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アマチュア無線が日本で始まった頃は、今より開局の許可を取るのが難しかったですか?
アマチュア無線が日本で始まったのは、1920年代くらいだと思いますが、その当時は今のように資格を取って申請すれば誰でも簡単に免許がとれるというものではなかったのでしょうか? たとえば、文科系の学生が開局の申請をしたら、「君は理系でないのに、なぜ無線局を開局するんだ?」と聞かれて開局の許可を得るのが難しかったという話をきいたことがありますし、また、YL(女性)が開局するのも許可を得るのが難しかったのでしょうか? 今のように、誰でも開局できるというものではなかったのでしょうか?
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私がハムの世界を志した1960年ごろでも大変なものでした。 1.試験は3級(今の4級)でも記述式試験でした。四択ではありません。 2.無線機は市販はありません。部品をかき集めて自作するしかありませんでした。かなりの技術力が要りました。 3.3級局でも開局の前に電波監理局から検査官が出張してきて念入りな検査が行われました。 4.今では上級局でも電信の試験が大幅に緩和されていますが、その頃、 1級局では和文の送信、和文の受信、欧文の送信、欧文の受信の4つの実技試験が有って 送信は試験官と1対1で向き合って行う緊張するものでした。 しかも打った符号は記録紙に記録されて符号の癖まで徹底的にチェックされるのです。 今では幼稚園児でも受かる四択で、市販の無線機で申請すればすぐに免許が来るというありがたい世界です。 これが「アマチュア無線技士」ならぬ「アマチュア無線通信士」と揶揄される一因でしょう。
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- ymmasayan
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No.2です。 戦後のハム再開のことを書いたページがありました。↓ (1)(2)を続けてお読みください。 なお、戦前はアマチュア無線局というのは無く実験局や無免許局だったようです。 取り締まる法律が無かった時代も有ったようです。
お礼
再度ご回答いただきありがとうございました。 大変参考になりました。
多分「JARL保証認定」が昭和34年からだから、それ以前は自分で計算して提出するから難しかったのではないかな。 今は無線機の保証認定番号を書けば局免がおりますから、私でも開局できましたが、自作だと大変だったと思います。
お礼
早速ご回答頂きありがとうございます。 参考になりました。
お礼
1960年ごろでもそれだけ厳しかったら、1920年代、1930年代にはもっと厳しかったでしょうか。 大変参考になりました。ありがとうございます。