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朝鮮文化の影響とは?
- 朝鮮と日本の外交関係は壬申倭乱をきっかけに断絶し、日本は経済的に困難に陥ったため、徳川幕府は朝鮮に対馬島主を通じた交渉を求めた。
- 15世紀の朝鮮の影響で、日本の室町時代の美術に大きな影響があった。
- 朝鮮文化は日本に古代中国の文化を伝える役割を果たした。
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銀は、貨幣自体が存在しない古代は別として、近代工業が発達するまでは、その用途は、貨幣としての使用が圧倒的ですから、国内でいくら銀をたくさん生産していても、海外との取引が極端に少ない時代では、単に銀の価値が米などの実物商品に対して低くなる、という結果につながるだけです。ですから、銀の生産量をもって、豊かかどうかを判断するのは、ちと基準としていかがなものか、とは思います。 銀のような貨幣でなく、実物(例えば米などの食料)の、一人当たりの生産量あるいは消費量などで測った方が合理的だと思います。 また、文禄・慶長の役で、儒者・陶工・活版印刷技術者を捕虜として、日本に連れてきていますから、そういう分野で日本側に需要があった、とは言えると思います。 しかし、そうだとしても、朝鮮通信使が、貧しい(??)日本を豊かにする程の物資を運べるわけも無く、また、朝鮮通信使によって生産技術の革新がもたらされた、という話も、あまり聞きません。(陶工や印刷技術は、多少は言える可能性は否定しませんが、それで経済的な困難が解決できるかというと??・・・) 文禄・慶長の役の後、国交を回復しようとしたのは、日本側(徳川家康)で、朝鮮側は、未だに日本を警戒していた為、消極的でした。対馬藩にとっては、対朝鮮貿易は重要な収入の途でしたから、国交回復には必死でした。徳川家康は、南蛮船が持ち込んだ生糸の値付けに介入するなど、貿易に関しては非常に熱心でしたから、朝鮮との国交回復の動機に経済的なものが含まれていた、と考えても、それほど無茶ではないかも知れません。しかし、そうであったとしても、あくまで奢侈品の取引で儲けようという事ですから、日本全体の経済的な苦境(もしそうだったしたら・・・だが)の役に立ちません。 だから、「経済的に困難に陥ったので、朝鮮の先進的な文物を導入しようとした」というのは、論理的にちょっと変なんじゃないか、という気がします。「日本が豊かか貧しいかに関わらず」です。 鎖国状態の日本では、通信使は、日本人が直接海外の同学とコンタクトできる、事実上唯一のチャンスですから、儒学者はかなり熱心に通信使の中の儒者に会いたがったようです。朝鮮儒学が先進的かどうかは別にして、そういう需要はあったでしょう。でも、先進的な?儒学を学んでも、経済的な問題は解決しませんよねぇ?? >(2)『15世紀の絵画は日本の室町時代の美術に大きな影響を与えた』 >具体的な事実が思い浮かびません。 李朝絵画は室町時代の水墨画に大きな影響を与えた、という説は古くからあります。 参考URL(末尾)からの引用 「脇本氏(引用者註:戦前の美術史家)はそのなかで初めて相国寺の画僧周文が朝鮮に渡った事実を紹介し、「朝鮮画を度外視して日本水墨画の全問題を解決することは不可能である」と指摘した。そして室町水墨画の中期(15世紀半ば)は、初期、後期の中国系にはさまれた「朝鮮画時代」としている。」 (李朝絵画には)「日本や中国の絵画にはみられない素朴さがあり、それがまた一種の魅力となっている。(中略)この特徴が曽我派に吸収されていることは疑いないところであろう。」(by戦後の美術史家松下隆章) 宋、元、あるいは明の影響も受けたし、李朝絵画の影響も受けた、という事です。 尚、蛇足ですが、日本からの返礼使は、原則として釜山までしか行きませんでしたが、朝鮮側が、侵略の為の情報収集につながる事を恐れてそうしたとはいえ、日本の返礼使が釜山で返されるのと、朝鮮通信使が江戸まで行くのとでは、待遇としては明らかに後者の方が上です。使いの者を送ったら、玄関で小間使いに「ご苦労さんでした」と言われて帰されてしまうのと、家の中まで通されて主人から直接「宜しく伝えてくれ」と言われてから帰されるのとでは、どっちが丁寧な扱いかを、考えてみればわかります。玄関で返されたのを、威張っちゃいけません。現実は、日本側・朝鮮側とも、「外交上は対等を前提にせざるを得ない」という事は理解しつつ、自分に見えない相手国内での扱いは、相手国内での都合を優先して扱っても文句は言わない、って事です。ま、大人の対応ですね。
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- tiuhti
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再々度No.6です。 すみません、前回の回答に間違いがありました。 『金の産出量が例えば十倍になると、非常に単純に考えると、金の価格は十分の一になり、一人当たりの金の保有量は十倍になります。』 インフレの話をしているのだから、産出量じゃなくて、金が存在する量の問題ですね。だから、「金の産出量が飛躍的に増えて、世の中に存在する金の量が10倍になれば、単純に考えれば、金の価格は10分の1になる」っていうのが正しい説明でした。失礼しました。 >銀の件は銀を輸出して生糸などを輸入していたのですから、やはり国家の富であろうと思います。 このサイトは議論をして誰かを納得させるためのものでなく、単に質問に対して答える場所です。私の言っている意味が御理解頂ければありがたいだけで、「同意しろ」という気は毛頭ありません。 確かに16世紀の後半が日本の銀の産出量のピークだった」と聞いているので、質問者の方のような考え方に立てば、少なくとも「経済的に困難に陥った」とは言えないですよね。「絶対におかしい!」とは思いません。 ・・・っていうか、 >壬申倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。 というところからして、変じゃないですか?「朝鮮との外交関係が断絶したから、日本が経済的に困難に陥る」ほど、日本が朝鮮との外交や貿易に依存していた、とは思えませんから…。そういう意味では、やはり、豊かかどうかを考えるまでも無く、無理筋ではないかと思います。 >教えていただいた仏大の講座は出かけていくのは体力的にしんどいようです。 いえいえ、そういう意味じゃなくて、「先進文物には、医学も入るんじゃないですか?」ってだけの事です。 >老人の趣味としての歴史勉強の日本史の知識と朝鮮史が整合しないところがあり…こういう知識の不整合というのは経験がありません。 私は典型的な文系人間ですが、文系理系に関わらず、今までの知識と一致しない説を聞けば、「ほんとかいなぁ」と思うのは共通じゃないでしょうか?そして、その説について、調べてみて、納得できれば、もう疑問には思わないし、納得できなければ「うそじゃないのぉ?」って疑問が強くなる、それだけだと思っています。そして、こういうサイトで質問されるのも、「調べる」事の一種ですから、質問者の方は、至極当然の事をされているだけだと思っています。 ただ、これはネット上でよく感じられるのですが、ごく普通に調べるのではなく、とにかく相手を「ウソツキ」or「アホだ」だと断定するのに一生懸命なだけな人が散見されるように思います。例えば、今回のようなテーマの場合、「朝鮮文化は、所詮中国のコピーだ」という議論が、よく出てきます。でも、コピーだろうがなんだろうが、日本に影響を与えたのなら与えたのだし、与えてないのなら、与えてない、それだけの事だと思っています。 イングランドの建築史において、わりと大規模な石造りの城や教会が本格的に作られるようになったのは、ノルマン人の征服以降で、その時の建築様式を「ノルマン様式」と言います。実は、ノルマン様式と同じものは、大陸ではロマネスク様式と呼ばれます。イングランドでノルマン様式と呼ぶのは、勿論、ノルマン人が持ち込んだからです。その意味では、元々ノルマン人のオリジナルではない、という事は知りながら、言ってみれば「ノルマン人の貢献」を認識している、って事です。 私は、韓国の人とネットでは直接やりとりをした事がありませんが、伝え聞くところによると、なんでもかんでも「朝鮮半島起源だ」と言い張りたい(orそういう人が多い)のだそうですね。もし、そうだとしたら、そういう韓国人と、「オリジナリティはないだろ!」と言い張る日本人は、対馬海峡をはさんで、同様に低レベルな主張をぶつけ合ってる、と言う風に私には感じられます。既に申し上げたように、質問者の方を意識して言っているのではありません。また蛇足だと怒られるかも知れませんね…。
お礼
懇切丁寧な回答。ただ、感謝あるのみです。今後も似たような質問をするかもしれません。その節はよろしく御願いします。
- tiuhti
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再度No.6です。 >素人が知るわけがありません。 そうですね。別に知らなくても構わないでしょう? >これは日本の史学会が尊大で朝鮮の影響を認めたがらないのか、朝鮮側が尊大で影響を針小棒大に言うのかどちらでしょうか? 実際の教科書の記載を見れば、「日本では、影響を認めているけれど、教科書に載せる程の重要事項じゃない、と考えていて、韓国では、影響を認め、かつ教科書に載せるに値する、と考えている」って事は事実でしょうね。日本の教育を受けている私にとっては、韓国の記載は「わざわざ書くほどのものなんですかぁ?」と言うのが素直な感想ではあります。 もっとも、日本の教科書の中でも、基本的な事項は共通しても、細かいところは、一部の教科書しか書かない例も結構ありますから、そういうのを、どっちかが尊大なはずだ、という人はあまりいないとは思っています。 >あの時代は言われているほど農業人口が多かったわけではない、と理解しているのですが .... 。 外部との交易が無い世界を想定すると、金の産出量が例えば十倍になると、非常に単純に考えると、金の価格は十分の一になり、一人当たりの金の保有量は十倍になります。私が言ったのは、「こういうのを、以前に比べて豊かになったというのだろうか?貨幣流通量が十倍になったのと、どこが違うの?」という意味です。農業人口の比率の大小とか、網野善彦とかは関係ありません。閉鎖的な世界では、モノを捨てたり腐らせたりしない限りは、生産量=消費量ですから、現実の生活レベルを測るには、貨幣としての用途が主だった金や銀よりも、何か適当な生活必需品(米のような基礎的なもの)の一人当たりの生産量を見るのが適当ではないか、そういう事です。貿易が無ければ、金や銀をいくら持っていても、国内のインフレ要因にしかならず、生活レベルには違いはありません。それよりも、(例えば)腹いっぱい喰えているかどうかの方が、ずっと重要じゃないでしょうか?比較的常識的な考え方だと、自分では思ってますが…。(尚、朝鮮の方が豊かだったと主張しようとしているのではありません。どっちでも、結論=「韓国の教科書の記述はヘン」に変わりはない、と思っています。) >朝鮮通信使がもたらした『先進文物』は何か、そう言っても良い根拠はあるのか?というのが質問なのですが...。 それは大変失礼しました。朝鮮通信史は、随員の中には、儒者・医者・絵師も含まれていたそうですから、そこらへんじゃないでしょうか。例えば、通信使の例そのものではありませんが、朝鮮を医学先進国と記載しているサイトを、いくつか見つけました。↓ 中国での変化を、朝鮮の方がより強く・早く受けられるのは事実でしょうから、そういうのを「先進的」と呼ぶのなら、儒学や絵画も「先進的」なのかも知れませんね。 http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUSEC/lecture/course/2006_12/kyouyou/p20.html http://www.geocities.jp/lbyakuendai/histyaku.html >蛇足としてのご指摘は蛇足ですねぇ。せっかく教えていただいたのに失礼がありましたら、相手は半ボケじじいだと思ってご容赦下さい。 こちらは別に構いません。ま、簡単に言えば、相手がヘンな事を言っていると思っても、それにわざわざ対抗して、こっちもヘンな事を言う必要はないでしょう、って思っているだけです。
お礼
大変懇切な回答をありがとうございます。回答者は『一般人』とありますが、私には少し専門的すぎるようです。「相手がヘンな事を言っていると思っても、それにわざわざ対抗して、こっちもヘンな事を言う必要はないでしょう」と仰るのはその通りだと思うのですが、老人の趣味としての歴史勉強の日本史の知識と朝鮮史が整合しないところがあり、何とも言いようのない感じがして、質問したのでした。私は現役の頃は理系の人間でしたので、こういう知識の不整合というのは経験がありません。教えていただいた仏大の講座は出かけていくのは体力的にしんどいようです。 本当にありがとうございます。 ただ、銀の件は銀を輸出して生糸などを輸入していたのですから、やはり国家の富であろうと思います。
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
基本的に、朝鮮文化が日本に対して影響を与えたという史実はありません。 朝鮮では、中国文化を至上のものとし、独自の文化といえるものを否定していました。 それに、(1)の時代、日本は福建省や遠くタイ・マカオといった西洋植民地、東南アジアの国々とも直接交流していました。 朝鮮とはあくまでも「ついで」の交流です。 考えても見てください。 朝鮮の使節は遠く江戸まで旅をしているのです。 それに引き換え、日本の使節が朝鮮領内を通過して謁見にいったという史実は無いのです。 現実は、厳しいですね。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
価値観の違いです。 朝鮮の文物は全て先進。 という前提に立てば、朝鮮から日本に来たモノは全て先進。 で、先進ってなんですか?と聞かれて、先進とは朝鮮のモノだ。と言われれば、そういう価値観ですねとしか答えようがありません。 現代的な意味、つまり産業生産力で考えると、室町期には、すでに日本では二毛作が普及し、朝鮮からの使節がそのことを報告しています。(記録というのは、だいたい外部の人間が残すモノです。当たり前のように二毛作をしていれば、だれも記録に残さない) ”朝鮮使節が見た日本の農業” で検索すると PDFファイルが引っかかりますので、お試しください 産銀が多く豊か・・・というよりも農業社会ですので農業の生産性が日本はたかったので日本は豊かだったというhじょうが、現代的な意味では正しいかと思います。 二毛作が先進文物かどうかに関しては、当時の朝鮮半島の価値観では、たぶん先進文物ではないと思われたと考えられます。理由は、導入しようという努力の跡が見えないので。
お礼
回答ありがとうございます。 世界の産銀量の4割にも及ぶ国は、現在の産油国のように『豊か』であったと思いますが...。
- questman
- ベストアンサー率30% (111/365)
(1)向こうでは「歴史的事実」なのかも知れません。 というのも、日本(徳川幕府)から李氏朝鮮への外交アクセスは中間に対馬の宗氏が担当していました。国書の授受も宗氏が行い、途中で翻訳などもしていたようです。この段階で日本・朝鮮双方にトゲの立たぬよう宗氏が「配慮」していた可能性があります。世に言う「国書偽造」というものです。日本側には「朝鮮使節が朝貢してきました」といい、朝鮮側にも「日本が償いの使いを派遣しました」というような。江戸時代の朝鮮使節も別に日本の産業をつぶさに見聞したわけではなく、酒を飲まされて接待受けて帰るだけですから、お互いのメンツを保つあいまいな状態が続いたのではないでしょうか。 (2)雪舟が宋の水墨画を学んだり足利義満の金閣寺のように、中国の影響は非常に強いと思いますが、朝鮮文化はわかりません。逆に朝鮮料理に欠かせないトウガラシやコンブが日本から朝鮮に伝わったことを彼らは知っているのかな・・・と思います(笑)
お礼
回答ありがとうございます。 日本が朝鮮との貿易が途絶し、経済的に困窮したというのが、かの国の歴史事実でしょうか? 当時の日本はかの国に比べ遙かに豊かであったと私は思っているのですが...。
- FEX2053
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これのことですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF 確かにこの時期、正式に「国交」をしているのは朝鮮だけですし、 日本に持ってきた文物は確かに受け入れていますが、どっちかというと 日本国内では「朝貢」に近い扱いを受けていましたので、あまりそれが 中心ではありませんでしたね。 むしろ正式な国交のない、出島経由のオランダなどのほうが、文物の 受け入れでは質・量ともに大きいかと。
お礼
ありがとうございます。 『日本に持ってきた文物』とは何でしょうか?儒者との交流はあり、書画が残っているようですが...。
- gyrocompas
- ベストアンサー率23% (24/104)
推測ですが、当時において朝鮮との外交を推進したのは、 林羅山らの儒学者だったと思います。 当時の儒学者は、朝鮮は儒学の理想国家だと見なしていたようです。 経済や、技術という面から見れば、日本にはなんの利益も なかったでしょう。 なにしろ、李氏朝鮮が崩壊する間際まで、商品経済が存在しなかった とさえ言われております。 自国の歴史を冷静に科学的に検証するような機運がないと 今後の韓国の行く末には、不安を禁じ得ませんな。 北朝鮮は、問題外ですが。
お礼
ありがとうございます。 「自国の歴史を冷静に科学的に検証するような機運がないと...」というのは我が国にも当てはまることかと思います。しかし、あの国はちょっとひどいようです。
お礼
回答ありがとうございます。大変勉強になりました。周文の事は知りませんでした。『中公文庫日本の歴史』を改めて調べてみましたが、雪舟の師匠との記述しかありません。素人が知るわけはありません。これは日本の史学会が尊大で朝鮮の影響を認めたがらないのか、朝鮮側が尊大で影響を針小棒大に言うのかどちらでしょうか? 銀の生産=国家の富ではないというご指摘は納得できません。あの時代は言われているほど農業人口が多かったわけではない、と理解しているのですが .... 。網野さんは百姓=農民ではないと論証しておられたと思います。 朝鮮通信使がもたらした『先進文物』は何か、そう言っても良い根拠はあるのか?というのが質問なのですが...。 蛇足としてのご指摘は蛇足ですねぇ。せっかく教えていただいたのに失礼がありましたら、相手は半ボケじじいだと思ってご容赦下さい。