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かなり愚問・・・愚問?開国って?
こんにちは。 江戸時代とか、その前の時代であって諸外国の関係について教えてください。 長崎で開国とか北海道で開国とか歴史にはありますが、いわゆる歴史的な開国は、一応授業で習いましたが、実際的にはどうなのでしょうか? 異国(差別的な表現ですみません。髪の毛・目の色・体つき・言語)の人が開国を求めたー私だったらとりあえず逃げますが・・・ 例えば宇宙人が私に開国(?)を求めてきたとしても、ちんぷんかんぷんです。宇宙人が、総理大臣の家に直接行って開国を求めるって言うのも考えにくい。 長くなりましたが、聞きたかったのは歴史的にだれが、どういう形で0→1を作り上げたか?っていうのを教えてください。
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当時の時代背景は別の方に譲るとして、私は間違う可能性を置いといて、無理やり宇宙人ネタで説明してみようと思います。 1.ことの始まりは、宇宙飛行士が宇宙で事故に会う 2.死んだと思われていた、宇宙飛行士は実は宇宙人に助けらていた。 3.宇宙飛行士は、宇宙人の母星で生活し、宇宙人が話し合いが出来る人達だと、理解する。 4.しかし、宇宙飛行士は、地球に帰る事を希望し、叶えられる。 (この時点で、地球人は宇宙人をムゲには扱えんわな) 5.宇宙人問題(この様な遭難と救助が何例も発生している)の扱いに苦慮していた国連は、その宇宙飛行士に相応の役職を与えて、相談役とする。 6.地球人と宇宙人の開星?交渉開始。 一応、ジョン万次郎という方の人生を元に、私なりのストーリを作ってみたのですがどうでしょうか?(ジョン万次郎は、島津斉彬の推薦で幕府の直参の旗本になってます)
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- Kiriyama-taicho
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幕末の黒船が来航して大騒ぎ! というのはUFOの来訪とは違って江戸の人たちが物見遊山に大挙して 押し寄せたための大騒ぎ、屋台が出たり、黒船グッズが売られたりという お祭り騒動だったとか。確か杉浦日向さんの本に書いてあったような。 既に日本の近海には外国船がしょっちゅう接近してきていて沿岸部の 住民はかなり前から幕府に報告していたし、外国船と遭遇した漁船や 遭難して外国船に助けられたという話と共に既に江戸の市民も外国船の 来航が近いことは知られていたそうです。 それから高杉晋作は上海に視察に行ってますよね。そこで高杉は 欧米人のアジア進出を目にして危機感を持ったと言われています。 鎖国と言っても朝鮮国、清国は別扱いだったんですね。
お礼
知らなかったです。 授業では断片的なことしか教わらなかったっていう記憶があります。 お祭りさわぎ、そして以前にもちらほら来ていた。 んーここらへんを授業で教えてほしかったです。 ありがとうございました。
- sagiri_g
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政府や大きな組織が介入する以前のファーストコンタクトと言うことでしょうかね。 文明の成熟が低いときの最初の接触では、相手を殺すか旅人と考えて歓迎するかのどちからでしょう。 旅人とし歓迎する場合は、受け入れる文化がなければいけません、この文化が無い場合は大抵殺されてしまします。 受け入れていく内に意思の疎通が可能に成っていき、言葉や何処から来たのかが分かる様になっていきます。 ある程度文明が成熟している場合は、所属している上位の人間(村長、国主など)に報告します。 江戸期では既に知識がある人が領主になっていますので、異民族と何らかの接触があった時は領主に相談しにいき判断を仰ぐ事でしょう。
お礼
そうそう、言ってみればそうです。 ここのところ、”歴史の証人”しかわからないですところです。 私が知りたかったのは、このファーストコンタクト。 その人の証言はどこかないかなあ? 宇宙人で悪いのですが、ファーストコンタクトは民衆に認知されなかったのかな? ありがとうございました。
- tanuki4u
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宇宙人という仮定は、歴史上起こっていないことになっているので、説明しません。 江戸時代に一般民衆レベルで異国人が来ていたことに関しては二例ほど私の記憶にあります。 一言で言えば、庶民レベルでは国家意識とかありませんので、当時は、身振り手振りで、なんとかしていた。ということになります。 そして、国家を代表する場合は、それなりの準備をして、非公式だった(冒険的)商人を仲立ちとしてやってきます。 常陸の国に捕鯨船。 水戸藩が、キリキリ報告せよ!とする前は、身振り手振りで物々交換をしていたそうです。 薩摩 土佐 紀伊などの黒潮流域 南方から漂流して来た異国人が結構いたそうです。それらの漂流民は人によりけりですが、地元民の中に溶け込んでいったと言うことです。 これは、大相撲の武蔵丸が出てきた頃、西郷隆盛とそっくりという話の中で、それらの地方では、漂流民がそのまま住み着いて、血統を残しているからだというような文章で見ました。○○伝承とか言った記憶があります。
お礼
ありがとうございました。 その部分は、受験とかにあんまし関係なかったから、授業では教えてもらえなかったのかなあ? どうなんでしょう。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
誰が最初の橋渡しをして → この部分に関しての過去の歴史上の事実に関して 私の記憶上では、まったくの 0→1 はアメリカ大陸との接触です。 グリーランド982年と西インド諸島1492年。 そのほかに関しては、商人が情報交換しています。非公式接触です。 典型例としては、種子島への鉄砲伝来。 和冦として分類される中国人商人王直が関与しています。 また、ヴァスコダガマのインド航路発見というのも、アフリカの東海岸まで行けばアラブ商人がいることを知っていて、実際にアフリカ東海岸でアラブ人を雇って、インドまで連れて行ってもらっています。
補足
tanuki4uさん、お手をとらせてすみません。 ・・・ニュアンス的に私の愚問はもっと低レベルです。 たとえば、私がtanuki4uさんに「こんにちは、私はtabtabです」といっても、少なくとも「待っていたよ、君がtabtabくんか」などとはたぶん言わないと思います。 仲介、例えばgooの人かもしくは共通の知人がいれば別ですけど。 で、私なんかは一応、日本人なので例え誤解があっても説明する手段はあります。 けど、外国人や宇宙人が・・・ 例えば江戸時代として、私などの一介の人間がオランダ人を発見しても、「なんだべさ」「わけわかんない」で終わると思います。 だれが「やあ、オランダ人。君があの文献のオランダ人ですか」なんていうでしょうか? (ホント、愚問ですみません)
- tyr134
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「江戸時代は鎖国政策をとり、幕末に黒船来航で列強諸国が日本に開国を迫ってきた」というイメージは、教科書的なとらえ方です。 他の回答者の方も指摘されていますが、江戸時代は「鎖国=海外との交流なし」というよりは、「幕府による貿易統制時代」と言う方が正しい表現となります。 江戸幕府がこの政策をとったのは、細かく分ければ幾つかありますが、大きく分ければ二つです。 1、キリスト教の禁止 当時は、ヨーロッパ諸国は大航海時代と宗教改革の時代でした。 その流れで、日本にも多くの宣教師がキリスト教布教にやってきていました。 日本に布教にやってきたのは、カトリック教です。 カトリックというのは、ローマにいる教皇に精神的な服従をします。 言い換えれば、ローマ教皇と主従関係になるわけです。 そうなると、各地の大名が幕府を飛び越えて海外の何処の馬の骨とも分からん連中と結託して倒幕に乗り出すかもしれません。 それはなんとしても防がなければなりませんでした。 義理と人情の主従関係よりも、信仰による結束の方が遙かに協力であることは、一向一揆によって分かってることでした。 なので、信仰による結束を図られる前になんとしても水際で押さえようというのが、幕府によるキリスト教弾圧の意図です。 2、経済を支配するため こちらも、倒幕を恐れての政策です。 各地の大名が、勝手に諸外国と貿易をされ、資金的に幕府よりも潤ってしまえば、その資金を背景に軍事力を整えられ、せっかくの天下も水の泡になりかねません。 それを防ぐには、幕府による経済の一元管理が必要だったのです。 この1と2の政策を兼ね合わせたのが、「鎖国政策」です。 窓口を数個に絞ることで、管理をし易くしてたんです。 ただ、貿易は管理していましたが、個人的な繋がりまでは管理しきれなかったようです。 なので、西洋哲学や西洋医学など西洋伝来のものも多数入ってきていました。 つまり、幕末にいきなり外国人と接触したわけではなく、江戸幕府と海外との間では積極的な交流があったと言えます。 ただ、その窓口が四つに絞られていたにすぎません。 黒船来航のインパクトは、一般庶民にとって普段はあまり目に見えないモノが、突然目の前にやってきた!って感じでしょうか。 また、その頃には幕府は弱体化していました。 なので、「0か1か」という単純な話ではないんです。 参考になれば幸いです。
補足
すみません・・・もう少し低レベルな愚問です。 カトリック教ということですが、一番最初の人はたぶん、ちんぷんかんぷんだったのでは・・・(失礼ですけど) 毎回、引き合いに出して悪いのですが、私が宇宙人からのメッセージですってここで貼り付けても、個人的には何人か関心をもたれても、まさか国家レベルでそれについて認めたり、私に事実確認をせまってきたりはしないと思います。 閑話休題、いわゆる開国に至までの秒刻みの話を知りたいのです。 物語ですが、「難破船が村に来ました。村人は近寄りませんでした。難破船の人間の言葉はわかりませんでしたが、持っているものがダイヤとかきれいで、村人はやがて彼らと親しくなりました」とか!
- 6dou_rinne
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長崎や北海道で開国したわけではなく、開港でしょう。 江戸時代初期はともかく中期以降は外国貿易は長崎1ヶ所で、相手もオランダと中国だけに限られ、しかも長崎奉行所の管理下で行われていました。(話を簡単にするため朝鮮との貿易はここでは除きます。) 幕末になって、欧米諸国は長崎1ヶ所でしかもオランダだけに許されていた貿易への参入と、長崎以外への入港や貿易をもとめてきました。 特にアメリカは太平洋で捕鯨船が活動するときの燃料や水の補給地点とスペインから割譲されたフィリッピンへの中途の寄港地として日本が適当な位置にあったために強硬に長崎だけでなく他の特に太平洋化側の港への入港と貿易を求めて軍事力を誇示したために、幕府はやむをえずに長崎以外での貿易や入港を認めたというのが開国です。 誰に求めたのかというと幕府というか、幕府の首脳部ですが、その頃の首脳部には可否どちらにせよ決断できるだけの人物はなく政局は混迷しました。(結局は井伊大老が決断したわけですが。)
補足
6dou_rinneさん、ありがとうございます。 なぜ、開港が必要だったのかは、ありがとうございます。理解できました。 ただ、低レベルでもうしわけないのですが、そのーーそこにいきつくまでの話。 例えば宇宙人が「私たちの持っている万能鉱石と海の水を交換してください」と6dou_rinneさんに言ってきても、たぶん「はぁ?」だと思います。もちろん私もです。答えようがありません。けれども、せこいですが「これあげるよ」とか言って、万能鉱石をくれて、・・・ 閑話休題、江戸時代にしてもその部分の話が抜けているような、 >金印(委奴国王印)を発見したのは当地の農民・甚兵衛 みたいな話が聞けたらいいと思いました。
- tanuki4u
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No1 の方に補足します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E9%A2%A8%E8%AA%AC%E6%9B%B8 幕府はオランダから風説書を書かせて、海外の情勢は知っておりました。 鎖国というよりは、幕府による貿易統制というのが、江戸時代の実態です。
お礼
ありがとうございました。 補足のご回答がありましたので、詳細は割愛させていただきます。
- dulatour
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「鎖国」ということが、本当にあったのかという問題があります。 鎖国令という積極的に国を閉ざすということでなく、キリスト教国との交渉を絶つというキリスト教進入禁止ということだったのが、実質だったという議論がありますが、そんなことをいうと話がややこしくなるので・・・ 現実的に考えてみて、江戸時代も中国、韓国、ポルトガルなどとの交易はあり、海外の情報はある程度入手していました。いきなり、宇宙人か交渉に来たわけではありません。 で、どこの国が通商を求めてきたのかということになると、1778年に厚岸にロシア船が来て、通商を松前藩に求めたのが最初でしょうか。 あっ、もっと前に、イギリスが1673年に長崎に入港して、幕府に通商を求めたことがありました。 また、1739にもロシア船が陸奥や安房沖に出没したことが記録に残っています。つまり、江戸時代ずっと、海外との没交渉ではなかったということですね。
補足
まずは、なるほどとうなずき納得しました。 ありがとうございます。 私は、仮説でもよいので更なる疑問があります。 宇宙人を引き合いに出しては悪いと思いますが、たとえば今現在も 日本のだれかが宇宙人と交流していたとしても、誰も知りませんし、たぶん信用されません。 けれども将来的に国が宇宙人との交流を認めたならば開国となるわけでしょうが、それまでのいきさつ、江戸時代でもそれ以前であっても、誰が最初の橋渡しをして、その人は村人だったのか・・・ということですが・・・どうなんでしょ?
お礼
ジョン万次郎・・・そうでしたね。 事故とか、うわさから・・・ ありがとうございました。