- ベストアンサー
地方分権は国力が弱くなる可能性はないですか?
政治に疎いものですが(^-^; 地方分権を進めるという風潮がありますが、 日本の歴史をみると、江戸時代は藩が自治を行う地方分権。 それを明治時代の廃藩置県により中央集権にし、国力を強めた(と僕は考えています)。 アメリカは地方分権ですが、2度の大戦・不況・ニューディール政策期で連邦政府の力が増したといいます。 また、ドイツではナチス時代に中央集権でしたが、現在地方分権なのは、他国がドイツの大国化を防ぎたいこともあるとか。 中央集権はいろいろ問題はあるでしょうが、日本の国力という大きな視点に立ったら中央集権の方が良いように思いますが、 この問題に詳しい方のご意見を伺いたいと思います。 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>地方分権は国力が弱くなる可能性はないですか? やり方によって強くなる可能性もあるし弱くなる可能性もある、という回答になります。 現代的な意味の地方分権は、行政、立法、経済、文化面などの分野を中央から地方に移せるものを移すという議論です。 >日本の歴史をみると、江戸時代は藩が自治を行う地方分権。それを明治時代の廃藩置県により中央集権にし、国力を強めた(と僕は考えています)。 幕藩体制では、各藩が準独立国のような存在であり、行政、立法、司法はおろか軍事力まで独自に所有していました。そして財政・軍事の権限を中央が取り上げ、行政を中央集権化し、地方が軍事力を持つことを否定し、国軍を創設することが廃藩置県の主眼だったと認識しています(明治に入っても西南戦争なんてことも起きています)。 >アメリカは地方分権ですが、2度の大戦・不況・ニューディール政策期で連邦政府の力が増したといいます。 「合衆国」を「合州国」と綴ることがあるように米国は連邦国家ですね。しかし州には州兵という形骸的な軍隊がありますが、実態は兵隊学校のようなものです。現実的には建国以来から外交権と軍事力は連邦政府が掌握しています。その矛盾が爆発したのが南北戦争ですね。北軍の勝利により連邦政府の権限が増しました。あとは質問者様の仰るとおりです。立法・司法権は州がある程度の分野で独自に持っています。 >また、ドイツではナチス時代に中央集権でしたが、現在地方分権なのは、他国がドイツの大国化を防ぎたいこともあるとか。 ドイツは昔から地方が強い国です。バイエルン、ザクセン、プロイセンなどの領邦国家が新生ローマ帝国の時代から独立国として営々と存在していた歴史が長いのです。フランスのような中央集権国家ではないのはドイツの歴史に基づき、ドイツ人自らの意志で地方分権を選択しています。他国の干渉によるものではありません。 >中央集権はいろいろ問題はあるでしょうが、日本の国力という大きな視点に立ったら中央集権の方が良いように思いますが。 現在議論されているのは「道州制」と言われるものですが、都道府県を複数まとめて道州として、それに中央が従来掌握していた財政、行政、立法などの権限を 「地方ができることは地方に」 と適切に与えようというものです。もちろん外交権や軍事権を与えるような先祖返り的な話ではありません。もちろん中央が掌握し続けます。地方分権によって「大きな政府」と言われて肥大した中央をスリム化し国家財政を建て直し、さらに地方が独自色を発揮できる期待があります。 一方東海地方のような自動車産業などが盛んで経済力のある地域と東北地方のような米などの農業に依存している地域とで格差が生まれる懸念もあります。地方が自立してやっていける採算が合うように図らないと「道州制」は失敗します。地方分権を実現するためには日本の地勢状況を的確に認識した上で施行する必要があります。
その他の回答 (2)
- amleth
- ベストアンサー率13% (3/22)
>この問題に詳しい方のご意見を... となると 素人の僕などは ’大いに’ 氣が引けるのだが 日頃 思ふ事などを... >中央集権はいろいろ問題はあるでしょうが、日本の国力という大きな視点に立ったら中央集権の方が良いように思いますが、 いや さうですなあ 誰の頭で考へたとしても 「日本の國力」といふ達成すべき目標を まづ旗印に掲げて物事を推し進めれば 當たるところ敵無しの 世にも恐ろしきほどの最強の國家が出来上がる...筈なのですが...いやいや 然にあらず. 世の中といふものが それほど簡單なものならば 至るところ 最強の國家だらけにもなりませうに 中央集權國家の典型中の典型たる社會主義國家もしくは共産主義國家などの悉くは 見るも無慘に敗退し 『幸なことに』 此處60年餘りの間 中途半端な「中央集權國家」止まりの我が國でさへ 中央行政府の指導の許に 總てが順調に運營されてゐるかのやうに裝ふために費された國家の借金は 總額1,000兆圓にならうと言ふ有樣でありますから 到底「中央集權國家」が 間尺に合ふやうな國家運營の理念であるとは まあ尠[すくな]くとも今日までのところ 言へませんでせう. では 何故そんな事が起るのか.綿密なる計算の許に策定された政策が 命令一下 整然と行はれてゐたならば 破綻は生じ無い筈であらうに 「計算」に漏れがあつたのか 實行する者の方に 氣の弛みでもあつたのか. この點に關しては いはゆる「共産主義者」や「社會主義者」を含めた「中央集權主義者」たちは 理念は正しかつたのだが 運營の方法が間違つたのだと言ひ譯しますが それほど單純な問題であるなどとは たうてい言へません.むしろ「中央集權國家」の 『宿命』であると 言つてよい. そもそも 人間の行ふ「計算」と言ふものは 如何に最新の數値を用ゐたとしても 所詮は過去の記録に過ぎぬものであり また特定の視點からの物の見方といふ枠組を 逃れられぬものでありませうから もし世の中の枠組そのものの方が 何らかの變化を起こせば 再び三たび初めから 計算の爲直しをしなければ 現實の要請に 追ひ着かぬ事態が 引つ切り無しに起きて來る.それすら しかも 世の中の變化の後追ひとならざるを得無いのです. さうした事態の變化をいちいち 「中央集權國家」の中樞に報告をして あらたな決濟を求めるとなると 現實に即應をした對策などは 執りやうが無い.かくして「國家」の命令を實際に執行する末端の人間は 氣でも弛めてゐなければ 絶え間なく姿を變へ續ける社會や經濟といふ生き物に 押し潰されかねぬ事となるのです.これは つまり 役人行政の非効率といふものが 偶然の産物などでは無いと言ふ事でありませう. と言ふ譯で 社會が一丸となるかのやうな「中央集權國家」といふものは たとへば極めて明解で強力な『敵』がゐるなら その條件下では 致し方無い 否も應も無く有効な 國家運營の方法でありませうが あらゆることを 殊には平時に 國家の命令の許に動かさうと言ふ考へは 決して成功した試しが無い と言つて良いのではありませんか. 自然界を眺めてみれば 安穏とした生を送る生き物などは をりません.どうして 人間のみ 社會すなはち 此處では『國家』と言ふ事になるが その形態を固定すれば 必ずや 繁榮のみが約束されるなどと言ふ事が ありませうや. となれば せめて 日々の變化する問題の對應に關しては 地方に權限を讓り渡すより他 道はありますまい.
- ipa222
- ベストアンサー率20% (903/4455)
道州制には複数のイメージが存在し、人によって予測が違ってきます。 政府が目指しているのは、行政の効率化が最重要目的です。 地方が求めているのは、地方に自由と権限を増やそうということです。 現在は、中央政府や地方自治体は法律では完全に独立していますが、補助金や交付税で無理矢理中央が地方に命令をするという形を取っています。 そのシステムは非常に大きな無駄が発生しています。 政府の道州制だったら、効率はよくなりますので、国力は増すと思います。要するに、行政機構の再編ですので。 民間企業にたとえたら、3000以上に別れていた子会社を1500程度に再編し、バラバラだった組織をひとかたまりの組織にしようということです。 地方自治体が求めているのは、単純に言うと地方への裁量の増加です。優秀な自治体はより成長し、無能な自治体は崩壊するでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >民間企業にたとえたら、3000以上に別れていた >子会社を1500程度に再編し、 >バラバラだった組織をひとかたまりの >組織にしようということです。 この例えわかりやすかったです。 確かにその場合、国力は増しますね。 ありがとうございますo(*^▽^*)o~♪
お礼
>「地方ができることは地方に」 >と適切に与えようというものです。 >もちろん外交権や軍事権を与えるような >先祖返り的な話ではありません。 >もちろん中央が掌握し続けます。 なるほど、地方には「適切に」分権するのですね。 納得です。 なんだか私はとてもバカな質問をしてしまったようで恥ずかしいです(^-^; でも勉強になりました。 ありがとうございます。