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勉強の意味とは?
私は高2、男です。 最近ショックなことがあり(まぁ正直言うと彼女にフラれたわけですが笑)、自分をみつめなおす機会を得たので、自分の高校生活のことや、勉強に対しての自分の姿勢など、色々考えました。 そこで未だに引っかかってることは、「なぜ勉強するか」ということです。ありきたりな疑問で、このサイトでも何回も同じ質問がでてることではありますが、やはり自分なりに納得のいく答えが見つかりません。 ちなみに私の考えは:「勉強=嫌な仕事であり、将来嫌な仕事をしなければならない時に、挫けずにこなすための訓練」でした(今はこの考えも何かが違うと思ってます)。 先生にはうだうだ考えずにひたすらやれ、といわれましたが…。皆さんの考えを教えてください。
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上記のあなたの回答は、学校の勉強を肯定するための回答ではないでしょうか。 本当の勉強とは、個人の知的探究心を満たすために行う活動 の方が純粋な勉強には適切だと思います。 また、自分の能力を向上ささせるための活動 ということでは、自分の知的探究心は見たせないかもしれませんが、職業に就いた中でのスキルアップという意味では勉強だと思います。 つまり、勉強するフィールドは学校に限らず、人生日々勉強ではないでしょうか。私は社会人ですが、勉強させられることは多いです。 じゃあ、学校で勉強しなくても良いじゃないか?という問いにはNoと答えます。理由は、15歳(中卒)や18歳(高卒)では、自分自身が生きていく糧となる職業について、どのような可能性があるかを見出せないことが多いため、さまざまな可能性を広げるために勉強していると思います。 どういうことかというと、15歳で大工の棟梁になりたいから、大工の仕事に就くために高校に行かないという人はもちろん高校に行く必要はないかもしれません。(大工でなくても、すし職人でも、漁師でも・・・何でもよいのですが) しかし、多くの人は18歳までに自分が何の職で生活の糧を得ていくかを決めることは難しいと思います。そういった中で、さまざまな分野を勉強することで知識と教養を身につける素養をつけることができると思います。 ある人は歴史が好きだから歴史を学び歴史学者になるかもしれません。 ある人は化学が好きで、化学を大学で学んで研究者になるかもしれません。 ある人はピアノが好きで好きで、たくさん練習してピアニストになるかもしれません。 つまりあなたにはたくさんの可能性があるのです。これは羨ましいことであり、私が失った可能性を伸ばすことも可能なのです。 私の年齢では医者や弁護士になる可能性は低いですが、あなたは私よりは可能性があると思います。 また、将来嫌な仕事をしないために、勉強するともいえます。つまり職業選択の自由の幅を広げるために、知識や教養が深い人やたくさんの資格を持つ人は、職業を選ぶチャンスが多いはずです。 たとえば、弁護士と医者の資格を持つ人が居たら、そのどちらを選ぶかはその人の自由です。 職業である以上、楽でたのしいことばかりではありませんが、私が就いている仕事は楽しいことも多いです。「ほんとうに?」と思うかもしれませんが、本当です。 これは、自分の知的好奇心を満たしてくれることもあるし、趣味とオーバーラップする部分もあるからです。 長くなりましたが、結論は、真の勉強とは自分が自発的に行う活動であり、それは学校の勉強とは異なります。大工になるための修行であったり、野球選手になるための練習なども含まれると思います。 一方、学校の勉強は、自分の可能性を広げるための基礎的な知識と教養の育成だと思います。自分の進む道が明確に見えていて、それには学校の勉強が必要ないというのであれば良いですが、高校までの勉強は「一般教養以下」であり、誰もが身につけておくべき素養かとは思います。 (忘れていることも多々ありますが) 理解を得られる回答であればよいのですが・・・
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- tetrarch
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NO.11です。 >今の日本では、多くの人にとって将来まともな職につくためには高校に通うことは必要条件でもあると思いますが…。それに、中学でもそういう教育を受けていると思いますし。 質問を質問で返すようで失礼ですが、「まともな職」とはなんですか? 大企業の今CMに流れているような企業ですか? 一部上場企業ですか? 町工場のような企業はまともで無い職なんですか? 質問者さんがどのように考えているか分かりませんが、私は中卒でもまともな職に就けると思っています。というのも、いい大学を出てもバッサバッサ切られているのが現状です。特に技術職(工場関係など)などは学歴が関係ないと思います。仕事の関係上ある工場に出入りしているんですが、そこでは行く度に人が変わっていたりします。そこは危ない工場ではなく日本でも3本の指に入る工場で、不況知らずの黒字のボーナスどばっとが出るような工場です。そこの社長は、大卒だろうが使えないと判断したらとっとと切ります。逆に中卒でも使えればどんどん昇給します。 まともな職に就くには自分自身のポテンシャルにあると思います。 はっきり言うと、大学出ても就職先の適性にあわなければどんどん落ちていくだけです。だから、私は勉強は必要なところだけでも思いだせる程度でいいと思うんです。それに、就職に向けて自分自身の方向性がどんどん決まっていきます。方向性が決まるというのことは、必要な学問も決まってきているようなものです。だから、勝手にやっている内容も復習されているんです。質問者さんが積分で悩んでいるようですが、とりあえずは公式覚えてなるものはなるでいいと思います。積分を習った時に先生に教えてもらったかもしれませんが、小学校で習う面積の公式も積分で求めるのが基本です。(基本中の基本は縦×横ですが)段階を踏んで勉強しているように思えますが、証明などは高度な勉強しないと出来ないんです。このように、とりあえずはなるものはなるで覚えても、その後その上の勉強すると、あぁそうなんだと思うことが多々出てきます。 自然と必要な勉強は狭まってきますので、上記のようなあぁそうなんだが積み重なって、自然と本質が分かってしまいます。 いろんな人が回答していますので反論のように聞こえますが、就職したら暗記なんて必要ないです。積分だって使うのであれば、公式集をみて仕事したって怒られたりしません。社会で必要なのは、問題に直面したとき、どの公式・どの概念で解決したらいいんだと分かるところです。なんとなくでも頭にあればこれかなと、本などで思い出して使えばいいだけです。実例として、物理の法則を多々学んでいますよね。それを使い何か物を作れますか? 微分積分を使って渋滞のメカニズムを説明できますか? もっと簡単に言えば、積分で三角形の面積の公式を出せますか?(使っていいのは積分と縦×横だけ、二分の1は使えませんよ) 高校の授業の形態は、公式の説明をチャチャっとやって、あとはこれだよってまる投げ状態です。本来、上記の問題も高校の範囲で十分解ける範囲です。てか、分からないとおかしいです。しかし、高校ではとにかく紙の上だけで、体で分かる授業などありません。いわば、数学の応用問題と言っているのは紙の上だけの応用で、実社会での応用ではないことを理解することです。 分かりにくいかもしれませんのでもう一つ実例を出します。中学と高校で電気回路を学んだと思います。では、その通り回路を作ってくださいと言ったら出来ますか? 仮に出来るというなら、本当に出来るかどうか材料を目の前にどばっと置きたいですね。「何〔kΩ〕の抵抗か分かるんですか?」と言いたいです。さらにつき足せば、「誤差があるのにぴったしの数値をどうだすんですか?」世の中の抵抗は数%の誤差があるんです。これは仕様上仕方の無いことです。 これでも理解できないなら、家の電灯(電球の取替えではなく、器具そのもです。)を取り付けられますか? 電灯なんてただの抵抗です。本当に勉強しているなら出来るはずです。中学校の範囲です。ブレーカーにより使える電流は決まっています。日本では基本100[V]です。これだけで、付けれる電灯の範囲が決まります。中学の範囲で分かりますよね。しかし、勉強した範囲で出来ると思いました? 私があなたぐらいの年齢でしたら出来ないと答えるでしょう。 無論、電灯は免許が無いと取り付けはしてはいけないことを言っときます。電気工事士というやつです。危険ですので挑戦はしないで下さい。 私が言いたいことが分かりにくいように思えますが、学校での勉強は義務教育の範囲はしょっちゅう出ますが、高校以上になると実社会では役に立つことはそうそう無いです。ですが、必要になったときにまったく知らないのは損です。少しでも知っていれば調べる、思い出すだけで使えます。 私の考えでは、学校での勉強はいわば学問の入り口を教えているだけです。しかし、入り口を知っていると知らないでは大きく違います。入りたいときに入り口を知っていればそこに行けばいいですが、知らないと何万何億とある入り口から探さないといけません。そう考えると、学校での勉強は迷わないように道しるべの役割をしているだけです。 勉強の意味を聞いているんですが、はっきり言って勉強する準備をしている段階ですので勉強の意味を聞くだけ無意味です。てかナンセンスです。 小・中学校の勉強は入り口を教える前の説明を理解するためのもので、高校は入り口を教えてもらう所。大学は知りたい入り口をノックして入るようなところ。 以上、私の勉強に対する考えを書いてきましたが、私自身が勉強の意味をおそらく一部しか理解していないと思っています。そもそも、目に入ること、耳に聞くこと、手で触ること、これ全てが理解しなくてはいけないことで勉強である。つまり、勉強のためには勉強しなくてはいけない。こうした矛盾を理解したとき勉強の本当の意味が分かるんだと思います。 長々と書いたため理解に苦しむ文などが多くあると思いますが、1人の人間の意見として理解していただけるとありがたいです。
お礼
ちょっと言い方も悪かったようで、伝わってないようですが、私は町工場も個人経営の会社も、まともな職であると思ってます。うちの父親もその部類です。 また丁寧に付き合っていただいてありがとうございました。しかし少し難しく、理解するまで時間がかかりそうなので、まともなお礼ができなくて申し訳ないです。もう少し考えてみます。
補足
06-07-09 10:13 皆さんに回答していただいても、No.5さんの言うとおり、やはり勉強の意味を理解することはまだ自分には無理だなと思いました。 ただ、皆さんの回答を通して、少なくとも今勉強する必要はあることは実感できましたし、当たり前ですがこれからも勉強を続けていきたいと思うことができました。 もしこれから勉強の本当の意味を見出すことができたら、次は回答者の立場で自分の考えを自分のような悩みを持つ人に伝えたいと思います。 皆さん、本当に丁寧にありがとうございましたm(_ _)m
- sprinter100
- ベストアンサー率22% (110/499)
私なりの各教科を勉強する意味を書きます。 国語(現代文):ある文章を読んで、作者が伝えたいことを正確に理解する能力を身につけるための学習。社会に出てから人が言っている事・書いた事を正しく理解しないと、重大なミスを犯すかもしれませんしね。人間である限り他人と接しないで生きることは不可能ですから、やはりコミュニケーションをとる上で大切です。 国語(古典):今の日本語も成立過程があるわけで、それを知ることで今の日本語との違いや共通点を知ろうということです。古典文学に触れることで、昔の人の感性も知ることが出来ます。風習が違うとは言え、1000年以上昔の人も恋愛で悩んだりしたというのも人間にとって恋愛は不可欠というのを理解できるきっかけにもなりますしね。 英語:他の言語を知ることで、日本語との違いを知り、日本語を違う視点から見つめなおそうということです。これにより、日本語をより知ることが出来るかもしれません。私は英語を勉強して日本語をもっと知ったと言う経験もありますし。 数学:数学はある事柄を利用して、問題を解くのです。公式を覚えてそれを利用して問題を解いたりします。これは社会に出てから、何か問題を解決しようとする際に、これまでの自分の経験を生かして、その中で使えるものを選び出し、アプローチしていくというのに役立ちます。これは数学の問題を解くのと本当に同じ過程だと思います。 社会:簡単に言えば、将来絶対に覚えなければならないことが仕事をする上で絶対出てきます。そのとき、自分なりの効率的な覚え方が確立していれば、他の人よりも速く覚えられるはずです。そういった点で重要だと思います。また、歴史については、過去の過ちを繰り返さないと言う意味でも学ぶ意義がありますが、日本が成立した過程、世界で起こった事象を学ぶことで、今世界で起こっている紛争や対立の原因を知ることで、これからの日本はどのように世界と関わっていくべきかについて自分なりの考えを持つきっかけになるはずです。また、地理を勉強するのも世界を知る上で大切だと思います。日本だけでは生活できませんから。自分には関係ないと思っていても、日本に今存在する食料や電化製品など身の回りのものはほとんど外国で作られたものであり、誰もが世界と関わっているのです。また、選挙によって政治家を選ぶのも、これからの日本を担う私たちの役目です。その政治家次第では日本も戦争を行う国になるかもしれないのですから。その点からも政治経済は重要でしょう。 理科:理科は私は文系なのであまり詳しくいませんが、簡単に言えば、数学と社会の中間的存在だと思います。覚える分野と計算する分野があり、双方がそろっていないと問題は解決できない。 こんなところでしょうか。これでも不満があると思いますが、勉強は今しかできません。出来るうちにやっておいた方が後々いいよというのはいろんな人から言われているでしょうが、事実です。私も勉強は大っキライですが、あれこれと言い訳をして勉強から逃れようとしていたと言うのは否めませんし。
お礼
各教科の必要な部分、わかりやすい解説ありがとうございます。数学を解いているうちに、自分では実感できてないですがやっぱりそういう力が身についているのかもしれませんね。 今、私自身あれこれと良いわけをして勉強から逃れようとしているのかもしれません…。 回答ありがとうございました。
- o-ki-na-wa
- ベストアンサー率50% (10/20)
再びo-ki-na-waです。 そうですね…。高校以上の勉強となると、直接すぐに役立つ知識ってないですよね。 でも、それでいいのではないでしょうか? なぜって、高校は義務教育じゃないからです。 つまり、生活に直接役立つ知識は、小中学校で修了済みで、 その知識があれば、社会人として働けるんです。 だから、高校は、本来は、もっと何かを深く知りたい、何かを専門的に身につけたい、そんな意欲のある人だけが行くものだと思います。 高校が、普通科、商業科、工業科…と分かれているのも、本来はそのためではないのでしょうか? そうはいっても、そう言う自分は高校を卒業しています。 今思えば、やっぱり何のために勉強しているのか当時は分からなかったです。 が、今になってみれば、高校にいっておいて良かったと思ってますよ。 古文なんて、何のためにやるのかわからなかったけど、 古文を通して、昔の人の考え方を知ったおかげで、 職場でか~~~~なり、年の離れたおじさん相手にちゃんと会話ができたり、 嫌いな先輩をギャフンと言わせてやろうと思って、 AだからB、BだからC、CだからDなんです!!! って理路整然と言ってやることができたりした時に(しこりは残りますが) そんなときに、あぁ、数学の勉強しておいてよかったな~とおもったり …そういうときに勉強しておいて良かったなと思いますよ。 嫌いな先輩を言いくるめることと、数学なんて結びつかないけど、 数学での答えの導き方が、理屈でものを考えるという力を育てているとしたら、 やっぱり数学って、大切だなっておもいます。 と同時に、勉強した内容が、将来どんな形で、どんなときに役立つかも分からないもんだなぁと思ったりもします。 将来どんな形で、どんなときに役立つか分からないからこそ、 「引き出し」を増やしておくことが大事、というふうに考えます。 この「引き出し」を増やす作業こそ、勉強だと思っています。
お礼
あ、なるほど、その面から見ると全く'義務教育'ではないですね。確かに、中学までのことで働くこともできますね。 引き出しですか。確かにいつか身を助けるかもしれません。 何度もお付き合いいただいてありがとうございました。
- chiyokunn
- ベストアンサー率34% (32/93)
なぜ勉強するのかというと、自分の環境をより良くしていくためです。 高校での勉強を授業だけと考えていませんか、同級生、先輩、後輩、先生とのコミュニケーションも勉強の1つですし、ファッションや音楽など自分の好きなことを調べたり知ったりすることも勉強です。 好きなことだけをしていれば、視野が狭くなり、歴史を知らなければ海外に行ったときに困ることもよくありますし、1つ1つの教科の意味を書いたら俺には関係ないという教科も出てくるとは思いますが、いろいろ学んでいくといろんなことが繋がっていきます。 すると好きな小説を読むように勉強が楽しくなるはずなんですが、、、 まあ、高校から大学に行くにしても就職するにしても単純な授業での成績は大切です。社会人になっても自分の環境をよりよくするためには、資格試験に合格したり、どのように成果をあげていくかを学ばなくてはいつまでも上司から言われること(高校で言うと先生に言われること)をするだけです。 例え、高校で成績がトップになっても社会人で部長や社長になっても、そこからさらに勉強しないと周りに追い抜かされてしまいます。 僕が見るかぎりでは極端ですが、勉強する人はより人生を楽しくしようとがんばる人、勉強しない人は今の環境のままで、愚痴や不満が多い人のように感じています。 学校の先生自体が勉強しない頭の悪い人が多いので、先生に習うんじゃなくて、先生を利用してください。 僕の説明がわかりにくいんでしたら、「マスターキートン」と「ゴールデンボーイ」というマンガを読んだらいいと思いますよ。ゴールデンボーイはエロ本に近いですが・・・(笑)
お礼
>勉強する人はより人生を楽しくしようとがんばる人、勉強しない人は今の環境のままで、愚痴や不満が多い人のように感じています。 確かにそうですね。勉強だけに全てが偏ることはよくないですけれども… 今度そのマンガも本屋にあったら読んでみます(笑)
- o-ki-na-wa
- ベストアンサー率50% (10/20)
自分を守るため、です。 たとえば… 100円のものを買うと、5%の税金を取られて、105円。 これは当たり前ですが、もし百分率が分からなくて、お店の人に悪意があって、150円といわれたらどうでしょう? しらない間にお金を巻き上げられ、いつか自分は無一文になってしまうかもしれません。 たとえば、 憲法というものを知らなかったとします。 憲法には、思想の自由や、表現の自由、身体の自由など、自由権的基本権が明記されています。 ある日突然、警察が来て、理由もなくあなたを拘束したらどうでしょう? 拘束されること自体が不当だと訴える根拠を知らなければ、反論できません。 たとえば… 自分の名前意外、文字を知らなかったらどうでしょう? 自分がサインする契約書は、実は借用書かもしれません。 たとえば… どうすれば、自分の思い通りに人が動いてくれるか? って考えたこと、ないですか? 人は、納得しないと動いてくれないですよね? じゃぁ、納得してもらうには、どのように話せばいいですかね? それを学ぶのは国語の論説文です。 …どうでしょう? 国語、算数、社会で学んだ知識は無意味ではないですよね? いざというときに自分を守ってくれますから。 また、ものの考え方、とか、説得法を身につけるというのも大事ですよね。 いざというときに、自分に味方してくれる人を作ることができますから。 私の考える「勉強の意味」はこんな感じです。 ちなみに、学校の勉強だけで、「知識」「話し方」「考え方」等が身に付くとは思ってないです。 日常のあらゆることが勉強だと思ってますよ。 ただ、たまたま学校はいろいろな勉強方法の「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」「保健体育」「芸術」「家庭科」…そのような分野を担っているに過ぎないと思います。
お礼
小学生までの勉強や中学の道徳、家庭科などの意味はo-ki-na-waさんの通りに思います。 そう思うと、やはり高校数学からは受験専用なのでしょうか。 受験でつかえるってだけで意味があると考えるべきなのでしょうか…。 回答ありがとうございます。
- tetrarch
- ベストアンサー率21% (123/563)
私は小学校の算数や国語は勉強の意味は理解できていました。しかし、中学・高校とこれは意味があるの? と疑問に思うことが多かったです。数学なんて、あんな公式何に使うのと思うし、古文なんて現代ではほぼ使うことは無いだろなんて思いました。 おそらく質問者さんも、今の現実に勉強していることが直結しないから、このような悩みに陥っているんだと思います。 今現在の私の見解は、勉強がというより意味が無いと思う教科は、卒業するための手段、成績を良く見せるために勉強するんだということです。分からない教科があると思います。何でそうなるのと疑問に思うことがあると思います。しかし、それはそれでなるものはなるで学んだ方が得策です。ある教科の一つの公式ですら、先人が一生かけて作ったものです。それを数時間で学ぶのは無理です。本当にその公式を理解するには一生かかるのです。ですので、うだうだ考えずにひたすらやれはあっています。 将来、大学などに行くと思いますが、そこで高校で学んだことが、ああそうなんだ程度でも分かればいいと思います。はっきり言って、徐々に自分の進路が決まっていくと思いますので、必要が無いものは捨てていくのが基本です。一つの事を理解するのには一生かかります。それを3個や4個も学ぶことは出来ません。 現在の勉強も、ただ高校の卒業のため、進学のためと割り切るのです。必要になったときにああやったような程度でいいんです。 >「勉強=嫌な仕事であり、将来嫌な仕事をしなければならない時に、挫けずにこなすための訓練」 この考えでも間違いでは無いと思いますが、高校の勉強で役に立つことなんて一握りです。(1%くらいかな) あなたは自分の意思で高校に入ったわけでしょ? そうなると、当面の目標は高校卒業です。その目的達成のための手段が勉強であり、それ以外が無い。だから、理解しようがしないが点を取るように勉強するんです。 この勉強を否定しているということは、高校進学を親や周りの意見に流されて決めたということだからです。だって、高校は強制ではなく本人の自由なんですから、それが揺らいだということは、自分の意思で決定したことではないからなんでしょう。
お礼
本当に、tetrarchさんと同じ疑問を抱いています。 今、数IIIの積分法を進めているのですが、これを学ぶ意味はあるのか…と難しいので余計に毎回思います。希望進路が理系なため数学は使いますが、それは受験でのみ使うだけで、大学に入ったら使う予定はありません。何で大学に入って使わない分野なのにその大学の受験でその分野の問題が出るのか…。この受験システム自体に疑問を抱きつつありますが、受験のためと割り切って考えたいと思います。 >高校は強制ではなく本人の自由 今の日本では、多くの人にとって将来まともな職につくためには高校に通うことは必要条件でもあると思いますが…。それに、中学でもそういう教育を受けていると思いますし。 回答、ありがとうございました。
行き着くところ、勉強の意味は自分で決まってしまうものです。自分で決めるのはなく、自分で決まってしまうものです。 なぜかと言えば、勉強とは、生きる中での1つの行動です。その行動が、今の自分に自己満足か、未来に役立つかなどです。 勉強が必要ない人間は、必要なく、必要とする人間は必要です。 必要としない人間の理由もたくさんあるし、必要とする人間の理由もたくさんあると思います。 理由は1つだけではないということですね。 そして、自分の人生観、自分の生き方、そう生きざるを得ないというものから、勉強の必要性が見出されることになります。 ただ、人間は、「知らない世界」というものがあります。人間は、あれこれ考えるのですが、自分が想像もしない環境や現実、未来があります。知らない人は、人から聞いて知るか、実際に体験するか、本やネットで読んで知るなどをしないと知りません。 中でも、実際に体験して知った時には既に遅いというのがあります。 大人の人は、それを知っているから、子供にあれこれ言うのですが、言い方が悪い故になかなか理解してくれません。 ---------------------- 私が、勉強する理由です。 人間は、良い結果を出したいと思う時があります。その良い結果を出すためには、さまざまなことを理解し、覚え、必要に応じてその考え方を適切に使わなければなりません。ですので勉強します。 学校の勉強でもそうですが、同じ問題なら、練習してマスターすれば確実にできると思います。でも、ひねられたりするとできなくなることがあります。そういった時に良い結果を出すには、知識と対応力が求められます。そのために知識が必要なのです。そして、対応力は、その時、その時で対処の考え方を学ぶしかありません。 勉強ができることで、 人から認められることもあるし、 職業選択の幅も広がります。 学歴を得ることである特定の他人からは印象が違います。 基本知識があるから難しいことも理解できる訳ですし、 難しいことを覚えられるからこそ高度なこともできるようになります。 いざという時に、自分の命を救うかもしれませんし、いざという時に、役に立つかもしれません。 勉強をどれだけ効率に覚えられるかという訓練にもなります。 また、短時間で何かをしなければならない時、3ケタ、4ケタの計算も、紙に書いてするよりも、電卓の方が早いし、電卓よりも暗算ができればそっちの方が早いです。もしかしたら、生きている間で、どれだけ早くできるかが人生の分け目になる時がくるかもしれません。 勉強とは時間を費やすものですから、今と未来においてプラスにならなければマイナスになるということです。 とは、言え、自分の人生にとっての勉強です。他人があれこれ言っても自分の人生にとってプラスになるか解らないものです。 ただ、自分が生きてきた人生の中で勉強は役に立ったことがあったり、勉強ができないことで苦しんだことがある人は、それを理解してもらいたいものです。 人の意見を参考にするのも良いし、聞かないのも良いです。でも、人の意見を聞いて参考にして無難に生きた方がやりきれないほど苦労しないと思います。 自分の判断だけで生きるということは、思わない失敗に繋がるときがありますから。でも、それが自分によって何よりもベストな人生になるかもしれないですけど。 ~は必要である。~は必要かもしれない、~必要ではない。は、すべて自分の人生においてです。 以上、参考になれば幸いです。
お礼
>勉強とは時間を費やすものですから、今と未来においてプラスにならなければマイナスになるということです。 確かにそうですね。無駄な時間を過ごしたくないと思い悩み始めたというのもあります。 ご丁寧に回答ありがとうございました。
- punipuniking
- ベストアンサー率44% (19/43)
「意味」というのは、物事が『他との関連において』持つ価値や重要さのことを指します。ですから、『他との関連』を度外視して、勉強という行為そのものの「意味」を探しても無駄です。 あなたが勉強を「嫌な仕事であり、将来嫌な仕事をしなければならない時に、挫けずにこなすための訓練」と考えている際には、「意に反することに耐える能力」との関連において勉強を捉えているわけです。この点では部活動も拷問も勉強と同じように意味があることになります。 勉強(受験勉強という狭い意味に限定します)というのは、「与えられた問題に解答できる知識を身につけるための一切の行為」(適当に定義しました)に過ぎません。そんなものに意味を求めるのはナンセンスでしょう。 受験勉強を離れたとしても、勉強というのは「神経細胞の組み合わせに変化を生じさせて、思考方法を変えたり・知識を得たりする一切の行為」でしょう(また適当な定義ですが)。行為のみを取り出しても大した意味はありません。 勉強そのものに意味はなく、あるのは「勉強した人間がより有利に・より幸福になりやすい社会システム」だけです。勉強するかどうかはご自分でお決めください。
お礼
数学(少なくとも今勉強している)は、他との関連において価値や重要さが不明です…。 わかりやすい回答ありがとうございました
- nikolaschka
- ベストアンサー率28% (15/52)
禅問答的というか、哲学的というか、あいまいな答になってしまい申し訳ないのですが、私の考えを。 まず、これについてか既に書かれていらっしゃる方もいらっしゃいますが、勉強には「自分からする勉強」と「他人からやらされる勉強」の二種類があると思います。 前者の「自分から……」は、己を磨く、高める、理想に近づく、といった目的で為されるものです。これは教科書によるものに限らず、日常生活を送る中で「学び取る」ことも含まれると思います。 後者の「他者から……」というのは、正に学校で教わっていることそのものです。 前者が必要なのは、自分のことをつまらない存在に終わらせないため。自分で自分をつまらない存在と思ってたら寂しくありませんか?そういう気持ちにならないためにも勉強をし続けるのは重要だと思います。 後者が必要なのは、前者を行うための土台や材料になるから。「勉強するためには何が必要か」「自分が何を知っていて何を知らないのか」「そもそも、勉強とは何をどうすればよいのか」といったことを知るための練習だと思います。 以上のことを端的に言うと、「勉強するために勉強する」ということになるでしょうか。
お礼
勉強するために勉強する、なるほど。。 やっぱりまだまだわかりませんが、勉強の意味を考えつつ、勉強をしっかりとやっていきたいと思います。 回答、ありがとうございました
- 110119117
- ベストアンサー率48% (178/370)
みなさんの立派な回答が出ていますね。私もこの質問はしばらくチェックしていこうと思います。以下は私なりの回答です。(一応、あなたと同世代です) 私は「才能」を発見する為だと思います。4番目の回答者の方とかぶってしまいますが。 以前にお世話になった数学の先生が、「嫌な数学の勉強でも、『自分は数学が嫌いだ』ということを発見できただけで儲け物だ」と仰っていました。自分が将来どういう方面に行くのか、それを発見する為に一通りいろんな分野にふれてみるのではないでしょうか。人生において、こんなことができるのはおそらく仕事に就く前のほんの一時の間だけだと思います。 (ここから先はあくまで私の経験談です) さて、私も一時、勉強する意味について考えたことがあります。私は文系なので、「数学」とか「化学」が必修である意味が本当に分かりませんでした。(このときに教えてもらったのが、前出の数学の先生のお話です。) そんな時、コピーライターの糸井重里さんが、 「例えば、学生時代って、学問を通しては、1銭も稼がない。むしろ金を払ってやっているのに、どうしてあんなに一生懸命やるかっていうと、生産性ゼロのように見えて、『自分という工場』を建設しているまっ最中だからなんです。」と言っているのをインターネットで目にしました。 「『自分という工場』を建設している」―それを思えば、高1の秋、数学で16点をとったことも、高2の冬、化学でたったの2点をとったことも、工場の一部になっているのかな、と思います。まぁ、それで自分の中で「合理化」を図ったといわれればそれまでですが。 化学で2点を取ったおかげで、勉強が苦手なクラスメイトの気持ちが身にしみてわかりました。でも、得意な古典や政経では100点近い点数を取って大きな自信につながりました。そして、自分が苦手な化学でも100点満点を取っている人が居ること、勉強は・・・だけど、部活では良い成績を残している人など、いろいろな人が居ることを知りました。こういうことを知ることが勉強の目的の一つで、また「学校」の機能の一部でもあると今では思っています。
お礼
自分にあった分野を探す、ですね。 >「『自分という工場』を建設している」 確かに、低い点をとったこともある意味で良い経験ですね。 回答ありがとうございます。
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お礼
こんなに丁寧にありがとうございます。 確かに、自分の可能性を広げる面で、勉強は価値のあるものかもしれません。 自発的に勉強したくなるような科目・職種などに出会うためにも、頑張りたいと思います。