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横文字に依存する心理
社会的現象として、横文字に依存しています。わけのわからないものも多くて困ります。特に不動産とかコンピューター関連とかでしょうか。そのほかいろいろ、横文字を使っていない世界を見つけるのもむずかしいくらいじゃないでしょうか。 こうなったのには理由があるのでしょう。わかりそうでわからないので、教えていただけたらと思いました。
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細かく言えば、人間には「よく分からないものに畏怖と尊敬の念を抱くから」です。 特に女性用化粧品の場合、メーカーは積極的に新しい言葉を作ることが多いです。 「ハイイノセンスなDMHがコラーゲン活性でお肌つるつるに」なんて言われると、消費者は「この商品はきっと凄いものなんだ」という錯覚を抱いてしまう傾向にあるからです。 つまり、「意味がよく分からない言葉ほど凄いとみなされる」ため、メーカーが積極的に専門用語を出してしまうのです。 デジカメでも、「CCD素子」なんて言葉の意味は誰も知らないのに、画素数が大きいほど売れるという奇妙な現象が発生しましたね。 これも一緒です。 で、我に返った人から順に、あなたのようにこうやって誰かに問いかけるんです(笑)
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コンピュータ関連はNo.1のご回答で言われているとおり、元が外国語(特に英語)であることが多いです。 しかも一般的な英語と違って、専門用語としての意味で使われていたりします。英語が分かる人でもコンピュータを知らないと理解できない。 憧れや格好いいからというより、日本語訳を考えるのが面倒臭いからかもしれません。 (その代わり内容を覚えないといけない・・・IT辞典があったりして) 明治時代なら一生懸命日本語を考えたのでしょうけれど。 福沢諭吉さんとか西周(にし・あまね)さんみたいに・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_%28%E5%95%93%E8%92%99%E5%AE%B6%29 哲学、客観、主観なども造語だそうです。今やすっかり日本語として馴染んでますが。 でも確かに横文字が多くて覚え切れないですね。ビジネス用語とか(これもカタカナですが) やっぱり、格好良くて新しい感じが好まれるのでは。 おまけに英語に憧れている人が多数ですから。 フランス語とかもでしょうけど。お菓子やパンの名前は仏語が多くて、あれもレジで言うのが大変。 関連しそうな話題を2つ。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa897125.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2331867.html
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つくづくイメージっておそろしいですよね。実体がないのに、勝手に評価が一人歩きするような。日本にこだわるということがはるかに薄くなったのでしょうね。これは歯がゆいし気持ち悪いです。別に国粋主義でも何でもありませんけど。
- TTak
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横文字多いですね^^;) 横文字は基本的に英語が多いんでしょうが、ネットワーク系のプレゼンでは、ほとんど横文字ではっきりいって何がなんだか解りませんね。 横文字やその略語を使うことは、聞き手に、それが先端の技術や情報であるかのイメージを与え、しかも、聞き手がその意味が分からない場合は、自分が時代に遅れているのでないかというプレッシャーを与えると考えられます。 例えば、 「我が社も、顧客情報管理を徹底しましょう!」よりも「我が社も、CRMを導入しましょう!」と言った方が、稟議が通りそうです(笑)。 外国人から、よく、「"customer"は日本語で何て言うんだ?」とか「"software engineer"はソフトウエア技術者と訳すか?」と聞かれますが、"customer"はカスタマー、"software engineer"はソフトウエアエンジニアだと答えてます(笑)。
お礼
こういうイメージ戦略的風潮に疑問を感じています。しかもそのイメージというのが「顧客情報管理」というような決断的な言い方でなくて、わかりそうでわからない、しかも西欧がおしゃれで先進的だからそれに同化するのが進んでいるんだ、みたいななんともふらふらした姿勢ですよね。一体なんでしょうねこの社会現象は。
コンピューター関連の場合ほとんどの技術が外国産なので 日本語を当てはめるのは無理とかできても無理やりすぎの場合が多いです 新しく日本語っぽい造語を作るよりは横文字のままのほうがわかりやすいですし、HPでの検索もなやまなくてすみます 一時期PCマニュアルから極力横文字を排除しようとしてたときがありましたが、メーカー毎に単語を違えてくるのでよけいに混乱したときもあります
お礼
極力横文字を排除しようとしたのに、徹底できないという社会通念というか、弱さがあったんでしょうね。翻訳をどうも忌避する感じですよね。
お礼
こういう幻想性で惑わされて購買活動が帰って活発になるような風潮に疑問を感じます。しかし、そういうものに知らず知らずに乗せられているということは確かなんですね。 なにか、「決断」というものを集団的に回避しているようにも思われます。はっきりと敵の姿を見るというほうが長期的に安心感があると思うんですけどね。