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十戒のモーセ
書き込みはここでいいのか不安なんですが、 昨日「十戒」を見てしまいました。 モーセって実在の人物なんですか? 居たかもしれないし、居なかったかもしれない人? ラムセス2世はエジプト黄金期のファラオとして 実在した人物ですよね? その彼がコテンパンにやられてるのも納得いかない。 まぁ映画なんで細かいことはいいんですけど。
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モーセは、歴史的に実在したと考えられます。ただ、どういう人物であったのか、正確に分からないということがあります。複数の人間が重ねられているのかも知れませんが、多分、単独の人間です。 エジプトに、紀元前14世紀頃、ユダヤ人が住んでいたか、立ち寄って居住していたことは事実で、これは「アトン讃歌」と「旧約聖書・詩篇」のなかの詩の類似性から論証されます。 その後、12世紀頃には、ユダヤ人は、パレスティナに来ていたことは歴史的に確認できるので(通説では。異論もあります)、13世紀か14世紀にエジプトから出てきて、カナーン(パレスティナの一部)に移住して来たことは間違いありません。 実は、それ以前のユダヤ人はどこにいたのか、これは歴史的な証拠がありません。アブラハムなどは、伝説の人物になります。日本だと神武天皇にもなるかも知れません。 モーセは、聖徳太子ぐらいに当たるかも知れません。聖徳太子は、実像が曖昧で、そういう人物が存在したことは事実ですが、歴史的にどういうことだったのか、よく分かりません。聖徳太子の方が色々な記録に残っているので、モーセよりも、存在は確実性が高いですが。 モーセが歴史的人物と考えられることは、ユダヤ人がエジプトを離れたのは歴史的事実で、その指導者がいたというのは、別に無理な想定ではないからです。複数の人物が重なっているかも知れないというのは、複数の指導者の業績をモーセ一人に集めている可能性もあるからです。 モーセという名は、エジプト語が起源で、「……の息子」という意味の「息子」部分が、モーセに当たります。「神の息子」だったのか「誰かの息子」だったのか、「誰か」の部分が消えているのです。そこから、モーセが、エジプト人の養子だったという「聖書」の記述に信憑性が出てきます。 ラムセスという名は確か、「ラーの息子」というような基本的意味があったはずです。「太陽の息子ラムセス」という小説がありますが、ラムセスの名そのものが、「ラー(太陽神)の息子」の意味があった可能性があります。この「ラ+ムセス」の「ムセ」の部分の「ms」が、丁度モーセに当たるのです。 ラムセス2世の時に、ユダヤ人がエジプトを後にしたという可能性はあります。ユダヤ人の一神教は、イクナートンの「アトン一神教信仰」を継承したのではないかという説があり、イクナートンの第18王朝が滅びて、亡国のファラオとして、イクナートンは、第19王朝では無視されます。 ラムセス2世は、第19王朝三代目のファラオで、第一代の治世2年、第二代セティの十数年に較べると、60年ほど王位にあったラムセス2世は、第19王朝最大の王で、彼が、エジプト新王国時代の黄金時代を創ったファラオとも言えるのです。 ユダヤ人がアトン信仰を継承していたとすると、第19王朝のファラオたちのイクナートンに対する仕打ちは、不満であったでしょう。アトン信仰が否定されたことも不満であったということになります。 ユダヤ人がエジプトを後にしたのは、ラムセス2世の時代だということは、大いに考えられます。ただ、ラムセス2世は、「聖書」が記述しているファラオ(パロ)の像に一致しません。どこか歪められているか、伝承で話を作った可能性があります。 モーセが、エジプト貴族の養子になり、貧しいユダヤ人と自分が同族であることを知り、困難を越えて、ユダヤ人のエジプト脱出を指導したという可能性は高いです。 モーセが何か、奇跡に出会い、ヤハウェの呼びかけと召命を受けたという可能性も高いです。ユダヤ人には、強力な指導者がいたと考えられるからです。 しかし、その他のことは、すべて歴史的に証拠がありません。モーセが実在したというエジプト側の記録がないというのも、記録に足らない出来事だったからでしょう。意図的に記録から抹消したということではないと思います。 ヒッタイトと戦って、これを撃退したラムセス2世のエジプトは、世界帝国となっており、当時の最大最強国家でした。少数のユダヤ人脱出程度は、記録に残らなかった可能性が高いのです。 モーセがエジプト人貴族として、ユダヤ人の指導者として、ラムセスと会見した可能性はあると思います。しかし、「聖書」に書かれていることは、ほぼフィクションでしょう。何かの史実を反映しているのかも知れませんが、エジプトのファラオが、有象無象のユダヤ人に敗北するなどということはありません。 ラムセス2世は長寿を保ち、その木乃伊は、現在も存在していて、彼の誇り高い相貌を今に伝えています。 「聖書」に描かれているようなモーセはいなかったかもしれませんが、その元になる人物はいたと思われます。これをモーセと呼ぶのは、妥当だと思います。実在した人物でなければ、その名がエジプト起源であることの説明が付かないからです。
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- cse_ri2
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ラムセス2世と兄弟というのは、フィクションでしょうね。 しかし、イスラエル民族のエジプト脱出については、 ラムセス2世の頃の時代であっただろう、という話を 何かの本で読んだ記憶があります。 資料として、エジプトの歴史がありますが、エジプトの歴史 には、この話は出ていません。 しかし、エジプトの歴史は、自分たちが勝利した事柄しか 記録しなかったようなので、モーセが実在しイスラエル民族 のエジプト脱出があったとしても、そのことを歴史に記録 しなかった、ということは十分考えられそうです。
お礼
>エジプトの歴史は、自分たちが勝利した事柄しか >記録しなかったようなので そうですよねぇ。 自分たちの不利益になるようなことって 書かないですよねぇ。あんまり。 「歴史」を見るとき、何でも鵜呑みにしちゃいけませんね。
- tougarashi
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居たかも知れないけど、ラムセス二世と兄弟というのは脚色でしょう(笑) 50歳くらいになって出てきた指導者という感じではなかったかと。 コテンパンというより、奴隷となっていた人達とともに海を渡って逃げた のだろうと思います。
- ShaneOMac
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伝説的指導者という扱いだと思います。歴史の本には必ず出てきますが。 紀元前1250年前後にヘブライ人の一部の部族がエジプトからカナーンの地へ移住したということ(出エジプト)は史実とされているようです。宗教上の問題や伝説もからんでくるのでその事件をどうとらえるかは難しいところでしょう。そもそも歴史に客観的真実を求めること自体に無理があります。 例えば中国の古代王朝や三皇五帝は史実として書かれたものが残っていますが、それを事実ととらえるかは見解の分かれるところです。
お礼
なるほど!!とてもよくわかりました。 ラムセス2世との謎も解けて更に勉強になりました。 エジプト脱出はユダヤ人にしてみれば 歴史の大きなターニングポイントであるけれど、 エジプト人にしてみればとるに足らないことだったんですね。 同じ出来事でも、立場によって全然重みが違うってことを 改めて勉強しました。ありがとうございました。