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南北戦争、なぜ北部は奴隷制を嫌がった?

タイトルの通りの質問内容なのですが。。。 Wikipediaで南北戦争を調べてみたところ それに比べ、北部では米英戦争(1812~14年)による英国工業製品の途絶でかえって急速な工業化が進展しており、新たな流動的労働力を必要とし奴隷制とは相容れられなかった。また、欧州製の工業製品よりも競争力を優位に保つために保護貿易が求められていた とありました。わからないのが、 ・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか? (というかそもそも流動的労働力の定義は何か?) ・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか? の2点です。 一方で南部の綿花栽培が奴隷制を必要としていたのはなんとなくイメージできます。 さらにもう1つ疑問があるのですが、リンカーンなど北部の政治家が 奴隷制に反対していたのは主に人道的理由からでしょうか? それとも↑のような、経済的な理由が主なのでしょうか? よろしくお願いいたします。

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  • a-koshino
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回答No.5

流動的労働力とは、自由意志で移動できる労働力。南部の黒人奴隷は所有者の農地に固定されていましたので、奴隷制を廃止したら多くの黒人が北部へ移動し、北部の労働力不足が解消されると期待されました。 もちろん、そうなると南部の農場は人手不足になります。 南北戦争継続のため、黒人奴隷を解放して正規軍に入れようとする動きは、南部(連邦)側が先でした。南部で実現できたかは疑問ですが、その情報を得たリンカーンが先手を打ったものです。個人的な心情とは関係なく、軍事的・政治的理由です。

その他の回答 (5)

  • komes
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回答No.6

南北戦争当時軍隊は志願制でしたから両軍共に兵員の補充に苦しみました。 この為白人だけでなく黒人も参加させることを考えたのです。 南部では志願する黒人には奴隷からの解放を歌い、北部では奴隷制の廃止を唱えたのです。 これらを受けて黒人の志願兵は急増しました。 北部では黒人兵士だけの大隊を編成し士官は白人とする制度を設けこの大隊は激戦地帯に投入しました。 リンカーンなどの政治家は本気で奴隷制の廃止をかんがえていたとは考えにくいです。

R-gray
質問者

お礼

お返事が大変遅れてしまい申し訳ございません。 みなさまの回答のおかげで大分理解できました。 やっぱり経済や戦争が政治の軸なのですね。 ありがとうございました!

回答No.4

・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか? (というかそもそも流動的労働力の定義は何か?) ある程度教育を受けていて、工場労働者となり得る人が必要なのでしょう。一方、既に出ているように、奴隷は固定的なものです。また、そのような労働者は同時に工業製品の消費者でもあることもポイント、と高校時代習った記憶があります。 ・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか? 日本でも季節工や(高度成長期の)出稼ぎ労働者を必要としています。 リンカーンについては、既出のように奴隷制反対論者ではありません。ただ、合衆国を維持すること、南部の独立を認めないこと、が主張だったと記憶しています。

回答No.3

一部、勘違いがあるようですので  リンカーン自身は奴隷制度賛成派です。ただ選挙に勝つために反対しただけのことです。彼は奴隷解放の宣言もしていません。(63年1月の宣言は、『現在、叛乱者(南部アメリカのこと)が支配する地域に住む黒人奴隷は自由民である』と言っただけです。脱走奴隷及び合衆国に残った奴隷3州に住む奴隷は解放していません)  1860年の選挙は民主党が分裂を起こした選挙でした。民主党から大統領候補が二人も出たのです。そこにリンカーンが加わりました。選挙は横並びだったので、リンカーンは南部女性票を得るために奴隷を自由民とする政策を加えます。南部の農場主の一部は黒人奴隷の女性を愛人にすることが多々あったのです。南部女性の一部は奴隷制こそが浮気の原因としてリンカーンに投票するという動きがあったのです。そして38%ほどリンカーンが得票して偶然に大統領になったのです。 奴隷制度反対は人道でも経済でもありません。選挙に勝ちたいから途中から加えたものです。

  • skybluez
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回答No.2

・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか? (というかそもそも流動的労働力の定義は何か?) ・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか? 工場などで労働者を雇用するためには応募して、試用期間を経て雇います。 奴隷のように居ついてもらっても逆に無駄が多く効率的ではありません。 さらにもう1つ疑問があるのですが、リンカーンなど北部の政治家が 奴隷制に反対していたのは主に人道的理由からでしょうか? それとも↑のような、経済的な理由が主なのでしょうか? 人の心の中までは覗くことは出来ませんが、大統領であるがゆえに経済が優先するでしょうね。 人道的立場から奴隷制に積極的に反対した言動は無かったと記憶しております。 結果的に奴隷解放に繋がることは考えていたのかもしれませんが・・・

  • mat983
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回答No.1

・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか? ・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか? これは西部、南部から仕事を求め移動する白人労働者のことだと思います。 工業の発展には教育を受け、読み書き、計算ができる 良質の労働力が絶対に必要です。 「大草原尾小さな家」では西部の学校の話がありました。 各地に学校が設立され白人は勉強していました。 ここに黒人を受け入れてしまうと、 ・白人の働き口がなくなる事 ・当時は黒人が居住していないので、受け入れる土壌がない事。 などが考えられます。何より読み書きはできません。 リンカーンの件ですが、奴隷解放は人道的な面だと思います。