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阪神淡路大震災の最大被災地はどこですか?
1995年の阪神淡路大震災の発生から今年で13年になります。 この震災によりご不幸に見舞われた方々には深くご冥福を お祈り申し上げます。 さて、この震災の被災者の方々への供養のため、我々が今 出来る事は、この震災をよく知り、このような不幸が再び 起こる事を少しでも抑える方法を考える事ではないでしょうか。 地震とは天災ですが、この被害を最小限にする方法はきっとあるはずです。 阪神淡路大震災の対処の問題点は、多くの指摘が既にあろうかと思います。 例えば、行政の対応の遅れ、建築物・道路の構造的問題。 さて、他にも、道路が狭すぎて住宅が異常に密集した地域があり、 そこが火災発生の大きな原因となったと聞いたことがあります。 それはどの地域ですか? 「長田区・須磨区」という単語がなんとなく、頭に浮かぶんですが、 このあたりでしたっけ?
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正しく歴史として記憶されるのなら http://sinsai.fdma.go.jp/search/index.html 阪神・淡路大震災データベース こちらを参考にして下さい。
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この震災に遭遇した須磨区の住人ですが、我が家も半壊の被害を蒙りました。あの日我が家の南側の長田区から火の手が上がっているので消火活動はどうなっているのか見に行ったところ消防車も消防署員も誰も活動していなし消火をしようと活動している人は誰もいない状態でした、そこで若い女性が燃えている家を指して泣き叫んでいる光景を目の前に しても誰にも手出しが出来ない状態であったこと、地震直後に水道が損壊してしまい断水のため火災は既存の消防設備は機能していなかった。 その時の私の予測はそのうち自衛隊の消火ヘリが出動して消火するだろうと期待していたが、何時間たっても出動するけはいもなく、全国に報道されるほどの悲惨な被災地になりました。その後のテレビでの報道によると自衛隊への出動要請は自衛隊からの要求があってしぶしぶ出動を認めたことらしい、なにしろ神戸市は社会党勢力が強くて自衛隊に協力することなどは反対していたので自衛艦の寄港も反対していて、もちろん神戸空港建設も反対していました。震災直後に米軍から神戸港に空母を乗り入れて負傷者の治療に協力しようとの申し入れがあったそうだが その時の村山内閣で拒否したようだ。住民の命より政党の理念のほうを 守ろうとしたために多くの市民の財産、命を失うことになった自然災害 です。先日も東京都知事が自衛隊出動要請が遅れたばかりに何千人も死者が増えたとの見解に兵庫県知事が侮辱していると噛み付いていたが私は当時の知事が自衛隊をすばやく要請して消火活動、救助活動をさせていたなら被害はもっと少なくなったはずだと思っています。マスコミは 自衛隊が活動して民間から期待されているようなことがあっても、決して報道しません。自衛隊が任務を終わり引き上げる時神戸市の各地域ごとに送別の式典を開き住民達が自衛隊員に手を振って感謝していたなどはどこのテレビ局も報道していない。平時に予測困難な自然災害に対応 出来る組織は自衛隊しかありません。この組織を有効に使うことを平時 に考えておく事が必要でしょう。震災の教訓からその後の住宅は屋根瓦 は軽量になり圧壊しない構造になっているようです。道路も広くなり同じ地震が来ても災害はすくないでしょう。しかし同じような地震が他の地域に起った時いかに自衛隊の派遣が早くても、病院も同時に被災することを想定すれば、あの時米軍から申し入れがあったように空母を病院船の代用にするのではなく、日本独自で病院船を建造して海上自衛隊の所属にさせて災害があればその近海へ直行させて救助任務に付かすことを考えてはどうかと思っています。
何を持って被害と言われるのですか? 亡くなった人の大部分は家屋の倒壊により圧死です、火災による死者は圧死に比べて僅かです。 >道路が狭すぎて住宅が異常に密集した地域があり、そこが火災発生の大きな原因となったと聞いたことがあります。 こんなデタラメを記憶しないで下さい。 5階建てのマンションが倒壊し片側2車線の道路を塞いだり、道路の下に地下鉄があったため片側3車線の道路が全面陥没したり、道路幅5mの生活道路でも道路の両側から民家が倒壊し人も歩けない状態で消火作業が遅れ火災の被害が拡大したのです。 他に季節的にも空気が乾燥し季節風が強くて火災を拡大しました。 地域的にも二つの区でまとめられる程の小規模な物ではありません。 神戸市だけでも、長田区、須磨区、兵庫区、中央区、灘区、東灘区、等で寛大な被害がでました。 正確で無いと思いますがデータ的には 全壊家屋 10万棟、半壊家屋 15万棟、一部損壊 39万棟 一方で火災の被害は、全焼 6千棟、です。