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アドバイスとお説教の違い
後学のために質問させていただきます。アドバイスとして参考にするべきことと、相手のストレス発散でお説教されたので聞き流したほうがよい場合の違いは何でしょう?もちろんお互いの受け取り方の違いで善意で注意したことがお節介と取られるケースもありえるので、両者の線引きは難しいと思います。自分は他人が言ったことを真正面から受け取ってしまう傾向があるので、今後のために気をつけたいと思います。 先日ある方から注意を受けたのですが、相手が冒頭から自分のやり方を否定してきたこと、自分ならそんなのは楽勝と自慢(?)してきたこと、早い段階でこちらの反論を禁じてきたこと、こちらが最後に以後気をつけますのでと言ったら「別に自分が思ってるだけなので今言ったことは忘れてくれ」とはぐらかされたことから、これはストレス発散のためにお説教してるのかなと感じました。共通の知人に確認したところ、その人が実生活でストレスを抱えている状態で、普段はそのようなことを言う人ではないことがわかりました。 本当に相手のためを思ったアドバイスは、1簡潔である、2相手に反論の余地を与える、3相手を頭ごなしに否定しない、4相手が改善できるよう協力の姿勢を示す、という感じのものだと思うのですがいかがでしょうか? ちなみに先日の件の場合は私はお説教だと感じ、相手は善意で注意したのに逆切れされたと感じたそうです。ネットでのコミュニケーションなので一般の場合より難しいケースでしたが、今は仲介者を立て、その人と距離を置くことで決着がつきました。ただ、今後同じようなトラブルを避けたいと思いますので、ご意見をいただければ幸いです。
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相手が目上の立場だからといって必ずしも人格者だとは限りません。むしろそうでない場合が多いでしょう。しかし目上には目上の立場がありますから、それをうまく立ててあげれば角が立たないでお互いよい関係が築くことができます。ようするにどちらかと言えばしたの立場のものが上の立場のものを思いやらなければならないという状況が多いかもしれませんね。 相手が自分のストレス発散のために言ってきたことは、大概感情がこもっていて聞いているほうはあんまり愉快なおもいはしないですよね。そういうのは全部流してしまってよいと思います。自分ならそんなのは楽勝だというのは、ようするに褒められたいんでしょうね。たぶん賞賛してくれる人がいないのでしょう。まあかわいそうだなあと思いつつその場ではすごいですねーと言っておけばいいです。そのあとも自慢話が続いてしつこいようだったら徐々に反応しなくなれば相手も褒められてばかりで自分がずっと話しすることは図々しいことだと気づくと思いますよ。よほど神経が太いひとでないかぎりは。 ただ人間誰しも認められたい願望がありますのでそういうところも多少おおめに見てあげられるようになればお節介なアドバイスなどもいいところだけ聞いて余計な自慢話などはすべて流すという、自分にとっても相手にとってもプラスになるやり方を覚えると思います。 本当に相手のためを思ったアドバイスをできるような方はそんなに多くないものですよ多分。でも全部が全部悪いことを言っている人というのもまたそんなにいませんので、自分に必要なアドバイスだけ受け入れたらよいのではないでしょうか。 あとは相性の問題とかもありますし、多少問題があってもこの人のいうことなら聞けるという人を探すのもだいじですよね。まああんまりこだわらないことです。この人は合わないと思うのなら合う人を探す努力をしたらいいだけの話ですしね。 いかに信頼できるかということが大事であってアドバイスの形はあまり問題ないきがするのですがいかがでしょう。
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>アドバイスとして参考にするべきことと、相手のストレス発散でお説教されたので聞き流したほうがよい場合の違いは何でしょう? まずその二つを明確に線引きすることは不可能ということ。 そして相手の背景にあるものが「あなたの為を思ったアドバイス」であっても「やつ当たりでストレス発散目的」であっても、それだけで有意義か否かを判断することは出来ないということ。 要するに物事はそんなに単純ではないということです。 更に言えば、受け取る側である「あなたの器量」の問題でもあります。 名目がアドバイスか説教かなんてどうでも良い。 その中で自分の糧となる有意義なものを見出せるのか否か、有意義なものは一切ないのか、そういう判断・情報の取捨選択が出来る人間になってください。 優しい言葉でアドバイスされることだけが「あなたのため」だと思っていたら、それはそもそも大間違いです。
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的確なご指摘をいただき、どうもありがとうございます。 物事はそんなに単純に白黒つけられるものではなく、受け手側が得るものがあると思えればそれはアドバイスとなり、これは聞き流すべき部分であるとの判断は自分で取捨選択が出来るようになるのが大切だということですね。物事を画一的に決め付けず、常に自分の頭で考えて判断できるように心がけたいと思います。どうもありがとうございました。
- huna0000
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相手がもつ自発性や主体性を奪うのは説教で 奪わないのがアドバイスだと思います。
お礼
ご回答いただきどうもありがとうございます。シンプルですがまさに的を得たアドバイスだと思いました。大変参考になりました。
うぅん~、かなり厳しい言葉になりそう。 聴く耳はありますか? 感じでは「なさそう」なんですよ。 逆切れして私とも距離を置きますか? アドバイスと説教の定義なんですが、それは受ける側の気持ちに則したものだと思います。 幾ら耳触りでうっとおしい内容でも、そこから学べる拾える内容があれば自分にとっては無意味な時間ではないでしょう。 逆に親しい友人と何時間か楽しい時間を過ごす。 良いことです、ストレス発散にもなりますが自分の「成長」にはなっていません。留まっている。 例えば「洞察力」が禁止されたり抑圧されたり批判されたりするネガティブな行為によって成長するように そこで学び取れる何かを見つけることは素晴らしいことです。 その考え方によって、自信と余裕は生まれます。
お礼
率直なご意見ありがとうございます。 耳触りでうっとおしい内容でも、学ぶべき部分は学ぶ、その点においてそれは決して無意味ではないと言うことですね。mutky様のご意見は特に厳しいとは思いませんでしたし、むしろ大変参考になりました。どうもありがとうございました。
お礼
貴重なご意見どうもありがとうございます。「お節介なアドバイスなどもいいところだけ聞いて余計な自慢話などはすべて流す」ここが大切なポイントですね。自分でも苦手だとわかりきってることを指摘される、他の事で忙しくて自分に余裕がないと、この「余計な部分はうまく流す」ができなくて、ストレスをもろに受けてしまいがちなので今後は気をつけたいと思います。 あとはその人との相性の問題もありますね。自分が苦手なタイプの人が相手で、その人から頭ごなしに怒鳴られると「ああ、この人怖い」と感じてしまって、今回のケースのようにその後に有益なアドバイスがあっても受け入れられなくなってしまいます。先入観を捨てて相手の話から学ぶべき点は学ぶ、聞き流す点は適度に流すのが大切ですね。どうもありがとうございました。