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いじめられ人間に原因がある。いじめ人間は悪い・・・
いじめられる人間に原因がある・・・これは理解できます。 いじめ人間が100%悪い・・・これも理解できます。 但しナイフ持って報復してはいけない。・・・この理屈がわかりません。 何故ですか?
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善意には報復とか見返りを求める目的がありません。 悪意というものは必ず見返りを求めます。 ナイフで報復が良くないというよりも 悪意を持つということは、 相手よりも真っ先に自分が醜くなってしまうから 実は損気で、しないのがいいのです。 では善意(正義)は 不当な悪意にも無防備で無策にいて いつも泣き寝入りするものなか?という声が聞こえるのですが、 それは違いますよ。 悪意のある相手と介せず 相手と無関係に自分で勝手に幸せになればいいことで、 自分で自分に幸せになる権利というより義務を多いに 与えることです。 波乱万丈、切磋琢磨して夢を追いかけている人にとって 他人に裏切られることよりも 自分を上手くコントロール出来ない事で不自由と感じ辛くなるはず。 一度きりの人生で、僅かな期間でもいい 死にそうになるぐらい勉強するとか、仕事するとか、 誰かの為に、自分の誇りの為に必死になって ボロボロの雑巾のようになり 甘えられる人と出会ってください。 きっと、全て許され、 人ではなく自分が頼もしくもなります。
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- Tori_30
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罪は誰かの罪で贖う事は出来ない。それだけの事です。 イジメは悪い事です。加害者が悪いという事は明白でしょう。 ですが、それにナイフを持って(まあ、ナイフ持ってなくても同じですけどね)報復する。その加害者は誰ですか?報復する人でしょ?それも罪です。それはそれで罪を問われるべきなんです。 罪は罪。複数の事案を切り離して考えた方が良いと思います。
- de-niro3
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ハムラビ法典についてなんですが、学校では、「相手を失明させた場合、加害者も同等の被害を与える=原始的蛮習」的に習いますが、「復讐の無限連鎖防止」の意味合いもあったようです。 つまり、たとえば「相手に一発殴られた場合、悔しくて2発殴り返すと、逆に相手も倍にして4発殴る、劣勢になったのでナイフで切りつければ、対抗手段としてナイフよりも殺傷能力の高い弓を持ち出す。弓よりも更に殺傷能力の高いピストルを・・・・」となる事を防止するため、一発殴ったら、一発殴られる事で和解としたってな解釈です。 上記の流れで人類は「核兵器」にまで行き着いちゃってますね。 江戸時代の「仇討ち」以降は復讐権は認められていません。それでもあえて言いますが、「復讐心」は誰だって少なからず抱いてしまうもんです。 私は「復讐心を抱くことは間違ってる」なんてちっとも思いません。がしかし、「噛まれたら、噛み付き返す」ってな方法じゃ、犬やライオンと同じです。獣類と人類の違いがない。だから人間としての尊厳にかけ、抱いた復讐心について思考するのがいいんだと思います。 もし私がイジメ人間にボコボコニされたとして、相手にナイフで飛び掛かかり殺傷したら、私は刑務所で過ごすことになるでしょう。いじめ人間は、刑務所で過ごす私に対し「ざまぁみろ、ばぁか」って思うでしょう。一時の感情で復讐したつもりでも、それじゃ全然ダメだよね。朝三暮四のオサルみたいなことになっちゃう。 ナイフ持って報復すれば、もっと殺傷能力の高い武器での返り討ちに合うってことですかね。 ハムラビ法典で裁いたって、殴った相手は、殴られる事で免責となるが、ナイフで刺した自分もナイフで刺されなくちゃ解決しないってことです。
お礼
回答有難うございます。 まあ国際情勢や歴史も、もろ弱肉強食のいじめと報復の反映ですからね(苦笑) ただ殴った人が相手に殴らせるのでは解決しません。 殴られた方の同等の痛みを味わえば解決します。
- MPD-PHYCHO
- ベストアンサー率18% (86/474)
お返事読みました。でも私の文章を良く読んでくれました? 私は「力には力で」立ち向かうなどとは1言も言ってませんよ? 私は「力には力で立ち向かおうとする理由が分からない」と言ったんですが・・・。 まあ別に何と言われても私は構いませんが、他の方には「良く文章を読んでから」返事をした方が良いですよ。 真剣に質問に応えているのに、言ってもいない事を言われたら、普通は怒りますよ。
お礼
おっしゃる通りです。 間違ってごめんなさい。 正しくは個人が「素手で立ち向かえ!」理論です。
- cysteine
- ベストアンサー率16% (14/84)
現在の法律はハムラビではないので、 被害者に復讐権が認められていません。 なので、例え被害者であっても、報復すれば罪になります。 だからダメです。 罰を与えるのは、国家権力(裁判所)です。
お礼
回答有難うございます。
補足
そうですね。 いじめは悪い事と皆が認識してるのに その悪い事に罰を与えないから、自殺や事件が絶えないんですね。
- MPD-PHYCHO
- ベストアンサー率18% (86/474)
「ナイフ持って報復してはいけない。・・・この理屈がわかりません」て事ですが、その「分からない」と言うのが今の時代の怖さですよね。 逆になんでそこで「ナイフ」が出てくるのか私には理解出来ませんよ。 何故素手で立ち向かおうと思わないのでしょうか。なぜ「力には力で」立ち向かおうとするのでしょうか。 いじめをする様な愚かな人間に対して「ナイフで刺したり」しても何も解決しませんよね。 もし本当に刺してしまったら、そんな愚かな人間の為に人生を棒に振る事になるんですよ。
お礼
回答有難うございます。 私には回答者様の「力には力で」立ち向かおうとする理論が怖いです。 先生や親に相談してそうゆう事を言われたらどうしますか? いじめ自殺を軽視してませんか? 全ての人が五体満足で強健で裕福じゃないんですよ。
- tsuyoshi2004
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善悪というのは、周りが判断することではなく自分で判断すべきことです。 もし、ナイフ持って報復することが善であると考えるならばそれは善です。 但し、その結果としておきる代償は周りや法律が裁くことですので、甘んじて受け入れなければなりません。 やはり世間はナイフで報復したとすれば、当然警察沙汰にするでしょうし、その時点で被害者ではなく加害者として見るでしょう。それにきっと自分自身でも後悔することになるでしょう。 そのような代償を払ってでもそれが最善の方法だと思うのであれば、それは質問者さんにとっては善なのでしょう。
お礼
回答有難うございます。 報復して社会に裁かれる人生も 報復しなかったけど、それが足かせになってしまう人生も 同じと考えてます。
- morinohara
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男だったら「素手で強くなって報復」してみろ!なにがナイフ持ってだ、このバカやろー。お前は弱虫のいじめられっ子だな、さては。「ナイフ持って報復してもいいんだ、、、」そういうクソみたいな発想を根底に持っている性質だからいじめられるんだよ。 ちゃんと体を鍛えて格闘技をやって、ナイフなんか使わなくても相手を素手で殺せるようになるまでとことん鍛え上げてみろ!そうした過程で誰からもいじめられなくなって、自分自身も誰に対する恨みも報復心もなくなっていくもんなんだ。
お礼
回答有難うございます。 質問者様はいじめる側の人間ですか? だったら体を鍛えて格闘技をやって心身共に強靭になるまでの数年間いじめは待っててくれよ。その時いじめられたら報復するから。
- ogmo666
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ナイフの復讐が許されないのは日本が 法治国家だから。 感情論としては、いじめするようなカス の為にいじめられた側の人生を捨てて欲しくないから。 いじめられる側に問題があったとしても、 いじめの言い訳にはなりません。 これは絶対の真実です。 「私はおまえを認めない。ゆえに お前には生きる価値が無い。だからいじめても何の問題も無い」 すごい理屈だ。アウシュビッツか。 こんな理論振り回してる人間の相手を 真面目にしてあげる義務は誰にも無い。 だからわざわざ手を汚してまで相手する 義務も全く無い。
お礼
回答有難うございます。
- yamanekotama
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仮に苛められる側に問題があっても苛める側が絶対悪いのです。理由など有りません。卑怯そのものです。相手が自分より腕力が弱いから苛める!弱い者苛めは卑怯以外は表現のしようがありません。 日本は法治国家です。ナイフで報復すれば銃刀法違反、傷害罪で処罰されます。 子供の世界は昔から苛めは存在してました。でも自殺者が多く出てきた最近の傾向は戦後教育の欠陥の現れではないでしょうか?道徳教育、武士道精神の復活を望む一人です。
お礼
回答有難うございます。 藤原正彦(国家の品格の著者)さんのTVインタビューでも 今リセットの状態から道徳教育、武士道精神、悪い事は叱る文化を育てれば 腐敗社会の現代を孫子の代で理想の豊かな日本を作れるだろうと力説してました。 孫子の代って・・・。
- justnow
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私も、小中学時代、そして社会人時代と、何度となくいじめを受けてきた者です。その当時は、感情面が先行していたことと、知恵がなかったということで、いじめる人間を恨み、その人間のせいにしてきました。 まず、いじめられる人間は、本当に全く非がないのか、という点です。 人というものは心があります。そして、我々の言動、行動というものは、心の命令によって行われます。つまり、心が主人で、言動、行動が従属人と言えます。心で思わないことが言葉に現れたり、行為として現れたりすることはありません。 現代の常識では、心で思うことは、倫理に抵触しないし、法律にも抵触しないから自由であるとの認識にあると思います。しかし、心で思うこと自体が既に悪であり、そこに罪が生まれるので、総じて言えば、全ての人間は、日々悪を作り続けていることになります。日々悪を作り続けている人間であれば、それは存在しているだけで、少なからず「非」があるというなのです。 ユネスコ憲章:「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」 戦争裁判をいくらしても戦争が終わらないことに心を痛めた方が作られた憲章です。戦争は、人の心の悪たらしい部分から起こっている、と述べているのです。 いじめを悪とし、いじめをする人間は絶対に許されない、との潔癖のある考えを持つのならば、己の心の悪い妄想自体も絶対に許せるはずはないのです。この場合、人に直接的に迷惑をかけたか、かけないか、は全く問題にしてはいけません。あくまで、人として生きることとは、どういうことなのか、という観点で、厳正に人間を評価しないと、自己中心的な結論しか出てこない、という愚かな論理を展開することになります。人として生きるとは、日々悪を作り続ける、これが真実です。 心で、「あいつ、いじめやがって絶対許さないぞ。いつか復讐してやる!」などという、悪たらしい考えを抱いていたならば、それは当然、悪であり、その心に抱いている雰囲気・態度というのは、本人は気づかないにしても、相手や周囲には伝搬してしまい、「なんだ、あいつ、俺達にケンカ売っているみたいだ」と、捉えられてしまい、それが原因でまたいじめられるという可能性があります。 いじめられる人間が、周囲の人間に対して、全くいじめの心を持たず、生きていくことができるのでしょうか?からかったり、いじったり、悪口を言ったりしても、これは広義的に言えば、いじめと一緒です。 いじめる人間も、いじめられる人間も同様に、程度の差こそあれ、「人をいじめたい」という欲望を持っています。これは、本能であるので、ある意味仕方ありません。なぜ、いじめるのか、と言えば、いじめることで、相手をおとしめ、自分が優位の状態を作り、優越感を味わいたいからです。優越感を味わいたい、優越感を確かめたい、という理由でいじめをしている、というのが、いじめの原因の一つです。優越欲という煩悩を人は、生まれながらに持っていますが、これを持っている以上、誰でも、いじめる側の人間なのです。 人は、自分の両親を選んで生まれてきます。勝手に親が生んだ、と言いますが、これは間違いです。世界中には、相当数の両親がいますが、なぜ、今の両親のもとに生まれたのか、と言えば、それは、己が両親を選んだからに他ありません。もし、両親が選んだもので、両親のせいにするならば、それは一生、両親を恨む人生になってしまいます。 恨む人生という不条理な人生など、道理に反しており、通るわけがありません。恨みの人生で、その人が幸せになれるのか、と言えば、絶対に幸せになりません。つまり、幸せになれない恨みの人生自体が道理に反するわけで、そうではなく、感謝できる人生が、道理に沿った人生と言えます。(道理とは真理とほぼ同義です)感謝できる人生にするためには、人のせいにするのではなく、自分のせいにし、全てのことに責任を持つ、引き受ける、ということです。 いじめをする人間は、悪の行為をしているわけですから、しっかり注意・指摘しなければなりません。しかし、いじめをする人間と同様に、心で悪(恨み等)を思考するのであれば、いじめられる人間もいじめる人間と全く同じであると言えます。 悲劇のヒロインになり、己の考えが正しいと、過信・慢心してしまうのは、それは人としての驕りであり、裸の王様であるとも言えます。周囲のせいにしても、親のせいにしても、社会のせいにしても、状況は全く変わることはありません。己が気づき、己がいかに変化していくのか、考えや態度を変えていけるのか、ここが肝心です。 まとまりのない説明で失礼しましたが、恨みの人生は、自分を苦しめ、自分に負荷をかけるだけなので、この考えはぜひ改めて頂きたいと思います。
お礼
回答有難うございます。 理想は回答者様のおっしゃる通りですね。 心身共にそうゆう部分のケアが満たされる社会なら 数年後にいじめ加害者や先生殺す事件もない世の中なんでしょうけど。
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お礼
回答有難うございます。