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授業に生かす 清少納言と紫式部
高校の古典の授業として、『枕草子』の299段『雪のいと高う降りたるを』を題材に、清少納言と紫式部の比較?ができないかと、今考え中です。 この話は、当時清少納言が仕えていた中宮定子に漢詩にまつわる質問を投げかけられ、それを清少納言が見事に解釈し行動したということで、定子やまわりの女房たちも感心したという少し自慢のような話、とも言われています。 このような作品からわかる清少納言の性格と紫式部を比較してみたらおもしろいのではないかと考えています。 しかし一方的な授業ではなく、生徒も一緒に参加できたり、発言ができるような授業にしていきたいとも思っています。 何か良いアイディアはないでしょうか?注文が多くて申し訳ないのですが、、、何か良い知恵があれば、教えてください。 よろしくお願いします^^
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質問者が選んだベストアンサー
古典の授業として適切かどうかはわかりませんが・・・ 清少納言・・・自分の才能をひけらかすキャリアお娘さん 紫式部・・・本当は知っていても、知らないようなブリッ子をするケイサンちゃん どちらが好きか、討論させてから授業をすればどうでしょうか。清少納言と紫式部については一生忘れないでしょう。 興味や関心を引き出すことが、授業では必要かと・・・・・
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- ruinaruina
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御質問の糸には沿えない回答かもしれませんが… 『枕草子』やそれに書かれた宮中の華やぎや中宮定子の優美さ、 そして清少納言の溌剌さを、ただそれだけで捉えないでほしいです。 『枕草子』は、清少納言から定子への鎮魂歌のように思います。 『枕草子』が書かれたのは、既に定子も亡く、清少納言も宮中からは遠のいていた時期です。 中宮にまでなった定子の運命は、高校古典の先生でしたらご存じと思いますが、 そんな悲運の死を遂げることとなった定子へ、 「こんな楽しいことがありましたね。こんな華やかなことがありましたね」 そう語りかけるように書いたものが『枕草子』ではないでしょうか。 確かに、紫式部と清少納言を比較する見方は多いのですが、 別に彼女たち自身が対立していたわけでもありませんし、 なにより、教育の場でも見られる現在の清少納言に対する評価を、 すこし改めてみては、と思います。 大学生の身で、少し口が過ぎるかもしれませんが、 作品だけではなく、作品の歴史まで辿ってみなければ、人は分かりません。
お礼
回答ありがとうございます。 枕草子や清少納言についての文献をいろいろ見てみましたが、確かに清少納言は高慢な女だ、というようなことが多く書かれている傾向があるように思いました。 それは人々の興味をひく部分ではあると思うのですが、やっぱりおもしろがるだけではなくて、きちんとした知識も与える必要がありますよね。 参考になりました。ありがとうございます。
- ashiato999
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こんにちは。 生徒も参加させての授業展開なら、当時の貴族の常識を調べさせればいいでしょう。 特に『枕草子』は日本文学上「世界で最初の随筆」などと言われていますが、実は非常に政治的意図の強い作品であることを突き止めさせればよいと思います。 また二人の生没年と宮中で勤めていた時期を調べれば、紫式部がなぜ54巻もの大作を書かねばならなかったのかが分かり、生徒の文学に対する見方も変わってくると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 当時の人々の常識を知ることができたら、自分たち現代人の常識とも比較でき、楽しくなりそうです。 参考にさせていただきます、ありがとうございました!
- nanntosuji
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方言や、今風な言葉で書き直す宿題を出す。 出来れば行間に含まれる意地悪な感じや、自慢たらしい感じも 入れさせて それを授業で音読。
お礼
早速のご回答ありがとうございます! 高校の古典の授業とはいえ、品詞などを取り入れるとついてこれない生徒が多発^^;のため、方言・今風の言葉に直す授業は生徒たちの関心を引くと思います。 参考にさせていただきます。ありがとうございます。
お礼
早速のご回答ありがとうございます^^ なるほど!討論するとなるとイヤでも清少納言と紫式部のことを考えなければいけなくなるので、きっと心にも残りますよね。 参考にさせていただきます、ありがとうございます。