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地震の際の火事
以前にも議論がありましたが、地震の際何故火事の発生に差が生じるのでしょうか。今回の福岡の地震の際は、震災発生時間が炊事時ではなかったため、幸い火災の発生が少なかったと報道されていますが、中越大震災はまさに夕食の炊事最中にもかかわらず火災の発生があまりなかったと記憶しています。阪神大震災は朝5:45ですので、炊事の火は火元ではあり得ません。ガス管破裂とか停電後の通電時の漏電が火災という説もありますが、実際阪神大震災経験者としては?です。震災15分後には市内で複数の火事をこの目で見ました(勿論神戸全域停電)し、自分の近所は全域ガスくさかったですが火事はゼロ。阪神、神戸全域でガス漏れは多発したのに火事は全域では発生していません。地震の際の火災の原因とその対策をお教えください。地震の際の火元注意という話ではないはず。
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直接の回答ではないかもしれませんが下記参考URLで新潟中越地震でなぜ火災が少なかったのかの分析結果が載っています。 私は福岡西方沖地震を経験してますが、地震直後はガスが自動的に止まって手動で扱わないとガスが復旧されないようになってました。しかし断水はされませんでした。やはりURLに書いてある通り火災発生を想定して断水がなされなかったのかと思います。
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- npf-ojiya
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下記URLに書かれていたように、家屋の倒壊率が低かったのが火災発生率が少なかった最大の要因だと思います。 雪に対する家屋の耐久性が地震の揺れにも耐え、「動ける人間」を多く作った事が要因だったのではないかと思います。 倒壊していなかったので可燃物の撤去が容易でしたから。 それと、地域のコミュニティーの強さが関係しているのではないかと思います。 先般の中越地震の被災地(私の住んでいる所を含め)はどの家に誰が住んでいて、何人家族で、勤務先がどこ、というのがつぶさに判るような地域が多いです。 ある意味、地域住民が情報を共有化しているので震災直後も「あそこの家は年寄りしかいないから誰か見て来い」とか「ガスと電気の元(栓)は閉めたか?火は大丈夫か?」 「あそこの家は今の時間はいないから(仕事で留守)誰か行って見て来い」と隣近所が連携して被害を最小限に食い止める為に、誰に指図されるでもなく動きました。 上記の行動によって被害の状況・怪我人の有無・被害拡大の抑止・住民の数が把握出来たために二次災害が防げたのではないかと思います。
お礼
ご回答感謝。 確かに阪神間では、災害とは台風だけ(室戸台風ほか)地震は想定外であったため、日本家屋はすべて風で屋根が飛ばないようにトップヘビーでした。倒壊したのは日本家屋と一、二階を吹き抜けにしたビルが多数でした。阪神大震災で被災した地域では、これ以降瓦葺きの日本家屋とピロティスタイルのビルの新築は死に絶えたようです。
- fitzandnao
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神戸で大火事になった場所は、どこも古い木造の、密集した住宅地でした。庭などもなく、長屋のような。江戸で火事になると大変だったのと同じことではないですか。
お礼
ありがとうございます たしかに神戸でもっともひどかった火事は長田の市場、自分が火事を見たのも東灘区青木の市場でした。ご回答からは、「火事はある確率で発生するが、類焼するかどうかがポイントで、震災での対策は火事の発生ではなく類焼対策である」ということでしょうか。このご説に従えばTVでみると、今回の福岡での地震で、玄界島などは危機一髪だったのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お教え頂いたURLを見ますと、 1.要は出火件数は倒壊家屋数によって一義的に定まっている(手の打ちようがない) 2.通電復旧を自動的に行わず、電力会社の係員が 個々の家庭の状況を確認したのち、手動復旧をおこなった 3.類焼の有無も要は、被災規模しだい と読み取れました。 電力復旧に関しては、被災者の実感として、電力が速やかに復旧したので、半壊の自宅で当日からすごせ、避難所暮らしをせずにすんだ。大規模な震災が生じた際に、限られて人員での安全確認となれば、電力の復旧には膨大な時間がかかるに違いがない。中越大震災であれほどの多数の市民が避難所生活を余儀せざるをえなかった、さらにはそれに耐えられない方々が車で生活されエコノミー症候群でなくなるという痛ましい事態が生じた理由がやっと理解できました。 震災のさいの火事発生は不可抗力、被災者はストレスに耐えて、避難所生活か、被災地からの大脱出というのが現状なのでしょうか。