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ボランティアが何か異質なものであるようなイメージはなぜ生れる?
ボランティア活動が何気なく社会に根付くのを願う者です。 多くの人はボランティアがいいことだとは思うのですが、実際にやってみるとなるといまいち決心がつかないことが多い様です。 原因はいくつかあると思いますが、実際にやったことのない人達は、ボランティアやそれをする人たちを、何となく異質なものととらえる傾向にあると感じます。 このようなボランティアに対するイメージはなぜ生れてしまうのでしょう? ボランティア経験、未経験を問わず、多くの回答をお待ちしております。
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私は子供に障害がありボランティアされる立場です。私が思うのに、ご承知とは思いますが日本という国は、まだまだ社会的弱者に偏見があり、また養護学校、各種施設などそういう人たちを1つの所に集めて、悪く言えば社会との接蝕を遠ざけた形になっていると思います。結果的に一般の人たちが接触する機会が少ないためどう接していいかわからないとか特別視する事となり、自分とは関係ない世界のように思う事が異質に感じる事につながるのではないでしょうか。実際にはボランティアしない人の中には、元々全く興味のない人と、興味はあっても積極的に行動できない人がおり、きっかけさえあれば世の中の半分以上の人は何らから形で奉仕できる人と私は思っています。私は周りの人に娘の事で一方的にいろいろとお世話になりますが、「困っているから手を貸すんであってボランティアとは思っていない」といってくれる人が何人もいます。娘のことをきっかけにホームヘルパーの資格をとって就職した人もいれば、他のボランティア活動も始めた人もいます。母親が私の家でボランティアする姿を見て、子供がボランティアクラブに入ったという人もいます。みんな私の娘と接触する事によってボランティアに目覚めた人たちです。何もできない娘が人の心を動かしたと思っています。また、ボランティアしている人にはやはり自分も困った時に人に助けられたという人が多いようです。私もやはり、いつか社会にお返ししたいと思っています。 このような質問を投げかけてくれる人がいるというだけでも、とてもありがたく思います。
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- cotiku
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”ボランティア”を、 ”朝の散歩”とか”近所付き合い”とか"音楽”とか・・・ に置き換えても同じことではないかと思います。 無理強いすれば ”何となく異質なものととらえ”られかねないと思います。 なお、私は経験者です。 ボランティアの意味はこう習いました。 ・社会を変えるために ・自発的に ・無報酬で ・その活動が必要なくなる社会を目指す”義勇兵”である。 私達は30年前重症心身障害児が義務教育免除・猶予時代に 家庭訪問(ホームヘルパーサービス)をしました。 今ではどんなに重症の子でもスクールバスで通学しています。 活動を通して得たものは大きかったと感じています。 まずは、自分のため自分の喜びになることですので、 お勧めはしますが、必ずしも全員にとは思いません。 どんな道を歩んでいても世のため人の為になっている人は大勢いらっしゃいますので。 こうしてお節介なことを書くのだって今の私にできる精一杯のボランティアだと思っております。
お礼
「どんな道を歩んでいても世のため人の為になっている人は大勢いらっしゃいます」 その通りだなぁと思いました。 「お勧めはしますが、必ずしも全員にとは思いません」 私はそんなスタンスの取り方を忘れかけていたかもしれません。 誰かがやってみようかと思った時にボランティアをしやすい社会的環境を造っていく、そんな働きかけが出来たらいいな、と思いました。 貴重な御意見ありがとうございます。
ボランティア活動には興味がありますが実際に参加したことはありません。 そのうち何らかの形で参加してみたいとは思っています。 私自身はボランティアは「困っている人の役に立ててうれしい。自分はよい行いをしている。」という一種の自己満足のためにすることだと思っております。 この表現はnonkunさんのおっしゃるように誤解を招く表現かもしれませんが… 少し違いますがこのサイトで回答者として参加している自分のことも「人の質問に回答してあげている。」という気持ちではなく「自分にとっての楽しみだから回答する。」という考えです。 私は神戸に住んでいて震災後ボランティアに関しての話を人から、地元新聞記事からと本当によく見聞きするようになりました。 これはあくまでも噂話なのですが「ボランティアに参加している方の中には『自分が困っている人よりもえらい立場にいる』と勘違いしている人もいる」というのです。 つまり「してあげている」と思っている人のことです。 またこのような人が現場では声高に指示を出したがるデシャバリだったりするので良心的なボランティアの方々には迷惑なこともあるようです。 私から見ると何か錯覚していると思えるのですがそんな人に限って「私はボランティア活動に熱心でね…」なんて他人に自慢話(?)を始めたりするので偏見が出てしまうこともあるのではないでしょうか。 新聞記事で読んだのですが ボランティア活動に熱心なご主人が奥さんから 「あなたはボランティアと言って他人から感謝されたり敬われたりして満足感もあるでしょうけど、その趣味のために義性になっている家族のことを考えたことはある?」というようなことを言われて返す言葉がなかったと… 仮設住宅へボランティアとして通っていた当時高校生の知り合いは「ボランティアをやってみて勉強になったことが沢山ある。将来は福祉関係の仕事につきたい。」と福祉関係の道へ進もうとしています。 「でも内申書が良くなるからという理由だけで参加している子もいるんだよね・・・」と言っていました。 学校からのボランティア活動の参加に関しては、その点についても考慮に入れなくてはいけないのかもしれません。 しかし小学校教育からの導入はボランティア活動が誰からも身近なものになるでしょうね。 自分のプライベートを優先させながら出来る時に出来る範囲のボランティア活動が日本社会に根付くといいなぁ…と個人的には考えております。
お礼
ありがとうございます。 純粋に「自分が楽しめる」と感じたり「自分の成長 を実感できる」ということが「ボランティア」には 重要な要素の一つという気がしますね。
- sein
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そもそも人を「ボランティア」にかりたてるのは それをしないと気がすまない それをしたほうが良い気持ちになれる そんなとこにボランティアの本質があるのではと思っています ですから 他人がどう感じようと 心からボランティアする人にとっては 他人の目は あまり意味のないことだと思います ただ ボランティア精神が根付くまでは 学校の単位取得と言った方法できっかけを与えてあげるのも必要だと考えています
お礼
ありがとうございます。 確かにきっかけはなんでもいいんですよね。 僕も、実際のボランティアの活動を通して目覚めていく人 もきっとたくさんいるんじゃないかと思います。
- kanegonok
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回答というわけではないのですが、参考意見としてお聞きいただければと思います。 私は、ボランティアに関しては学校教育の中に盛り込むべきなのではないかと常々思っています。 例えば小学校ですが、 ・社会の授業で衆議院だの参議院だの教えたりとか、 ・道徳の授業(って今もあるの?)で茶番なドラマを見せたりとか、 そういうことをするよりは、 ・生徒を地域のボランティア活動に参加させたりとか、 ・街中で視覚障害者に会った時どんな配慮をするべきか教えるとか、 そういうことの方がよっぽど「社会」あるいは「道徳」の教育になると思うんですけどね。 いかがでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 学校指導でもいいので、実際にボランティア活動に参加してみるということには賛成です。 ただしその時には担当する先生の教えかたには十分な注意が必要になるでしょう。ボランティアがごく自然な行為であり、特別なにかを「してあげている」といった感情は育てたくないからです。 この質問を「新しい質問」として登録されたらいかがでしょうか?そのときはもう一度答えさせてもらいます。 個人的にこのような質問に対する色々な人の意見をお聞きしたいと思っています。
- nonkun
- ベストアンサー率27% (98/357)
ボランティア活動を高尚なものと捕らえすぎているのではないでしょうか?見返りの無い無償の奉仕というイメージが強いですからね。だから私にはそんな立派なことはできない・・・と思ってしまうのではないでしょうか? あと、いい子ぶってるとか売名行為と思われるのが嫌だとか・・・。これは上記の思いからのやっかみも含んでいますね。 しかしそんな立派なことではなく、ボランティアは誤解を承知の上で言えば、自己満足を得る活動です。自分がやりたいからするのです。困っているのを放っておけないからするのです。もちろん人を思いやる心が大事ですが。 身近なところから始めて下さい。お年寄りに親切にするのもゴミを拾うのも立派なボランティアです。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。 nonkunさんのいう自己満足は、ある意味人間が生きるということの根本原理としての性質かもしれませんね。私はなにをするにしても、それが自分の意志によるものである限り、なにかしらの自己満足を伴うものなのだ、という考え方を持っているものですから。 数年のうちにボランティアがもっと身近になったらいいなぁ。身近なものと感じられたら、高尚なものなんて思いませんもんね。
お礼
ありがとうございます。 ボランティアにもいろいろありますが、人とのふれあいのあるボランティア活動は、なかでも象徴的であり、とても大きな意義があると思います。 活動を通した「生のふれあい」のなかで、初めて発見することというのも、たくさんあると思います。 社会的弱者にとっての不便な生活を改善するには、社会を形作る市民の一人一人がそれを意識できることがきっと大切ですから。できるだけ多くのひとにきっかけをつかんでもらえるといいですよね。 僕も頑張ろか。