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博士号 理高文低
と新聞の記事で見ました。理系の博士課程で博士号を授与される人数はだいたい半数ぐらいですが、文系は理系の3分の1ぐらいしか博士課程では授与されてません。文系は教授が定年ぐらいになって授与されるケースが多いらしいです。なぜこういうことになるのでしょうか?文系の学生に博士課程で博士号を授与してはいけない理由はあるのでしょうか?気になったので教えてください。
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文系だと博士課程の教授でも学位を持っていない人がいるくらいです。その理由は皆さんが書かれている通りで、「博士」は「教授」より偉かったのです。 ただ、最近の文系の博士を出すところは理系に比べるとかなり基準が甘いと思います。理系だと、しかるべき学会の論文誌に少なくとも1編の論文が採録(採録通知を含む)されていることが最低条件だと思います。材料系ではもっと多くの論文が要求されます。その他に国際会議などの補強論文がいくつか必要です。このような条件を満足しない学生はそもそも論文を書かせて貰えませんが、条件を満足すれば大威張りで書けます。 一方、文系の博士課程では、そもそも論文数の条件がないところもあるようです。論文にしても、理系だったら大学の紀要掲載論文は論文扱いして貰えませんが、文系だと紀要掲載論文も立派な業績になるようです。
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- Kemi33
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「博士号」の持つ意味が理系と文系で違うからでしょう。 「理系」の場合,「博士号」は研究者として一人立する基礎ができた者に与えられるのが殆どです。そのため,博士課程を出て一定の研究成果を纏める事ができれば(簡単には,学術論文を規定数発表すれば),「博士」の学位が与えられます。つまり,理系の「博士号」は研究者となるスタート地点です。 一方,「文系」の場合,「博士号」は一定の研究成果が認められた人に与えられるようです。そのため,ある程度の年数を経て,研究成果(論文等)が同分野の研究者に認められる必要があります。当然,反する意見を持つ研究者もいるでしょうから,それなりの年数が掛かり,とれる人の数も少なくなってしまいます。つまり文系の「博士号」は研究者のゴール地点でした。 なお,最近では,お書きの様な状況ではいけないとの事で,文系の「博士号」の規準も理系の規準に近づいて来ているそうです。
- tanuki4u
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博士号の市場価値に寄ります。 理系における博士号は、大学と企業とで両方で意味があります。理系の博士号を持っている企業内の研究者は沢山います。 言い方をかえると、企業における研究者を評価することも、大学における博士号授与が与っております。 一方で文系の博士号は、大学内部だけの評価基準です。 とすると、助手ー講師ー助教授ー教授評価基準がありますので、博士号を持っている事よりも、教授職であることに強い意味が出てきます。 戦前においては、博士号は研究の総まとめとして、退官前に取ればいいと言う風習がありました。 この風習をなくす積極的な理由が文系にはなかったということになります。 アメリカでは、大学外に於いても文学博士・法学博士が評価されるので、多く発行されるということになります。 大学の体制というよりも、社会の要請となります。文理での博士号の授与が違うのは。
- chinatsu1984
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文系教授のほとんどが英文誌なんて書いていません。 主任教授がやった研究の焼き直しではノイエスになりません。だから文系の博士は生まれませんね。 例えば、邪馬台国の研究。 京大系は畿内説、東大系は九州説から一歩もはみ出すことはできません。
- AUGUUUAAA
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理系は、博士課程を終わった人の研究が一応まとまっていれば博士号を出します。 文系は、博士号を与えるほうの教授たちが、かなり質の高い研究をしてやっともらった人たちですから、どうしても要求レベルが高くなるのです。 別の言い方をすれば、新制大学に切り替わったとき、理系の教授たちは、「新制度では、博士の与え方(価値)が変わったのだ」と頭を切り替えたのですが、文系の教授たちは切り替えなかったのです。
詳しくはわかりませんが。 以下、文系の学校で聞いた話です。 理系でも同じなのかどうかはわかりません。 昔は博士号といったら、天才的な人にしか授与しなかったようです。 最近は、就職しやすくするために、ちょっと甘めに授与したりもしているようです。 学生の質が博士号に値するか、だけでなく、何かそういった別の事情があるのかもしれませんね。