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戦後60年

戦後60年、憲法改正、国連常任理事国入り、日米安全保障、北朝鮮問題など国内、国外ともに、問題が山積しています。 そこで質問なのですが、 日本が主権国家として、世界の中で、自分の地位を確立するためには、どの様な考え方で、日本という国を位置づければよいのでしょうか?

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noname#48504
noname#48504
回答No.2

こんにちは。自分なりに考えを申しますと、 昨今、イラクへの自衛隊派遣に見られるように、アメリカへの外交的依存度が深くなりつつあります。また、イラク戦争を引き起こしたアメリカ自身への正当性も疑われており、アメリカというただ一極に引き込まれる形で日本の将来像を位置づけるのはあまり健全とは言えません。 そこで出てくるのが近年叫ばれている「盟主なきアジア主義」なのですが、昨今報じられるような領土問題や歴史認識問題などに代表される、日韓中の関係を考えると、将来的にはともかく、直ちに関係強化を図るわけにはいかないようです。 まず考えるべきなのは、「想像不可能な領域にいる相手の考えていることは何なのか?」ということをロジカルに思考する能力を、日本人自身が身につけることでしょう。 冷戦終了までは、日本は事実上、アメリカの庇護の下で生きてきました。しかし、9.11 以降、アメリカはテロリストや反米の立場を取る中東諸国との対立に目を奪われ、日本が抱える安全保障上の案件(例:北朝鮮問題)などはなおざりにされてしまったような感が拭えません。「自衛権」の定義を明白にし、日本はどこまでの戦力を持つべきなのか。どのような際に自衛隊を動かすべきなのか、あるいは動かさないべきなのか、を日本独自で考える時期にさしかかっていると言えるでしょう。 それを考えるためには、「同じ『人間』だから、言わずとも分かってくれるだろう」という従来の共通感覚に基づく発想ではまず通用しません。その「相手」は今までのような日本人的感覚が通用する相手とは限りませんから。相手が何をしたいのかということを聞き、そして自分がしたいことは何なのかを説明できるようにならなければ、誰も自分の言うことを聞いてくれないことを理解するべきでしょう。 「日本の国際化」が内外で叫ばれていますが、このような「『自立』と『相互扶助』」の概念を日本国民がしっかりと身につけられないと、「国際化」は無理です。 と、思うのですが、いかがでしょうか。

nakata-san
質問者

お礼

ありがとうございます。回答していただいたことはもっともだと思います。 しかし、今の日本人に国際社会に発言できるものなどあるのでしょうか? 「武士道」なり「天皇」なり精神的な支柱があった時代には日本人は、国際的にも責任のある発言をしてきたような気がします。 今の日本は戦後「金権主義」に走りGHQが置いていった「民主主義」という概念を自分の中で消化できず腹下ししているように見えます。 世界は、宗教と軍事力と国益という(魔法の杖)で動いているような気がします。 その中で、日本は「からっぽ」のような気がして仕方ありません。

その他の回答 (2)

  • mmky
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回答No.3

自由で民主的な国家の理想を掲げて是是非で責任を持って実行すればいいだけですね。例えば、韓国やロシア間との国境の確定、放棄すべきは放棄ですね。北朝鮮の問題、拉致は民主主義に反しますから当然経済制裁、国内では在日の問題、5年以内に日本国籍を摂取するか本国に戻るかの選択、など今まで、なあなあ責任先送りは、是是非で政策を実行ですね。政策を実行すればおのずと憲法改正の是非も明確になるでしょう。民主主義でない隣国との問題も発生するでしょう、でもそれも理想の上で是是非でやるそのような国家が主権国家ですよ。国に責任のない官僚主導は主権国家とはいえなくなっているのですね。主権が国民にある体制ですから国民が責任を取らないといけませんね。公共事業、道路公団や郵政のようになんでもお国にというのは民主的な主権国家にはなりえませんね。民主主義主権国家は自己責任が原則ですね。簡単なことなんです。

nakata-san
質問者

お礼

ありがとうございます。 (自由で民主的な国家の理想を掲げて是是非で責任を持って実行すればいいだけです) 僕はこの自由で民主的国家という概念を日本人が理解できているのかが良く分からないのです。 戦後、民主主義という概念を理想に掲げて日本は進んできたとは思うんですが、自分たちで勝ち取ったものではなくアメリカをお手本にして、アメリカという答えを見ながら進んできたような気がします。 国民一人一人が自らの判断によって国の進路を決定していくような気概なり覚悟が日本人にあるのでしょうか? 「金権主義」に陥って精神的な支柱を失った日本人に何かを決めるような判断能力があるのでしょうか? 何かを決めるということは、何かを失うということだと思います。 イギリスで起こったテロ犯の誤射殺事件のような、国家としての、毅然たる判断が日本にできるのでしょうか。

回答No.1

日本の歴史という事がひとつ、大事だと考えます。 我が国の歴史は、1200年以上も前から、連綿と続いた、 日本語で書かれた、私たちの記憶があります。 それは、他国や、他の言語を用いる人々の血脈や、或いは、 最近のことばでいえば、DNA、のなかに、もとからあった モノではない所の、わたしたち自身の、思い出のようなものです。 個人的な思い出でさえ、よく思い出せない事もあるくらいです。 まして、1200年、あるいは、2000年以上も過去の、歴史 を、どうやって、思い出せばいいのでしょうか。 この疑問が、新しい答えをあたえたくれるような気がします。 それは、国連や、中国や、そのほかなんであれ、同じ事です。 国連の歴史は、わずか、60余年。  主権国家、という、この日本語の歴史も、そう、ここ、 4,5年のほどでは。  大切な事は、私たち自身を、私たち自身が、ほかの、あてがいぶち のものさしではなく、よく、身において、知ること、そう、思います。  人まねはいけません。 基準値を得ようとする、小賢しい真似もいけない。  垂範することは、理屈ではない。

nakata-san
質問者

お礼

ありがとうございます、歴史ですか。 僕は日本人=「純粋まっすぐ君」という言葉を思い出します。 歴史上、侵略されたことのないこの国は、神話から始まる壮大なロマンチズムの上にのかって流され続けているような気がして仕方ありません。 海が広く大きかった時代は、それでも日本という国は守られていたと思います。 しかし、国際化が進み、地球規模での思考が不可欠となった現代を日本人という価値観だけで生き延びていけるのかとても不安な気がします。

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