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日本と中国の「京」

中国には「北京」「南京」はあって「東京」「西京」はない。 日本には「東京」「西京」はあって「北京」「南京」はない。 ※「西京」というのは中国だと思ってたら、昔の山口県みたいです。 両国にだぶって名称がないのはたまたまなのでしょうか? 地理的には日本に「北京」、中国に「東京」「西京」ってあっても おかしくはないような気がしますが・・。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.1

Wikipedia によれば, (少なくとも歴史的には) 中国でも東京・西京という表現があったようです. 「東京」は洛陽 (もしくは開封), 「西京」は長安. 「東都/西都」という表現もします. あと, 「東京」だけならベトナムにもあります. 「トンキン湾事件」の「トンキン」. 日本の場合, 地理的に北のところに都があったことはないです. 強いていえば多賀城 (陸奥国府) くらい?

その他の回答 (4)

回答No.5

「京」という字は、都または、政治の中心という意味で使っているようです。 中国については知りませんが、日本の「東京」は、 昔の政治の中心地であった京都から見て東にあるためです。 おそらく「西京」も西にあるという理由だと思います。

  • senrioka
  • ベストアンサー率44% (36/81)
回答No.4

日本における「京」とは、歴史学的には天皇の在所という意味の他に、律令制に基づいて宮殿を中心に碁盤目状に区画された条坊制の都市構造をもち、京職と呼ばれる律令制度における首都行政機関を持つものとされてきました。 この意味における最初の「京」は694年造営の藤原京であり、710年造営の平城京、784年造営の長岡京と続き、794年造営の平安京までが「京」ということになります。 平安京は単に「京」または「京の都」と呼ばれるようになり、京域のうち右京を「長安城」、左京を「洛陽城」と称していましたが、地勢の悪い右京は徐々に荒廃し、市街地は左京からさらに東に広がっていったことから、京都へ上ることを「上洛」というようになったようです。 山口県を「西京」というのは、室町時代後半、戦国大名の大内氏が京都の雅な文化に傾倒し、京都に倣った国造りをすすめたことから「西にある京」と呼ばれたことに由来するようです。 江戸を東京と改称した際には、天皇をお迎えするにあたって、西の「京」と同格に列するという意味があったとされています。 なお、余談ですが、1963年に門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市の5市が合併する際に公募した新市の名称案では「西京市」が圧倒的な第一位だったにもかかわらず、「天子様もいないのに“京”なんて…」と遠慮して第二位だった「北九州市」を採用したようです。

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.3

ただ単に知らないだけです。歴史的にみればいろいろあります。以下のURLが参考になると思います。 http://www.actv.ne.jp/~yappi/timei/timei013_tokyo.htm なお、日本の場合、政治拠点が置かれた場所の変遷を地理的にみた場合、南北というよりは、東西に位置することから、南京・北京が使われなかったものと思われます。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.2

ああ, 念の為ですが #1 の最後の「強いていえば」は「強いて『京』と同じ性質を持つものを挙げるとすれば」くらいの意味です. 実際に多賀城が都になったことは (当然ですが) ありません. 日本の場合は都を中心に東 (北) に多賀城, 西に太宰府という配置で外交を処理してたということで, 「挙げるなら多賀城かな」くらい. 秋田は影がうすいし.

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