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地学について
高校や大学受験で地学はなぜこんなにも扱いが他の3科目に 比べて悪いんでしょうか? 理科の1領域であるなら物理、化学、生物と同等に扱っても いいと思うのですが。高校で地学専門の先生なんて4つの 学校で1人いるかいないかの状態です。
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(最初に質問された方へ。「物理学教室」などの「教室」とは,勉強をする部屋とか実験室のことではありません。 大学の組織の単位の一つです。一般的には学部の下に学科があり,学科をさらに細かく分けたものが教室です。さらにその下に講座があります。 大学の教師や大学院生は,たいていどこかの教室や講座に所属しています。ただ,組織の分け方は,大学によって多少違います。) No.4を書いているあいだに,先にNo.3の回答が寄せられて,その中でいきなり「立場がない」といわれてしまいました。(^^;) 「立場がない」の真意はよくわかりませんが,少し補足しておきましょう。 地学という科目の成り立ちはNo.3の回答のような理解でよいと思います。実際,歴史,地理,物理,化学,生物などは戦前の旧制中学時代からあった(ちょっと記憶が怪しいけれど)科目ですが,地学はありませんでした。 いまの地学に対応する戦前の科目は博物学になろうかと思います。これこそまさに知識の寄せ集めだったようです。 そういう意味では,戦後の地学も「複数の学問分野を寄せ集めて,高校のカリキュラムの便宜上,地学という名前を与えた」という言い方はできるでしょう。 しかし,少し視点を変えてみると,大学の研究分野や教室の分け方は,これまた大学の都合で便宜的に設けたという見方も可能だと思います。 つまり,天文学の研究者は天文学しか研究しないし,興味・関心がない,という風に,それぞれの学問分野が独立して,お互いにあまり係わりを持っていなかったからではないかと思います。 同じ地震現象を扱う研究者でも,数学の得意な人は地球物理学科に行って地震波の解析をし,フィールドワークが好きな人は野外に行って断層を調査する,みたいな感じです。(実際にはそこまで極端に分かれてはいませんが。) また,あまり他の分野にばかり首を突っ込んでいると,広く浅くつまみぐいばかりしていたって,研究はモノにならないぞ,と言われたりする。 しかし,最近ではそういった,自分の狭い殻に閉じこもる,「たこつぼ」的な研究ではすまなくなってきていると思います。 従来は別々の学問分野だったものどうしが連携して,より広い視点にたった研究が必要だというのは,例の旧石器ねつ造事件のときにもずいぶん言われました。 実際,東大には以前から「宇宙地球科学教室」がありますし,最近は「システム」とか「環境」などの言葉を冠した教室が同様の発想で(まあ流行り言葉だからという面もあるのかもしれませんが)増えているようですね。 言ってみれば,良い意味での「広く浅く」が求められているのではないでしょうか。つまり,自分の専門分野は深く掘り下げつつ,他の分野にも目配りをするという。 もっとも,指導要領の科目分けがそういった視点からなされているのか,時代の要求を先取りして地学という科目を置いたのか,と問われれば,たぶんそうではなく,やっぱり便宜上なのでしょうが…。 地学の話だったので,つい長々と書いてしまいました。どうもすみません。
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- nozomi500
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再度。 >大学で生物学実験をとってなくても「生物」の教師は出来ます。 これが、私のころは、できてたんですよ。(中学の理科は、「物理・化学・生物・地学」4つやってないとダメだったけど、高校理科は、「実験」は1つでOK。わざわざ「○○学実験」をとらなくても、学部の実験単位を流用できたので、楽勝でした。(現役の教師でも40代の教師はそういう免許でしょう。) その意味で、「昔とかわっているところ・・」とおことわりをしておきました。文章全体を読み取ってほしいな。主文は2段落め以降なんだから。 「そういう免許」の時代から、「地学」は「扱いが悪い」状況でした。(私の高校でもそうだった) それからずっと続いているんじゃないですか? 新米の教師の指導を監督するベテランがいない状況もあるだろうし、学校のほうもやりにくいんだと思いますね。
お礼
来年度から理科基礎、理科総合A/Bから1科目が必修科目になりますが ほとんどの学校は物理と化学がもとの理科総合Aを採用・・・・ 地学はやはり扱いが悪いですね・・・ どうせなら理科総合1つにくくって地学も導入してほしかった
- nozomi500
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いまの教員免許は、昔とかわっているところもあると思いますが、 高校理科の教員免許は、「理科」としか分けられていないので、「理科」の免許ひとつで物理でも地学でも教えられます。大学で生物学実験をとってなくても「生物」の教師は出来ます。 しかし、実際に、大学でやっていた「専門」は、というと、工学系であれば物理だとか、農学系であれば生物だとか、「それならまかしといてくれ」という人たちは多いのだと思います。(化学はどっちも) 「地学」については、理学部の地質学や気象学など、「その道のプロ」といえる人が少ないんじゃないかと思います。 公立校だと「異動」があるので、「たまたまその先生がいたときはできたが、異動したあと替わりがいない」ということでは、その学校の「レベル」にかかわる。 「安定したレベル」を確保するために、教師を安定して確保しやすい科目に限定しよう、という安易な発想ではないかと思います。 さいきん、1年生から「選択」にしている学校も多いので、ますます、その傾向が強まるかもしれません。 私立では、(京都の同志社みたいに、)「選択」にせず、一通り教える、という主義のところもあります。
補足
>いまの教員免許は、昔とかわっているところもあると思いますが、 高校理科の教員免許は、「理科」としか分けられていないので、「理科」の免許ひとつで物理でも地学でも教えられます。 そんなことはわかってます。 >大学で生物学実験をとってなくても「生物」の教師は出来ます。 これは間違いです。理科の免許をとるには最低でも生物の実験に関する 領域は2単位必要です。ですから工学部などでも教職のための生物学 実験はちゃんとあります。
- puni2
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No.6の回答で,間接的な表現ながら,私の回答は質問の趣旨に対する説明になっていないと批判されたようです。 要するに,「扱いが悪い」の意味をどうとらえるかの違いだろうと思います。 私は,「高校で地学の先生が少なく,授業も少ない」「大学受験で地学の使える大学が少ない」という意味だと考え,「なぜ少ないのか」という視点から,No.4やNo.5の文章も,とりあえず第一段階としての回答だと思って書きました。 その上で,さらに一歩すすめて,それはなぜか,という話になれば,No.6でおっしゃったような議論も出てくるのでしょう。 ただ,第2の「大学受験で…」に対しては,確かに「なぜ少ないのか」という視点が希薄だったことは認めます。この点はのちほど補足します。 また,No.6のように分析的,論理的に回答せよ,ということであれば,私の表現力不足ですので,すみませんというしかありません。 しかし,「説明になっていない」などと全面的に否定されるのはちょっと納得が行かないのですが,受け止め方は個人の自由ですので,そう思われたのならしかたありません。 地学の学問的な位置づけ(自然科学の中の応用科学的な側面があるということ)に関しては,特に異論はありません。 しかし,質問者さんが問題にしているのは,「高校や大学受験における扱い」ですので,学問的位置づけがはたして主たる理由になるものでしょうか。 「高校での扱い」を決めるのは,具体的には各高校の教師ですが,彼らが「地学は応用科学的側面が強いから…」などと議論しているとは思えません。少なくとも,部分的な話題にとどまるでしょう。 そこで,「大学受験での扱い」がなぜ悪いか,という話に移ります。(さきほど言った「補足」です。) 各大学が受験科目を決める場合は,大学の教員が,一応「うちの学部・学科に入ってくる学生は,このくらいのことはできてほしい」と考えて決めるものと思われます。 (もっとも,地理学科や史学科でも英語と国語だけで受けられる国立大なんてのもありましたし,最近は全般に「受験生の負担を減らす」方向にあったので,そのような例はもっと増えているでしょう。) そこで,なぜ大学受験で地学を要求される(あるいは地学で受けられる)学部・学科が少なくなったかというと,2点考えられます。 第1に,最近十数年ほど,大学における一般教養の軽視が進んだこと。 従来は,特に国公立大学では,入学して1~2年間は全学生が教養部(東大は教養学部)に所属し,たとえば理科系であっても,人文科学・社会科学・語学などを一定単位,履修するようになっていました。 共通一次が当初,5教科7科目を課していたのも,このような背景があるものと考えられます。 (共通一次の前には,それぞれの国公立大学が一次試験を行なっていましたが,これもかなり科目が多かったと記憶しています。大学によっては共通一次より多かったかもしれません。) ところが,最近は「教養部解体」などといって,1年から専門科目が入ってきたり,一般教養が(全くないわけではないけれど)かなり少なくなってきている。 その辺の流れが,「国公立離れ」対策や少子化対策などの流れと相まって,入学試験の必要科目の減少という形であらわれたといえるでしょう。 平たく言えば「電子工学科に入る学生に漢文や日本史は必要ない」「法学部の学生に地学は必要ない」というわけです。 では私立ではどうかというと,私立は昔から(共通一次がない頃から)国公立に比べ,入試科目は少なめでした。 また,私立大学では一般に学部・学科が少ないところも多いので,入試で幅広い科目を用意しようとしても,問題を作る教員がいない,という事情もあるでしょう。 もっとも,自前で作れない科目はセンター試験を利用すればよいのですが,あえて科目を増やそうとは思っていないのでしょう。 となると,入試に地学を利用できるのは,地学系の学部・学科のある大学ということになりますが,これが少ないのですね。(具体的な大学名はNo.4で述べたのでくりかえしませんが) これが第2の理由ということになるだろうと思います。 全国の大学の定員のうち,「工学部,薬学部,医学部,理学部物理・化学・生物系学科」などの合計と,「地学系学科」の合計を比べてみれば自ずと明らかだろうと思います。 たとえ地学系の諸学問がどう位置づけられていようと,地学系の学部・学科が多ければ,大学受験として使う可能性は当然広がるでしょう。 ただ,高校の授業というのは別に専門家や研究者を育てるためではありませんので,大学における学部・学科のあり方とか,学問の分け方などが,そのまま高校における授業の設置のしかたに直結はしないと思います。 また,大学入試のためだけに授業をやっているわけでもありません。 高校生のうち大学に進むのは4割ですので,残りの6割を対象にした理科の授業については,入試に使えるかどうかという視点から離れた,もっと自由な科目設置があっていいと思うのですが,なぜか生物を設置しているところが多く,地学は少ないです。 私は,災害リテラシーを育てるという一点だけでも,高校地学の存在意義は大きいと思うのですが。 おそらく,入り口(公立なら都道府県の教員採用試験,私立なら私学適性検査)のところで,理科のうち地学だけがないことが多いので,地学を専門にする教員が少ないという事情があるのでしょう。 で,なぜ入り口で地学を排除しているかというと,受験校に赴任してもやって行けるようにってことなんでしょうか。 実際, >肝心の地学の授業は週3時間のみで残りの14時間は化学を教えておられた (No.5のお礼) こういう話も時折耳にしますので…。 なお,No.6の回答で >地学が、大学では、まとまったその位置をもたず、それゆえ、受験科 >目で、物理、化学などと,地学でどう選ぶかとなると、地学が削られ、また、高校の履修科目としての、選択があると、地学が削られてしまうという事態になるのです。 とありますが,これは疑問です。 「受験科目」の意味は2つ考えられますが,「大学側が受験生に科す科目」という意味で言うと,かりに「まとまった位置」をもっていなくとも,地質学・鉱物学・地震学・気象学・海洋学・天文学などの諸学科が大学に設置されていれば,少なくとも選択科目として地学が出題される場合が多いです。 したがって,まとまった位置を持たないから大学側が削るということはちょっと考えられません。 また,「受験生が,物理・化学・生物・地学の中からどれか選んで受ける科目」という意味なら,受験生が科目を選択する際に学問的な位置づけを気にして決めるとも思えません。仮にそうなら,なぜ共通一次のときは地学の受験者があんなに多かったのでしょう。 高校における授業の選択に関しては先ほども述べましたが,まとまった位置を持っているかどうかよりも,受験実績の向上につながるかどうかという視点が重視されているのだと思います。
- tyoukaifusuma2
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授業がやりにくからでは? 地学が一番系統性がないので授業がやりにくいと思う。 岩石、気象、宇宙などあまりつながりがかんじられない。
お礼
それは関係ないですね。教師は一応プロだし、 教えろと言われたら意外に何でも教えますよ。
- aster
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この質問の趣旨は: >高校や大学受験で地学はなぜこんなにも扱いが他の3科目に >比べて悪いんでしょうか? > >理科の1領域であるなら物理、化学、生物と同等に扱っても >いいと思うのですが。 このようなことだと考えています。この場合、何故、物理、化学、生物と同等に扱ってもらえないのか、という質問に対する回答は、大学の受験科目が減らされて行ったとき、地学は、まず削られたのだとか、また、高校が理科の教科を選択するとき、受験用学科を考えて、そのとき、地学が削られたのだ、というのは、地学は「他の3科目に比べて扱いが悪い」という事実を述べているだけで、なぜ、地学はこんな風に受験科目からも、高校の履修科目からも外されたのかという説明にはなっていないのです。 なぜ、地学が避けられたのかというと、物理、化学、生物の方が、元々学科として有利であったというのが理由なのです。有利というのは幾つかの意味でそうなのですが、例えば、もっとも基本的には、物理や化学は、工学や技術分野において、その二つのどちらか、また時には両方が、必修の基本理論を提供しているという意味で、いわば、理工系学問や技術での「普遍的基礎知識の学科」という位置があるのです。 物理や化学の「体系性」ということを述べたのは、これらは、応用対象や分野とはある程度距離を置いた、基礎学問的性質を持ち、それら自身、実際に、かなりな体系性を持って、まとまっているという事実に基づいているのです。 大学における研究分野の学科や教室の分け方の問題もあるかも知れませんが、それ以前に、物理や化学は、理工系学問・技術・工学等の基礎理論・知識を体系的に提供するという意味で、どの大学でも、理工系学部を持つ大学では、必須になるのです。 生物や地学は、自然界の階層構造のなかの、特定の階層に属する現象についての理論や知識を扱っているのだとも言えます。物理や化学は、階層構造に囚われていない普遍性を持つ基礎学問・知識という内容を持つのです。 自然界の階層構造は、大きなところからは、宇宙、銀河集団、銀河、星群、恒星、太陽、惑星系、惑星、地球、大気現象、海洋現象、地質現象……という風に段階を持っています。大気や海洋や地質・地球などのなかで、更に、雪とか氷、海水に溶けているイオン、大地を構成する岩石や、岩石を構成する鉱物、また大気や海洋や河川などは、「流体」ですから、流体についての理論や知識などという風に、階層が細かく分かれて行きます。 鉱物や、分子、イオンなどよりも更に下の階層となると、分子、原子、素粒子などになるのですが、こう言った基礎階層は、化学や物理がその理論をカバーしているのです。物質科学というか、自然科学は、要素還元的な理論構成を持っていて、それは、原子や分子や素粒子の理論があると、そこから上位の階層の現象は説明できるというような学問構造なのです。 それゆえ、理工系の普遍的基礎学問学科として,物理と化学は必須になるのです。そして、自然の階層の階層ごとに特徴のある色々な現象を扱う個別学問が、例えば、宇宙物理学や、銀河天文学や、天体力学や、惑星学や、気象学や、海洋学、地質学、地球物理学、鉱物学などになり、また時間的な自然階層の展開では、恒星の進化や、惑星の生成と進化、大陸や海洋や、山脈、火山、海底地質などの生成や展開の自然歴史などに分かれ、「地学」は、結局、これらの階層的な現象についての理論や知識を「寄せ集めて」できているとも言えるのです。 基礎学問や基礎理論としての性格が地学は希薄なのであり、具体的な現象の説明に関係する話や知識や多いというのが地学の特徴なのです。言いかえれば、物理や化学は、普遍基礎学問・理論の立場を持つに対し、地学は、自然の階層分野での応用科学の面を持っているのです。それも、複数の、以上に挙げた例からわかるように、分子以上の大きさの自然階層それぞれに固有な応用科学の知識などを、全体の体系性などは別に、知識として集めたというのが、高校の地学の特徴になるのです。 生物学は、これはまた自然の特定の特殊な階層を扱っているのですが、生物・生命という観点からは、自然は、生物界と無生物界の二つの大きな分野・領域に分けられるとも言え、生物は、この生物界の基礎学問・普遍知識として、独特の地位を持っているのです。分子生物学や有機・無機化学などが、生物学の更に基礎理論と考えることも可能ですが、これらの要素還元によっては、生命現象・生物現象は説明できないというか、理解できない面があり、結局、自然の階層の生物界については、高校で学ぶ生物の延長にある,広義の生物学が、生物現象の基礎理論・基礎知識になるのです。 地学は、生物界と無生物界の境界も、その扱う内容では越えている訳で、化石や古生物を地学で扱うのは、高校生物のなかに古生物を持ちこむと、話が錯綜して分からなくなるので、生物から外しているので、それを扱うため、地球歴史学の一部として地史と並んで古生物の知識などが、地学で扱われているのです。 高校地学が扱っている内容は、自然の階層に応じた現象の研究理論や説明や知識で、それは生物界と無生物界の境界も越えているということは、高校地学で扱う内容を学問的に扱おうとすると、非常に多数の自然階層に応じた個別自然科学へと内容が分化して行ってしまうのです。 地学が扱うのは、自然現象を通底する一般理論・普遍的基礎理論ではなく、階層的な自然の現象の説明理論や、現象についての知見・知識などとなるのです。それだけ「抽象性」が少なく身近で、興味深い対象を扱っているのですが、これを学問として見ると、一旦、基礎学問である物理学、化学、生物学などの基礎を習得してから、個別分科学問へと展開して行くという形を取り、地学がそのまま、天文学や地質学や気象学などに直結しないのです。 そういう意味で、高校地学に対する受け皿は、大学にはないのですし、宇宙物理学や地球物理学、鉱物学、古生物学などに関心があって勉強したいという学生は、まず、大学で、物理や化学、生物を基礎学問として履修し、それから個別的階層現象の学問へと進むので、高校の物理や化学や生物は、無論、大学のそれらの学問と直結はしませんが、それでも、地学よりは、ずっと連続性が大きいのです。 こういう事情があって、確かに身近な現象を扱い、興味深く、面白いともいえる地学が、大学では、まとまったその位置をもたず、それゆえ、受験科目で、物理、化学などと,地学でどう選ぶかとなると、地学が削られ、また、高校の履修科目としての、選択があると、地学が削られてしまうという事態になるのです。 決して,大学などにおけり学科や教室の分け方が、地学に不利になっているのではなく、元々、地学は、基礎理論の上に立って、研究される,応用科学、階層科学の面があるのです。 また、高校でこそ、「地学の先生」というのは、教える分野があるのですが、大学などでは、地学は、基礎理論学問と応用分野学問に分かれて、地学に対応する学問は、たくさんの階層別の学問に分化して、地学というまとまった単位はないので、地学の先生は、高校では立場があるが(それもなくなって来ているようですが)、大学などになると、立場がないと述べたのです。
補足
それなら化学(物理化学、有機化学というように)や他の科目も 同じことが言えますね
- puni2
- ベストアンサー率57% (1002/1731)
高校で地学を専門に教えていました。 実際,地学のある学校は少ないですね。公立高校の教員採用試験でも地学だけなかったりします。 1992年と少し古いデータですが,地学を履修している生徒の比率は,最も高い長野県で24.6%,28の県で10%に満たなかったそうです。 一方で,中・高校生4300名に好きな理科の分野を聞いたら,もっとも多かったのが「宇宙や星」で24.9%だったそうです。 背景として,第1にやはり大学入試の変化があります。 かつて国公立入試には共通一次試験がありました。最初は,全員が5教科7科目(英語,数学,国語,理科2科目,社会7科目)の受験を義務づけられていました。 その後,理科・社会それぞれ1科目の5教科5科目になりましたが,ともかく国公立大学の全受験生が,英数国理社を受験したわけです。 この場合,たとえば物理・工学系の学科を受ける人であれば,入学後のことも考えて物理を選択する場合が多いでしょうから,理系で地学を受ける人の大多数は,入学後に地学を選択する人となります。 具体的には,旧帝国大学(北大,東北大,東大,名大,京大,九大)やこれに準じるところ(広島大など),各都道府県の教員養成系大学(東京学芸大,横浜国立大,北海道教育大など),一部の公立大(都立大など),そしてこれは共通一次とは関係ありませんが,地学系の学科のある私大(早稲田・日大など)といったところです。 一方,文系の学科を受ける場合は,数式を苦手とする人が多いこともあって,圧倒的に多くの受験生が生物や地学を選択しました。 物理や化学に比べてどうしても平均点が高くなりがちなので,7科目時代は途中から「生物と地学の両方を受けてはいけない」という制約がついたりしたほどです。 ところが,これでは難しすぎる,教科が多すぎる,という声がでてきました。 いわゆる「国公立離れ」で,受験生が私立に流れるようになったというのです。 そこで,大学側は入試科目を大幅に自由化しました。ちょうど,共通一次がセンター試験と名を変えて,私立でも参加できるようになった頃です。 その結果,大学側がセンター受験者に科す教科は,ほとんどの大学で大きく減り,特に文系のところでは,経済系で数学が(それも選択で)みられる程度で,理科はほとんどの大学で必要がなくなってしまいました。 いまでも5教科が必要なのは旧帝大ぐらいでしょうか。 それ以降,センター試験の地学受験者は1万人台に減り,新聞にも載らなくなってしまいました。 (以前は,センター試験の翌日は,新聞各紙を買い集めて,どれに地学が載っているかなと探したものですが,数年前よりどの新聞にも全く載らなくなったので,今では予備校のホームページを見ています。こちらは全科目の問題が載りますので。) 最近になって,あまりにも教養のない大学生が増えているのは入試科目を減らしすぎたのもその一因であるとして,大学協会などはもう少し科目数を増やそうとしています。 第2に,高校の変化があります。 高校までで習う教科・科目は,文部省(文部科学省)の指導要領で決まっています。 かつては,物理・化学・生物・地学4つとも必修という時代がありました。といっても,必修なのは2単位(週2時間×1年間)だけで,そこからさきは選択になります。 また,1982年度入学の高校生からは,理科Iという科目が高1で必修でした。これは,高校で学ぶ物理・化学・生物・地学の基本分野を集めたもので,4単位でした。 ところが,最近の指導要領では「全員一律は良くないから,選択の範囲を広げるべきだ」という発想が非常に強まってきていて,1994年度から理科Iはなくなりました。このため,高校を卒業した人に対して「これだけは高校の理科で習っているはず」といえるものがなくなってしまいました。 選択の範囲を広げるといっても,指導要領が設けている科目をなんでも自由に受けられるわけではありません。実際には,高校が設定したカリキュラム(教育課程)にしばられます。 したがって,高校で地学の授業を置くか,また地学の教師を雇うかどうかは,各高校の考え方しだいということになります。 おりしも,80年代後半をピークに,高校生の数は減っていきました。いわゆる少子化です。 このため,各高校ともどうしても経営の方面に力を入れて考える傾向が生まれます。 私立であれば,生徒が集まらなくなれば学校自体がつぶれかねませんし,公立であっても先生の配置数が減って,要望の少ない授業は開講できなくなったり,場合によっては統廃合されてしまうこともあります。 そうなると,「うちの学校の特徴」をアピールしなくてはならないのですが,一番てっとりばやいのが「進学実績」です。 たとえば「いい教育」をしています,なんていうのは主観も入りますし,評価が難しいのですが,進学実績であれば,具体的な数字を挙げて説明できます。 また,「いい大学」にたくさん入っている高校は「いい高校」だ,という単純な考えの親(といっては失礼ですが)も,実は案外いたりします。 そのため,たてまえとしては「受験指導に偏らない,幅広い人格を育て,教養を身につけさせています」といいつつ,カリキュラムは受験対策にシフトし,いわゆる「受験校」化するところが増えました。 その結果,地学は受験にあまり使えなくなってきたから,開講しないようにしよう,となるわけです。 生徒の興味・関心とか,環境問題を考えるうえで役立つとか,そういったことは後回しになってしまいます。 おっしゃる通り,理科の一分野として,物理・化学・生物と同等に扱うべきなのに,「受験に使えない科目は格が下」とされてしまいます。 確かに,大学レベルで地学をきちんと研究しようと思うと,(分野にもよりますが)物理・化学・生物・数学など幅広い知識が必要で,大変なのは事実です。 しかし,高校レベルであれば,それほど難しいこともないし,天文・気象・地震・火山など,日ごろ見聞きする現象と結びついた身近なテーマが多く,親しみやすいと思います。 実際,(手前味噌になりますが)自分が教えていた学校では,かなり面白がってくれたし,しっかり勉強もしていました。 カリキュラムの関係で高校では地学の取れないコースに進んでしまい(うちは中高一貫だった),残念がっている生徒もいました。 また日本は,地震・津波・火山・台風・豪雨・大雪・地すべりなど,自然災害の多い国ですので,こういったことがらに関する基礎知識がないと,災害時のニュースやさまざまな情報を正しく理解して行動するのが難しくなります。いわば「防災リテラシー」です。 そんなわけで,現在も私立で地学を置いている学校は,「幅広い人格・教養」を単なるスローガンに終わらせないぞという,学校側のしっかりしたポリシーが感じられるところが多いです。(中には地学専門の先生を2人おいているところさえあります) そんなわけで,きっと全国の大学がセンター試験で地学を必修にしたりしたら,高校の地学の授業も増えるんでしょうね。 でも私としては,そういう増え方はいやですね。 ところどころ主観もまじえて書いてきましたが,このへんで失礼します。
- aster
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地学というのは、科目の学習内容を見ると分かりますが、何か、寄せ集めのように見えます。地球物理学や気象学,海洋学、惑星学、天文学のような内容を扱っているかと思えば、鉱物学や更に古生物学、古気象学のようなものも扱い、地質学や地形学のようなものも扱います。 理科系の知識・教養で、高等学校で学習するのがよいという内容を集めると、物理学、化学、生物学という、比較的に体系があり、高校水準だと、学問として一貫して一つのシステムを構成しているように見える学科が独立学科として立てられたのですが、システム的に扱えない、つまり、物理、化学、生物に入れると、それらの体系的一貫性が拡散するような理科的知識などは、どこに入れればよいのか分からないので、そういう知識や教養を、集めて、「地学」という学科を作ったのです。 わたしは、そのように聞いています。物理、化学、生物は、大学に行くと、それぞれ、物理教室や化学教室、生物教室などが独立してあります。しかし、地学教室はないのが普通で、宇宙物理学教室と地球物理学教室に大きく分かれます。古生物などは、生物学教室に分化します。 高校段階で、便宜的に作った「寄せ集め」の学科が地学であって、大学には、この学科に対応する教室などがないのです。物理も化学も生物も、それぞれに特徴はありますが、高校段階で、体系になっています。しかし、地学は、太陽の構造や、星の進化と造山輪廻、カンブリア紀や恐竜や示準化石、石英と雲母の違いだとか鉱物結晶系、マントルと地殻と火山活動だとか、台風や梅雨前線の成立のメカニズムなどは、一体、どこで体系的な知識になっているのか、よく分からないのです。 元々体系的な知識ではないのです。三つか四つぐらいの分野が集まって地学になっていると考えると分かり易いです。体系性が弱いので、小さな分野で、浅く勉強すると、結構理解でき、また面白いところもあるので、関心のある人には、比較的点数を取り易い学科なのです。 しかし、大学側での学問の体系から言えば、地学というような学問体系はないので、どうしても、地学教師は立場がなくなります。高校課程で便宜的に作った学科だから、そういうことになるのだと思います。
お礼
学問体系が独立して存在しないのは結構ですが、高校で科目として 存在してるわけですからおっしゃることは関係ないですね。 質問の回答にはなってません。
地学という領域は無いと聞いたことがあります。 地球物理学だとかなんだとか。 僕も一年地学、習ってましたけど物理学や 生物学の分野と思えるのが確かに多かったと思います。 ではなぜ地学という授業や受験科目があるのかと 聞かれてもわかりませんが。
お礼
質問の回答にはなってません。わからないのなら回答しないで下さい。
- taracco
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そうそう! そう思います。 高校生の時、地学だけは全国一桁の成績だったのですが、他は十人並みでしたので、(数学や英語のこともあり)受験は断念しました。 当時、地学で受験できるのは、海洋学か地質学を専門にする学科希望者に限られ~もちろん学校も少なかったです。(そうなると国立か、私大でもレベルの高いところばかり) ま~~~物理が全然解らないのに、地学の成績で大学入学を果たしても、物理学とかやるのも無理でしょうから、しょうがないとは思うのですが~(^^ゞ 地学といっても、計算や仕組みは、物理(浮力とか光の速さとか)と化学(石の重さ・組成や、比重とか)が出来ないと、理解できないわけで・・。
お礼
そうですね。大学受験ではおっしゃるような点で厳しいかもしれません。 しかし、だからといって高校教育からも何か軽視されてるのはおかしいと 思うのですが。
お礼
立場がないというか気の毒に思うんです。 僕が高校のとき地学専門の先生がいたんですが 肝心の地学の授業は週3時間のみで残りの14時間は化学を教えて おられたんですよ。最初はみんな化学の先生と思ってた くらいですからね。