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岡山の後楽園と東京(熱海)の後楽園

 後楽園=岡山とゆーイメージがありましたが、東京に来てみると、多くの首都圏在住者は、後楽園=小石川後楽園を連想するようです。  そういえば、東京ドームの前は後楽園球場でしたし、江川卓が「♪熱海後楽園ホテル~」ってCMもやってました。東京には後楽園グループ?(現株式会社東京ドーム?)なる読売新聞グループと仲良しな会社もあるようです。  岡山の後楽園は、兼六園・偕楽園と並ぶ3大庭園のひとつですが、東京の小石川後楽園とは全く関係ないのでしょうか?インターネットで検索してみた限り、特に関連性はなさそうです。  大宮(埼玉・京都)や都島(大阪)と宮古島(沖縄)のよーに全く関係なく、ただ単に同じ地名(施設名?)なだけなのでしょうか?  2つの後楽園の関係について何かご存知の方いらっしゃいましたら、ご回答をお願いします。

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  • fumkum
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回答No.1

中国南宋の范仲淹の言葉に、「先憂後楽」というのがあり、為政者は民衆に先立ち将来について心配し、民衆の後に楽しむというほどの意味です。この「後楽」と言う言葉が好まれ、庭園や旅館(楽しむための施設と考えられたからか)に後楽園との名前が付いた理由です。

yamato325
質問者

お礼

 へぇ~中国の故事が元ネタですか。  そば屋に多い長寿庵と同じですね。  ってことは、同じ後楽園だけど関係ないってことですね。  ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • azuki24
  • ベストアンサー率49% (907/1826)
回答No.2

国の特別史跡・特別名勝 『小石川後楽園』 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/outline030.html 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。 国の特別名勝・日本三大名園『(岡山)後楽園』 http://www.okayama-korakuen.jp/history/history_top.htm 岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。 いずれも中国の「先憂後楽」にちなむ命名ですね。 旧後楽園球場や旧後楽園ゆうえんち、各地の後楽園ホテルは、東京ドーム(旧称後楽園スタジアム)グループが経営する民間施設ですが、もともと近く(同じ文京区内)の小石川後楽園にあやかった名前でしょう。読売新聞グループと資本関係はないはず。

yamato325
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  やっぱりどっちも故事からの命名で、関連性はないんですね。  関連性がないと言えば、株式会社東京ドームと読売新聞グループも資本関係がないんですね、意外。