- ベストアンサー
国民主権
日本は民主主義国家ですよね? 先日の予算案、道路関連法案等の与党の強行採決を見て、今更ですが日本の国会に失望しました。 今与党がしていること、通そうとしていることの大半は民意に反していることだと思いますが、 なにをもって国民主権だと言えるのか疑問に思えてきます。 与謝野とかいう大臣も以前「次の衆院選で負ける前に上げる物は上げとかないと」 と増税しようとするし。。 次の衆院選で与党が大敗するのは目に見えてますが、あまりに今していることが横暴すぎます。 こんな人たちに日本の政治を任せていいものでしょうか。。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本は、制度的には民主主義国家ですが、悲しいかな国民が民主主義に目覚めていないので、政治家に制度を利用(悪用)される事となっています。 >なにをもって国民主権だと言えるのか疑問に思えてきます 原則論的には、先の衆議院選挙で委任したのですから、その民意によって政治が行われています。 私たちは、先の衆議院選で「自民党」政治を容認し、民意を示したのです。 その「結果」が、今の国会です。 つまり、「選挙」というのはその時の状況だけで判断して、投票するだけでは不十分で、将来的な事も予測して、ベターな政治をしてくれそうな人(政党)を選ぶ必要があります。 しかし、衆院選だけでなく他の首長選も含め、その場限りの選挙になってる気がしますね。(特に、「郵政民営化選挙」なんかは典型例) >次の衆院選で与党が大敗するのは目に見えてますが、あまりに今していることが横暴すぎます う~ん、私個人としては、民主党が健闘するモノの、結局、自民・公明政権の存続という線も捨てきれない気がします。 いずれにせよ、早期の解散総選挙を求める世論がもっと高まらないと、洞爺湖サミットまで現状が続きそうですね。 >こんな人たちに日本の政治を任せていいものでしょうか 任せられないと思うなら、未来も見据えて候補者を選ぶことです。 「政治は難しくて分らないから」というのは、言い訳にもなりません。 分らないなら、分らないなりに調べるべきです。(良くも悪くも、情報化社会に生きているのですから、その気になれば調べられます) また、選挙が終わったからと言って、自分の仕事は終わったと考えず、常に政治の動向を注視して、監視しなければなりません。 必要とあれば、(市民運動などで)世論を喚起して政治に「圧力」をかけることも必要です。 しかし、日本人には「市民運動=怪しげな団体の利益誘導」という観念が強く、行動を起こす人は少数派ですね。(また、そういう事実もあることにはあるので、悪循環が起こってますね) 一部の人の分析では、「60年安保」の挫折から無気力になったと言われますけど。 私のように「60年安保」を本でしか知らない世代にとっては、理解できませんね、、、。 ただ、現状は「マスコミの情報を鵜呑み」しつつ、「マスコミは偏向報道」とマスコミの耳に届かないところで嘆いてるだけですね。 民主主義というのは、国民一人一人が「主権意識」を正しく理解して、普段から政治を注視し、政治のことを考える事が求められる政体です。 こうした、国民の意識が無いと、簡単に「衆愚政治」に陥り、国の衰退を早めるだけです。 今の日本は、まさにこの例を体現しつつあると思っています。
その他の回答 (7)
- sinjitsuha
- ベストアンサー率6% (5/81)
「民主主義国家」という言葉をを 民主主義生活社会国家に違いないと思い込むと・・ 民主主義手続きの独裁専制生活社会国家の落とし穴におちる・・?!?
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
「総選挙」という「民意の結果」というこんな事態に陥っちゃったんだけどなぁ.... # 逆にいえば「『民意』というものがいかにあやふやでうつろいやすいものであるか」が露呈したとも言えるな. 「選挙」を「人気投票」だと思っている者がいる限り, しょうがないでしょう.
>先日の予算案、道路関連法案等の与党の強行採決を見て、今更ですが日本の国会に失望しました。 今与党がしていること、通そうとしていることの大半は民意に反していることだと思いますが、なにをもって国民主権だと言えるのか疑問に思えてきます。 我々国民が政治を付託する人物を選挙によって選択すること/出来ること自体が主権者の基本ですがこれだけが主権者の立場ではありません。 何故ならば間違った政治が行われないように国会と行政(省庁)を監視をしなければなりませんし、例えば酒酔い運転で過失致死にいたった場合は懲役25年の刑にまで引き上げさせた要因には主権者である国民的運動が有ったわけです。 しかしながら、問題は多様化した主権者の付託に答えられない政府の鈍感さです。これは「放射能汚染された海亀が海へ戻らないで山の中へ迷い込んでその挙句死んでしまった」の実態に似た自民党政府です。 民主主義の原則で云えば選挙による政権交代も大事な選択です。 最近イギリスの某著名な経済誌が云っていました「これほど政治の混乱をもたらした政府が何故にいまだに存続するのか? 日本は主権者不在の国か?」とも 誰が政治を行ったとしてもリスクは有るものです。早く選挙しろ!!なのです
日本は民主主義国家ではありません。 御質問の前提は、日本国憲法が民主主義を謳った憲法だと中学・高校で習うことを前提とされていると考えます。しかし、判例・政府見解・憲法学会通説(芦部、佐藤幸司など)はそう考えません。書店で憲法の教科書が簡単に手にはいるので、一度ご覧下さい。それと、教科書での質問は学問・教育カテゴリの法律でなされば、正確・明晰な回答が貰えると思います。 民主主義とは「支配する者と支配される者とが一致すること」です。ここで支配されるのは具体的に今存在している「国民」です。以下Bと表記します。 次に、憲法上記述されている「国民主権」に言う「国民」とは、支配する者としての「国民」です。以下Aと表記します。Aは結論として「現在生きている個々具体的な人々」を意味しません。 理由付けはややこしくて上手く説明出来ませんが、大体以下のようなものだと思って下さい。曰く、「支配する」の主体が「現に選挙権を持つ者」に限られるのは妥当ではなく、当然赤ちゃんや子供も支配する側に含まれると考え、それを拡張して、過去の(既に鬼籍に入った方々)意思決定も、これから生まれてくる人々の意思も全て支配者の意思として包含されるのが妥当、というのが大きな根拠です。 そこで、Aはこのような幽霊や未だ生まれてこない人などの意思を全てミキサーにかけて混ぜたような抽象的・観念的な意思の総体と捉えるしかないと主張します。 ここまでくるとお分かりでしょうが、既にAはBと違ったものになっています。むしろAを「八百万の神々」と捉えると分かりやすいです。そしてこのような抽象的・観念的な存在を具体的に具現化しているのが「象徴としての天皇」であり、それ故に、憲法の一番最初に規定されているのです(と主張されています)。 また、抽象的・観念的存在は自分では動けない(天皇はAの具体的象徴ですが、憲法上統治権を持つことが禁じられた存在です)ことから、具体的な統治権の行使は代理(天皇以外のだれか他の具体的な人々)にやってもらうことが絶対に必要です(間接民主政の原則)。民主主義の政治形態は直接民主政が原則で、間接民主政は便宜的な代替手段ですから、ここでも異なっています。 では、民主主義は全く姿を消しているのかというとそうでもありません。まず、大原則として「失政の責任は、支配者がとる」というものがあります。だから悪政を行った君主(王様)がその責任をとらされて処刑されるわけです。 では国民主権の場合はどうでしょうか?現在統治権を行使している人たちはあくまで代理ですから、彼らに責任をとらせるのは妥当ではありません。責任は依頼主がとることになります。つまりAですが、抽象的存在ですから、具体的には個々具体的な国民が負担することになります。なお天皇は統治権を有しない象徴にすぎませんから、無答責です。これを「正当性の契機」と言います。 従って、質問者の絶望した政治の姿こそ日本国憲法の予定している政治の姿なのだと言うことです。ふざけた論理ですが、これが判例・政府見解・通説です。 ただ、何故このように問題のある選良ばかりなのか?これは充分に検討に値するテーマです。「日本人の本質」まで含む問題だと思います。
- bouyatetu
- ベストアンサー率20% (73/361)
国民主権だからこその選挙じゃないですか?選挙の結果に従わないことこそ民主主義じゃないでしょう。 あなたの望むとおり間接民主制を採用した場合、絶対に国政は回らないと思います。 そもそも増税反対増税反対しか言わない議員たちのほうが私は信じられません。大した対案も出さずに反対ばっかりしていたっても国益になりません。 あなたがたみたいな勝手なマスコミの下らない報道に乗っかって目先の利益ばかりにとらわれている人が増えることこそ今憂うべきことではないでしょうか?
- tooma37
- ベストアンサー率25% (96/374)
>通そうとしていることの大半は民意に反していることだと思いますが、 熱心に選挙運動を行い、足繁く投票所に通う国民の民意にはそれ程反してもいないと言うことでしょう。これまでも同レベルの暴挙ならいくらでも行っていますし。 >なにをもって国民主権だと言えるのか疑問に思えてきます。 国民主権とは読んで字のごとく国民が主である権を持つという事です。逆に言えば我々は主としてこの国を管理する正当な権限を有する唯一の存在と言うことであり、その主が己の国の管理を怠れば代理人が好き放題振舞うのも無理からぬ事かも知れません。 >「次の衆院選で負ける前に上げる物は上げとかないと」 と増税しようとするし。 どんな事情があれ増税は嫌、という(今回の増税の是非を別としても)嘆かわしい性向が国民にあるのは間違いありません。そのような国民である以上、常に国民の機嫌のみを伺っている政治家を私は買いません。といっても与謝野氏も買ってはいませんが。 >次の衆院選で与党が大敗するのは目に見えてますが 残念ながら目に見えてはいません。マスメディアの喧伝のみを信じているとさもそのように思えてきますし、数十年来そのような報道はなされ続けてきましたがそれでも戦後の殆どの期間、与党は自民党であり続けてきました。
- pasocom
- ベストアンサー率41% (3584/8637)
>こんな人たちに日本の政治を任せていいものでしょうか。 とはいっても、「民主主義」だからこそ、選挙の結果こそがすべてなのです。 国民が、別の政党に政権を任せたいと考えるのなら、選挙でその政党が勝利しなければなりません。 自民党政治にはいろいろと批判がありますが、選挙で必ず勝つのはやはり、国民は自民党政治を良しとしている何よりの証拠と言わざるを得ません。