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dearこげんたを読んで・・・
「dearこげんた」という本を読みました。 犯人を許せないと思ったし、こげんたがかわいそうだとも思いました。 でも、読んでいる時に思ったのが、猫を殺すのはダメだけど、ゴキブリを殺すのはいいのかということです。 僕はゴキブリを殺します。 殺虫剤で殺します。 それは、犬や猫が愛護センターの毒ガスで殺されるのと同じことではないのでしょうか? ゴキブリも苦しいはずです。 この本に投稿している人もゴキブリは殺したことがあるはずです。 なのに、どんなに小さな命でも奪ってはいけないなどと書かかれています。 みなさんは、ゴキブリと猫の命の重さは違うと思いますか?
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- meimeisan
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非難される方もいらっしゃるかもしれませんが、正直に言えば、人間と、それ以外の生物では自分が好きなもの、可愛いと一度でも思ったものは、殺したくないと思います。 嫌いなもの、私は、ゴキブリをはじめ、たいていの虫が嫌いですが、それは、殺すこともありますし、殺してもさほどショックはありません。 命の重さも、自分にとっては、上に書いたのとだいたい同じに感じます。 本当は命の重さはどんな生き物でも一緒じゃないのかなとは、思います。 でも、実際、自分に害があると思われるものは、やはり、自分が安全に生きていくために、排除するのが当たり前だと思ってしまいますし、肉も食べたいです。 こういうことに罪悪感を感じはじめてしまうと、それこそ生きていけないのではないかと・・・エゴだとは思いますが、どんな生物でも、その点は同じで、他を殺したりして生きているわけで。 殺すことに罪悪感を感じるのは人間だけではないでしょうか。 実際には、殺さなければ生きていけないのに、矛盾した生き物だと思います人間は。 どの命も殺さない、ということは、実際は無理でしょう。そんな無理なことをすべきではないと書いているのは、センチメンタリズムに流れていて、考えが浅いなぁと思いました。 その本は読んだことないですが。
- pc123
- ベストアンサー率33% (1/3)
その本は、私も読んだことがあります。 質問への回答ですが、猫とゴキブリの命の重さは変わりません。 皆さん仰っているように、こげんたちゃんの事件は、加害者がただ 殺戮を楽しむためだけに行ったもので、害虫を殺すのとは少し違う と思います。 …と、書きましたが、所詮は綺麗事ですね。 わけを説明しなくとも、皆さん分かっておられるでしょうが… 私たちは、殺してはいけない動物と、殺してもいい動物というのを おそらく大体同じように認識しています。 たとえば、この事件の被害を被ったのがこげんたちゃんで無く、 一匹の虫だったらどうでしょうか。 この事件はここまで大きくなった と思いますか?仮に通報されていても、書類送検だけで済んだのでは 無いでしょうか。署名もあんなにたくさん集まらなかったと思います。 歪んだことを書いてしまって申し訳ありません。質問者さんの意見に 正直に答えると、私の考えとしてはこうなります。 でも、こげんたちゃんを思って署名したり、さまざまな活動を行った 人たちの温かさは偽りではないでしょうから、hiroyuki12354さんも 深く考えないほうがいいと思います。 長文失礼いたしました。 それに、途中から話も逸れてしまっていますね、すみませんでした。
こげんたちゃんのなつかしい名前が出てきましたので一筆とりました。どのような生き物に対しても、その死ぬ苦しむさまを楽しむために行うという行為は異常者であり、犯罪でしょう。猫とゴキブリのどちらに命の尊さがあるのだろうかではなく、ゴキブリにもこの様な感覚で殺している人がいるなら、私は怖いです。犯人の男性は裁判にかけられ6ヶ月の懲役となりました。
「dearこげんたを読んで・・・」の質問タイトル 内容は猫とゴキの命の重さですか・・・ 他に聞いてみたいことありませんでした?なぜ子猫が殺される様子をネットで公開したのか?とか。 とりあえず回答します。ゴキブリは害虫だから駆除。バラにつくアブラムシも駆除。 ゴキより猫の命が重い。ちなみに猫より人間の命が思い。(と、思います)
>それは、犬や猫が愛護センターの毒ガスで殺されるのと同じことではないのでしょうか? >ゴキブリも苦しいはずです。 そうですよね。 でも、両者の場合、すくなくとも、楽しむために、苦しませて殺すのではないと思います。 たとえが悪いですが、同じ殺処分なら、費用が安くて苦しみがなく、使用者にも安全な毒ガスが出来れば、それが採用されるのではないかと思います。 命の重さは同じでも、「こげんた」ちゃんの事件と、ゴキブリを殺すのは、やはり違うと思うのですが・・・。
ゴキブリと猫の命の重さは同じです。ですが、猫を殺した犯人の目的と私たちがゴキブリを殺す目的は違います。犯人はただ自分の楽しみのためだけに殺していますよね。私たちは清潔さを求める気持ちや単純にゴキブリは不潔だという考えがあった上で殺しています。それがゴキブリをただ楽しみのためだけに殺すということになれば、こげんたを殺した犯人と同じ心境ということになるでしょう。この話をもっと広げていけば、私たちは肉や魚を食べている時点で生あるものを殺していることに加担しているのと同じだと言う事になりますが、私たちは何もその事を楽しんでいるわけではありません。むしろ、食べる前には感謝します。話がそれましたが、要するに全ての生き物の命の質は平等だということです。
- chocokuma
- ベストアンサー率40% (9/22)
私もゴキブリを殺します。家にいると害があると思っているからです。 蚊も殺します。血を吸われると嫌だからです。 ムカデやハチも殺します。自分の身を守るためです。 但しこんな虫たちも「殺さなくてすむなら…」と考えます。自分の目に触れずに消えてほしいな、と思います。 もっと分かりやすい例で言うと、アリが庭の片隅に巣を作っていたら、観察したり、パン屑をやってみたりします。しかし家のそばに巣があり、室内に入ってきた形跡があったら「アリの巣コロリ」を仕掛けて巣ごと全滅させます。 人間は他の動物をペットとして可愛がったり、その命を大切にしたいと願ったりします。しかし一方で、自分の都合で時に殺したり、時には食べてしまったりもしています。人間の生活は他の生命の犠牲なくして成り立ちません。たとえ肉食をやめたところで、草や木の葉、実、根などは食べています。植物の生命を絶って自分の命を支えているのです。 結論。命の重さには変わりはない。人は他の生命を犠牲にして自分の命や生活を維持していることを自覚しよう。自分のために犠牲になってくれた生命に感謝しよう。そして無益な殺生(他の命の無駄遣い)はやめよう。
- kageru-hash
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主観の問題なんじゃないでしょうか。 人間以外の生き物は死んだっていい、と考える人にとってはゴキブリも猫も同じ命の重さでしょうし、ゴキブリ愛好家にとってはゴキブリの命の方が重いでしょう…多分。 でもそれを言ったら、どんな人も生きていけないので、ここまでは殺していい(と言うと語弊があるかも。「無闇に殺すのはいけないが、仕方なく殺すこともある」の方がいい?)生き物と、殺してはいけない生き物を意識的にしろ無意識にしろ、線引きしてるんじゃないでしょうか。 (極端な人は「生き物を殺しちゃダメとか言うけど、あなたはインフルエンザにかかったら抗生物質などを飲んでウィルスという生き物を殺してますよ」と展開してきます) 私は哺乳類や鳥類は食べないのですが、魚介類も野菜も果物も、納豆菌も食べますね…。 >どんな小さな命でも奪ってはいけない 「無闇やたらに殺してはいけない」とか「理由もなく」とか「人間の娯楽のためだけに」とかの言葉が、筆者の中で前提としてあったかもしれません。 で、回答です。 私の中では、ゴキブリも猫も同じ生き物ですが、ゴキブリの命の方が軽くなってしまいます。 (ただ、例えばこれが人間と犬だった場合、一般的には命の重さは人間>犬ですが、「たくさんの人達を殺すのが楽しかった」「俺は悪くない」と言う殺人犯と今にも死にそうな捨て犬だったら、人間<犬になるのかもしれません。状況によって変わることもあるかもしれません)