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ロシア国歌について
ロシアではソ連構成共和国時代からエリツィン政権まで,現在の国歌ではなく,グリンカ作曲の「愛国歌」がロシアの国歌でした。 そこで質問です。 (1)このグリンカ作曲の「愛国歌」がロシアの国歌となったのはいつからでしょう。(帝政・ソ連構成共和国時代・ロシア連邦時代すべて含んで) (2)このグリンカ作曲の「愛国歌」は連邦が崩壊して新生ロシアになったとき人気が無く,なかなか市民に定着しなかったといいます。ソ連構成共和国時代からの国歌でありながら,なぜ定着しなかったのでしょう?それほどまでに当時は連邦国歌の方を重視していたのでしょうか? (3)私はこの2つを比べると,グリンカ作曲の「愛国歌」のメロディの方が,上品な旋律なので好きです。あなたならグリンカ作曲の「愛国歌」と現在のロシア国歌(旧ソ連邦国歌)とどちらのメロディが好きですか? 以上,よろしくお願いいたします。
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ご存じのことでしょうが、かつてのロシア(正称:ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国。一般にはロシアまたはロシア連邦)は、ソ連(正称:ソビエト社会主義共和国連邦。一般にはソ連またはソ連邦)を構成する共和国の1つでした。ロシアのほか、ウクライナ(正称:ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)などなどによる連邦国家がソ連と言うことです。しかし、国連にはソ連(ロシアでなく)が加盟し、これと別個にウクライナとベロルシア(白ロシア。現在のベラルーシ。ただしベラルーシ語では、もともと「ベロルシア」などでなく「ベラルーシ」でした)も加盟していました。以上、余談です。 さて、ソ連には国歌がありましたし、それを構成する諸共和国(すべての共和国かどうかは「?」です)にも独自の国歌がありました。しかしオリンピックなどの国際的行事にはすべて「ソ連」として参加していましたので、独自の国歌が国外で歌われることは、まずありませんでした。ロシアに独自の国歌があったのかどうか、私の手もとの資料では、判然としません。 1917年の十月革命でソ連と言う国家が生まれましたが、公的に制定された国歌は無く、「インタナショナル」(1888年にフランス人ドジェイテル作曲、ポティエ作詞の労働歌)が国歌の地位を占めていました。歌詞はロシア語に訳されたものだったと思われますが、訳者は(私の資料では)不明です。 一方、1942年にアレクサンドロフが作曲、ミハルコフとエリ・レギスタンが作詞した「ボルシェビキ党賛歌(通称:スターリンの歌)」が1943年末に初演され、モスクワ放送(ラジオ)が翌1944年元旦からこのメロディーをテーマ曲として流し、同年3月15日にソ連国歌として公式に制定され、歌われ、また演奏されるようになりました。1956年のスターリン批判以来、メロディーのみが演奏されていたのですが、1977年に歌詞の一部が改訂されています。1991年のソ連崩壊で消滅。この国歌にはタイトル(日本でいう「君が代」)はありません。「ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)国歌」が正称です。 1834~36年にグリンカが作曲したオペラ「皇帝にささげた命」(のち、「イワン・スサーニン」に改題。ソ連崩壊のころに旧題に復活)の中の「祖国愛の歌」のメロディーの一部が、ソ連崩壊後のロシアでは、1993年の大統領令によって国歌として用いられることになりましたが、連邦議会の承認を得るに至らず、公式には制定されずじまいでした。歌詞はなく、これもタイトルがありません。「愛国歌」というのは、公式に制定された「国歌ではない」、という意味合いの通称(もしくは俗称)と考えられます。 ご質問では、これがソ連時代の「ロシア国歌」だったとのことですが、私の資料からは、そのような事実を見つけることができませんでした。 一方、ロシア国民の大多数は旧ソ連国歌のメロディーを愛好していると言われ、偉大な音楽はイデオロギーとは無関係である、とする主張も強かったことで、2000年末のロシア議会で、これを復活させる法案が採択されました。歌詞は、ソ連国歌を書いた当時87歳のミハルコフが担当、2001年元旦に公式に「ロシア国歌」となりました。これもタイトルはありません。 ただし、新しい歌詞は国民の間に浸透せず、2004年のアテネ・オリンピック開催時ごろのある調査によれば、これをそらんじているロシア国民は、30人に1人程度だったと報じられました。 以上が客観的な事実です。ご質問の(3)は、主観(好み)の問題ですので、回答を差し控えます。
お礼
現地の放送局に確認したところ,ソ連崩壊直前に正式採用されたようです。 回答ありがとうございました。わたくしが1978年ころにモスクワ放送で聞いた時にはまだ国歌にはなっていなかったようです。
補足
対外向けロシア国営ラジオ「ロシアの声」に問い合わせたところ,つきのような回答が帰ってきました。 =============================================================== ご質問につきまして、ロシヤ語のフリー百科事典で調べましたところ、グリーンカ作曲の愛国の歌は1991から2000年にかけてロシヤ連邦の正式な国歌でした。1990年11月5日にロシヤ・ソヴェート連邦社会主義共和国の政府が、ロシヤ・ソヴェート連邦社会主義共和国の国章、国旗、国歌の創出に関する決定を採択し、国歌の曲として委員会がミハイール・グリーンカの《愛国の歌》を承認しました。 1990年11月23日ロシヤ・ソヴェート連邦社会主義共和国最高会議の決定によって承認されました。国歌の歌詞は、指導部によって是認された案のものが1990年に最高会議において歌われていたものの、正式には承認されませんでした。1993年12月11日B.N.エーリツィン大統領の大統領令(No.2127)によって承認されました。作曲はM.I.グリーンカ(編曲:アンドレーイ・ペトローフ)、歌詞はありませんでした。 200年足らずのあいだにロシヤの国歌は9回変わったという資料もありますが、愛国の歌が定着しなかった理由として、歌詞がなかったことがあげられるようにも思います。 ちなみに、昨日、職場の喫煙所で一緒になったロシヤ人に、「愛国の歌」が定着しなかった理由に関するご質問を投げかけてみましたところ、ロシヤ人の気質(もしかすると遺伝子)は決然とした感じのものを求める傾向があるので、元の国歌にもどったのでは、との返答でした。