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中華人民共和国の中国と日本の中国地方の由来について
日本の中国地方に住んでいますが、時折中華人民共和国の中国と混同することがあります。どちらも通常同じ中国ですがその名の由来になにか共通点でもあるのでしょうか?そもそも日本の中国地方はなぜ中国とよばれるのでしょうか?なにかまたおもしろいエピソードなどご存じの方お教えいただければ幸いです。
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漢民族がその国家を「中国」と略称するようになったのは「中華民国」の建国(1912)以降です。 それ以前に漢民族の版図を「中國」とした用例もあるという記述が「Wikipedia 中国」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD にはあるのですが、出展の記載がありませんし私は見たことがありません(日本の文書に現れたこの意味の「中国」は1930年以降であるとのことです)。 日本の「中国地方」は927年の【延喜式】に遡るのですが(畿内、近国、中国、遠国)、その中国は 「越中、加賀、能登、越前、甲斐、信濃、飛騨、遠江、駿河、伊豆、因幡、伯耆、出雲、備中、備後、阿波、讃岐」で 現在の中国地方の鳥取全県と岡山、広島、島根各県の一部が入っています。 ここに洩れた岡山(備前、美作)は「近国」、広島(安芸)、島根(石見、隠岐)、山口全県は「遠国」に区分されています。 現在の中国地方五県(鳥取、島根、山口、広島、岡山)を「中国」と呼ぶのが一般化したのは室町大名の大内氏の影響が大きいと思われます。 1582年の本能寺の変に続く秀吉の「中国大返し」の頃には完全に定着した名称であったことが判ります。
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- gkt_fan
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延喜式は今で言う都市条例のようなもので、その条例の中で中距離にある地域を中国と呼びました。 中国地方には出雲と言う大和朝廷にとっては疎ましい都市を含んでおり、隠語として中国という名称を用い、現在もそれが地域呼称として残っています。 1000年以上も前から呼ばれていた地名なので、建国50年の中国国家とは何ら関連はありません。 混同しないために中国国家を戦前どおり支那と呼ぶ方々が現在もいます。 一部の活動家は支那は差別用語としていますが、支那はチャイナ、東シナ海などの名称と同じく秦という国の音(シーナ)が語源です。
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さっそくアドバイスいただきありがとうございます。秦という国の音(シーナ)が語源だとははじめて知りました。詳しくお教えいただき、ありがとうございました。
- gamy-cho
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No.2の方と重なりますが、中国の中は中華思想からきていると思います。 世界の中心が中華であり、その周囲に異民族の住処である東夷・南蛮・西戒・北狄が存在する、というものです。古代中国にとって、日本は東夷でした。それだけ中国が古くから国家としての地位を確立していったということでしょうね。
お礼
さっそくアドバイスいただきありがとうございます。南蛮はよく聞きますが、日本は東夷なのですね。ありがとうございました。
中国はむかしから国の中心、世界の中心、中華文化の国という意味や、中華人民共和国・中華民国の国号にもなってきたようです。不思議と中という漢字が冠されてきましたし、中国もそれを意識して使ってきたと思います。 日本での中国(地方)は、#1の方の説明どおりだと思います。 ところでわたしは日本で、倭、和、大和など(わ)という音が頻出するのも不思議です。中国の中が別の理由で頻出するのと似ている気もします。
お礼
さっそくアドバイスいただきありがとうございます。なるほど「わ」という音がおおいといえばそうですね。音から言葉が派生したのでしょうか?そうかんがえると興味深いですね。ありがとうございました。
- OsieteG00
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E6%96%B9 >延喜式による「近国」「中国」「遠国」の三区分のうち、「中国」に属していたのが名の由来。 との事です。
お礼
さっそくアドバイスいただきありがとうございます。中心地からの距離感かの地名なのですね。
お礼
さっそくアドバイスいただきありがとうございます。越中まで中国だったなんてはじめて知りました。このたびは詳しくお教えいただき、ありがとうございました。