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人間の労働として残るものとは・・
現代の産業の中ではますますの機械化が進み、ほとんどの仕事をロボットなどの機械が行っているのは事実だと思います。これから人工知能などの開発がすすみ、そのロボットの制御などもロボットが行えるようになったら、人間の労働として残るものはなんなのでしょうか?どなたかご教授願います。
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未来の社会では、雑務はどんどんコンピュータやロボット に任せるようになるでしょう。 しかし、現在のところ(また近未来でも)コンピュータに 解決できない分野があります。 それは「創造性」に関わる分野です。 現在のコンピュータは、基本的には「情報処理」しかでき ません。人工知能といっても、たかがしれています。 今のコンピュータは価値判断ができないので(ある程度で きるとしても、それは人間がインプットした指令またはプ ログラムによるもの)、人間のように無から有を生みだし たり、既存のモノに付加価値を加えて新しい製品を作りだ すことはできないでしょう。 未来の社会では、カネを稼ぎたい人はモノ作りに打ち込む 職人や技術者になったり、あるいは実作業を担当する各種 ロボットの管理や機能改善を担当すればいいでしょう。 カネ稼ぎよりも趣味に生きたい人は、作家や芸術家、ある いはスポーツ選手の道を選べばいいのではないでしょうか。 また、別の面を指摘しますと、ロボットを導入したところで 製品の生産性が必ずしも上がるとは限りません。 むしろ、コストパフォーマンスを考慮すると、高価なロボットを 導入するより、人間に作業させた方が効率がよいこともしばしば あります。 多品種少量生産の時代では、必ずしもロボットの導入が進 むとは限らないんですね。人間の方が、よほど柔軟性があ ります。
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- littlekiss
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lassenさん、はじめまして。 これ、人間を先進国と考えて、ロボットを発展途上国とおきかえてかんがえられないでしょうか?対象が人間生身のものとロボット機械のものとでは、ロボットにこころがないように安易に扱われがちです。見た目の見え方で、相対する対象に態度をコロコロ変える人も世の中にたくさんいます。なぜ?態度をかえるのか?何がしかの偏見が存在するとは考えられないでしょうか? 発展途上国が先進国を経済・技術。開発面から追い抜き現在の世界での立場がひっくり返ったと考えれば何か少し見えてきませんか?日本から遠く離れた地でいまもなを貧困・飢え・飢餓・戦争等の殺伐とした中で暮す人々がいます。それらの国々に対してTVの映像や雑誌記事、写真等でしかほとんど理解しえていない日本やその他の先進国。途上国の実態の一部を見ているだけに過ぎない安全な国に暮らす人々。発展途上国に先進国は経済的優位なおごりのようなもの偏見としてあるようにおもわれませんか?対等な立場とは、いえないのではないでしょうか。発展途上国は、先進国から何がしかの経済支援を受けている手前、扱いに不満を抱いていても何もいえない・言わせないような機構が出来上がっているのではないで゛しょうか? あらためて、主題に戻ります。 「これから人工知能などの開発がすすみ、そのロボットの制御などもロボットが行えるようになったら、人間の労働として残るものはなんなのでしょうか?」 相手には血が通ってないという概念をとっぱらってください。血が通っていないものにはこころがない。と、軽蔑して見下した扱いはあまりにも悲しいです。ロボットにはこころがないと嘆くよりもロボットを愛する。愛すればこそ、そのときそのときで人間がなにをしたいか、何ができるかの何が見えてくるかと思います。できることをひとつづつはじめるだけです。労働見渡せば、手助けできることまだまだたくさんあると思うんです。 ご質問から外れていたらご容赦ください。
lassenさん、今日は。 負け惜しみを言わせてください。 このような意味の質問を経済か哲学で何時かネタが切れた時にと用意していたのです。 自分のしたい質問に自分が回答する羽目になってしまいました。もちろん自信を持って「自信なし」の回答です。 人間が生存する為に必要な事物がすべて機械で自動的にしかも継続性を持って生産されたら、人間の労働はなくなるのではないだろうか?と言う質問だと考えますが、その機械の所有関係と、生産物の分配方法に色々な課題がありそうですが、ひとまずその部分を無視すれば、労働は無くならないのではと考えます。 スパーマシンが全世界で10の生活を可能にすれば、全世界の人間は20の生活を求めて、新しいスーパーマシンを作り出す新しい労働を創造するのではないでしょうか。 便利な物が出来ても、さらに便利な物への要求が世界を発展させてきたみたいですね。 lassenさんのご意見も聞いてみたいですね。
- cueda
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lassenさん、こんにちは。 回答の種類を回答にしましたが、私が思うことということで読んでいただければと思います。 私が思うに、ロボット(現在の)などができない仕事は人のこころの琴線に触れる仕事だと思います。 精神科の医師やカウンセラーといった人の「こころ」をケアする職業や、漫才師など人を楽しませるエンターテナー、W杯で国を背負って闘っている選手達、芸術家などだと思います。教育することや親になるということもそうだと思います。 サッカーやスキーをするロボット、名演奏家と同じように演奏するロボットや、芸術作品の模写をするロボットだっているかもしれません。 しかし、2足歩行のロボットが大変素晴らしい技術に基づいているとしても現段階では、プログラミングの結果でしかなく、制作した人間側の努力や忍耐や才能や運などといった目に見えない大事なものをロボットはまだ感じることができていない、感情の疎通が出来ていないのではないかということです。 でも、人間は「こころ」の琴線でそれらを感じ取って生活しているように思います。そしてそれを、総合的に評価し判断して生活しているような気がします。 長々となりましたが、これからますます技術が進んだとしても、感情の相互関係を必要とする仕事にはロボットの参入は難しいように思うのが、今の私の思うことです。
思索にふけることではないでしょうか? ようするに、「物を考える」ということですね。研究活動はロボットにさせるには明らかに無理がありますし、結局それらロボットを統括して管理する必要はあります。いずれにしても、最終的に残るものは「考える」ことです。 そもそも人間は「働く必要のない社会」をめざして今まで働いてきたのですから、これは当然の流れといえるでしょうね。
お礼
なるほど。人間は今の生活に満足することはないということですね。 難しい問題で私は意見などもてないのですが、 やはり、いくら機械が進化しても人間の労働はなくならないですよね? 機械を制御する人工知能をもったロボットができたとしても、 じゃーそれを作ったのはだれなんだ!?って話ですよね? じゃーそれも人工知能ロボットにさせようとしたって、 それを作るのはやはり、人間なのですから。