では馬鹿と思われちゃ駄目」と。 人種によりけりです。 ヨーロッパ系はクレイジーピュアが好きなので関西風好きです。 中国系、中東系は秀才風が好まれます。 馬鹿かと思うと徹底的に舐めてきます。 (もちろん人それぞれです。) 相手によって自分のキャラクターを使い分けましょう。
お礼
回答ありがとうございます。 相手によって自分を上手く使い分けることができたら これは本当に素晴らしいことですね。 しかし、今の私ではそれはまだ難しいでしょう。 だからこそ、まずは他者に受け入れてもらい易くするために 自分のちっぽけな虚栄心に気が付きそれを脱ぎ捨てることが必要なのですね。
- nishikasai
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そうです。あなたの悟りは正しいです。 わたしの尊敬する人の奥さんがそういうかたでした。 その奥さんは教祖夫人ですが、こう言ってました。 「わたしは世界で一番つまらない人間なんです。だからみんなが嫌がってしない仕事を喜んでさせていただくんです。世界でいちばんつまらない人間ですから他人からなにを言われても腹が立たないんです」 教祖夫人がつまらない人間のはずがありませんが、そう思おうとすることによって腹が立たないし、他人を受け入れることもできます。賢い方法だと思います。 また、これはわたし自身の方法ですが、こういう考え方もあるということで参考にしてください。それはエコノミスト長谷川慶太郎氏が実際に著書で述べていたことなんですが、彼の本を韓国で勝手に出版してお礼にキムチを樽一杯贈ってきたそうです。同氏は「キムチを送ってくるのはまだいいほうで中国あたりでは勝手に出版してなんにもしないのがいる」と言ってました。それを参考にしてぼくも誰かがぼくに腹の立つことをしたら「あれはまだいいほうだ」としてもっと悪いケースを想像します。すると怒りがすーっと消えるんです。この方法もお試しください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 “「あれはまだいいほうだ」としてもっと悪いケースを想像します” この心理は、本能的な自己防衛策のようなものでしょうか。窮地に直面した時に慌てふためかないように、事前に想像できうる最悪の事態を想像しておくことと同じような感じがしました。 しかし、私の考えが正しいかどうかはわかりませんが、私はその奥様のような女性にはまだ出会ったことがないので世界はまだまだ広いく、井の中の蛙になっては人生ダメですね。
- G131
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私も気軽に答えますね。 >そんな時、友人からのアドバイスで“怒ったら負け、自分をクズだと思うことで他人を受け入れられるようになる”と言われました。 これは違うと思いますよ。自分にプライドを持ちつつ他者を受け入れることはできます。 受け入れるというのは簡単に言えば相手の気持ちを理解することです。つまり、あなたには理解するだけの客観的思考と想像力が欠如しているのです。 簡単なのは、「でも・・・」をつけてみることだと思います。 自分はこう思うけど、でも・・・この人は何故こう言うのだろう? でも・・・何故この人はこう思うのだろう? ある意味、自分を否定する「でも」をつけて考えることで見えてくることが多分にあると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ぐざっ、やられたー(><) 背中をばっさり切られてしまいました。泣きっ面に蜂って感じですね。 「でも」は自分を懐疑的に思う他人を説得するときに使う自己肯定の言葉ではないのかな、と思いました。
“怒ったら負け、自分をクズだと思うことで他人を受け入れられるようになる” …なるほどな、と思いました。 私もプライド高いんです。 自分の敵と思うものはばっさり切り捨てます。 でも、それではいけないな…って最近思い始めています。 理由は詳しく書けませんが、ちょっとやっかいな病気に なったせいもありまして。 私は、人との出会いは貯金と同じだと思っています。 何も無い空の自分に、苦み、喜び、痛み、慈愛、憎しみ、愛、…そういった経験を与えてくれます。 そして、貯金のお金はいつかどこかで使うと思うのです。 自分の為、はたまた他人の為… ぶっちゃけ、貯金の額は多い方がいいです。 お金が多いほうが、可能性が広がるじゃないですか。 出会いだってそう。多い方がいいです。 思想や経験に幅が出せるじゃないですか。 だから、嫌いなアンタもへい、まいど!チャリーンって 思うようにしています。 私はあなたが大嫌い。でも、大嫌いと言う感情を私に 教えてくれてありがとうって思う。 気軽に答えてみました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 人との出会いは貯金と同じ。 “だから、嫌いなアンタもへい、まいど!チャリーンって”このノリと考え方、とても良いですね。とても納得できました。 角の無い丸い自分を創っていく良いきっかけになりそうです。
- aran62
- ベストアンサー率16% (485/2911)
私の父の人生訓ですが 我慢できる限りは我慢をしよう。出来なくなったら最後にけつを捲くれば良い。 父は温厚で怒るのを見たことが無い人でしたが、本人は短気だと言ってました。 私の考えは、 電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも皆私が悪いのよ! そう思えば気楽に生きられます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 では、回答者様に郵便ポストが赤いことに対して不快に思っている方々への責任をとって頂きましょうか。 というのは冗談ですが、人生をまっとうするには気楽さはとても大事なことですが、自分が悪かったと思うことに対して、責任転嫁をしていてはダメですよね。 今回の回答は、そのくらいの軽い気持ちでいたらいいよ、って感じで言われているものとして受け止めさせていただきます。
- tinycat19
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本当にクズとは思わなくても、そういう気取りを入れるだけで、他人とは仲良くなれます。 謙遜というのは、プライドが高ければ高いほど、できるものです。 謙遜をしましょう。私なんて、という一言を入れるだけで、人間関係がまろやかになります。 自分がしっかりしている人ほど、人には頭を垂れるものです。 プライドのある人間になってください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 “謙遜というのは、プライドが高ければ高いほど、できるもの” 私はまだこれを理解できるレベルではないので少し疑問に感じましたが、“自分がしっかりしている人ほど、人には頭を垂れるものです”これは、なるほどごもっともな意見ですね。 私も人に感謝したときや失敗を犯したときは素直に頭を下げていきたいです。
- suunan
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それはプライドではなく見栄というもので、正反対ですよ。 拾った金を横領しないのがプライドであり、 返せない借金をして着飾るのが見栄です。 プライドある者は心が広く、自分に厳しく他者に寛大です。 他者を受け入れる為に必要なことは小学校で教わる社会性の基本 すなわち「世の中は無数の対等の他人の集まりであり 自分は他人から見たら他人である」を認識する事です。 仏教では「自他の区別をしてはならない」と言い、 キリスト教では「自分が望むことを他人に与えよ」と言います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分は他人から見たら他人、その通りですね。 だからこそ、その概念が人と人との関わり合いを希薄にし地域の絆を弱める結果につながり、自己中心的な現代社会が生まれてきたように思います。 そんな社会環境で育ってきたからこそ、私を含め特に若い世代では、その他人と思う人からの必要以上の干渉を拒みたくなってしまうのです。 仏教やキリスト教の教えに素晴らしい言葉があったとしても、その宗教の土台がない無神教徒の人たちに感銘を与えることは難しいのでは無いでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一般的な正論を真に実行することは大変困難な道だと思います。 “本当はクズであるとは思っていないとしたら欺くことになります” この部分が私が悩んでいる所です。 人前で口だけではこんなことを言っても、自分の何処かでそんなはずないと思っていたら意味がないですよね。