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どうやって記憶と闘っていますか?

こんにちは。22歳の男です。私はもともと悩みやすい性格で、なかなかイヤなことが忘れられません。今でも過去の不愉快な思い出や経験が毎日のように頭をよぎり、怒りと後悔にかられます。といっても、別に虐待を受けたとか、いじめられていたとかいうわけではありません。誰でも日常生活で経験する程度の嫌な出来事が忘れられないだけです。思い出すたびに自分が惨めに感じます。大人は誰でも心に何らかの傷を持っている。生きるとは記憶との闘いである、と聞いたことがあります。みなさんはどうやって嫌な記憶と闘っていらっしゃるんでしょうか?人生80年として、あと60年もこうして悩んで生きていくのだと思うと気が滅入ります。なるべく自力で対処していきたいので、精神科医に行くという選択肢は遠慮させていただきます。よろしくお願いします。

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  • momohaha
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回答No.8

もう30代の半ばになりましたが、未だに過去の記憶はなくなりませんねー。古くは5歳の頃から、小中高大、社会人になって人間関係が広くなってからも思い出したくない記憶は増える一方です。やれやれ。 毎日戦っていますよ。 思い出すだけで、穴があったら入りたくなるほどの恥ずかしい記憶、人を傷つけた事、幼い自分を省みずに人を批判してしまった事、小さなプライドで自分を自分以上に大きく見せようとしてしまった事、親との対決など。 子供を産んで、人の母となった今でも、変わりなく日々思い出しては赤面したり反省したり。 ただ、人に傷つけられた記憶、裏切られた記憶などはあまり出て来なくなりました。それはなぜかと言うと、傷つけられた、裏切られた記憶の裏には、自分を繕いたかったことがあったり、些細な行き違いが原因だったかも、と思い当たったりするからです。「裏切られた記憶」には具体的に相手がありますね。その人を私は好きではないのです。「どうでもよい人」。だから、その記憶もどうでもよい物の一つとなって、薄らいでいます。 noagerdaさんはいかがですか?。 私は、大人になるとは、自分の恥ずかしい過去を受け止められるキャパシティを持つことだと考えています。それらを全て本当に忘れてしまうと、成長も少ないのではないでしょうか。私は嫌になるほど過去を思い出すし、さらに似たような記憶を毎日作り続けているけど、毎日毎日飽きもせず反省反省の繰り返し。 でも、嫌だとは思わないです。 墓場まで持って生きたい記憶は、思い出すたびに、心の中で「ハッハッハー、ああ恥ずかしい恥ずかしい」と笑い飛ばしてごまかしています。だいたい毎日思い出すかな。 本当に忘れてしまえればどんなに楽か。 でも、忘れることはないのですね。 私はそれを少しは人生にプラスに出来ていると考えています。自分の些細な記憶がいかに自分に影響を残しているかを考えれば、人の些細な痛みも重いものだと考えられます。人が人を傷つける事にとても敏感になれます。 他人が悩んでいて、「こんな事位、大したことないのにね」と言っても、「大した事かどうかはどうでも良いでしょ。悩んでいる事には変わりないんだから。悩みが無くなるか、自分で受け入れられるまではやっぱり大した事だと思うよ。」と心から言えます。 私は自分が付き合っていく人間は自分で選ぶものだと思っています。自分が大事にしたい人と、どうでもよい人。 思い出す記憶に関わる人間が自分にとって大事にしたい人であれば、繰り返し反省したり、そのときの相手も気持ちを考えたりして過ごします。同じ経験でも、自分が年を重ねるに従って、相手の気持ちはこうだったのかも知れない、と言う考えはどんどん変わっていく物です。それは私にとってとても重要な事。 逆に記憶に関わる人間が私にとってどうでもいい人なら、思い出すときに考えるのは「あの人の価値観は私にとってはくだらないな。」とか「あの人は自分をよく見せる事で精一杯だったんだな。子供だったのだな。」などと言う事です。そして私はそういう事を他人にしてしまわないように気を付けよう、と考えます。 人間は変われるかどうか。どうでしょうね。 私はものすごく遅い成長しか出来ないけど、少しずつは変わっていると感じます。 今私の周りには本当に私が「素敵だな」と感じて大好きな人がたくさんいます。それが飽かず繰り返した毎日の結果だと考えるのは、誤解ではないと思います。 今、私は一児の母です。子供もこのような思いを繰り返すでしょうね。その一つ一つを同じように大事にしてやりたいし、自分で一生をかけて自分の悩みに付き合っていける人間になってくれればな、とも思います。 日々思い出される記憶は、自分にしか分らない苦痛で、本当にうっとうしく邪魔な物だけど、それを嫌だとばかり思わないで、貴重な自分を成長させる為の「種」だと考えてみることは出来ませんか。それに水をやって肥料をやって、品種改良をしてみるのは全て自分。 大丈夫。

noagerda
質問者

お礼

momohahaさんは、きっといい母親なんだなと思います。 私の記憶は薄らいでいません。自分が経験した嫌なことは未だに明確に蘇ってきます。その度に、あの時にこうすればよかった、こう言うべきだった、ということを反芻しています。いつもそのようなことを考えているわけではありませんが、一人で歩いているときや電車に乗っているときについ思い起こしてしまいます。 かく言う私自身も人を傷つけたことはあります。酔って知人を中傷したことや、浮気をしたこと、親に暴言を吐いたことなど・・。しかし、自分が傷つけられたことは頻繁に思い出しても、人を傷つけたことはあまり思い出しません。自分勝手なものですね。このことに気づいてからは自分の行為が相手に与える影響を考えるようになり、人に誠実に接することを決意しました。あなたのおっしゃる通り、人の痛みに敏感になりました。 生きている限り記憶との戦いは続くでしょう。私はまだ22歳なので、もっと辛い出来事がこれから起こるかもしれません。それらを自分を成長させるための材料だと捉えられるようになりたいと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

回答No.7

僕は記憶と戦いません。戦っても何の得にもならないからです。何の得にもならないのに戦争をする国があるでしょうか?むしろそういう国があるとしたら愚かだと思いませんか? 嫌な記憶なんて、やっぱ忘れるしかないですよ~。 いつまでも悩んでてもただイライラするだけだってコトは分かってるんですよね? それだったら、頑張って忘れてください。 >人間の根本的な性格は変わらないという意見もあります。 そんなこと言ってたら何も変わらないと思いますが… それはやっぱりnoagerdaさんが変わらなきゃいけないところなんじゃないですか? 自力で対処したいなら相当の覚悟がいると思います。 自分で変わるんだ!という決心があるなら覚悟を決めてください。 意外と人間変わるモンですよ! 変わると決めたら、まず嫌なことを忘れる努力をしましょう!(いくらでもあるでしょ)

noagerda
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。忘れることは私にはできないみたいです。ですから、ほかの事に没頭することによってなるべく考えないようにしようと思っています。どうもありがとうございました。

noname#80187
noname#80187
回答No.6

人は感情がある限り、幸福追求は決して止めないと思っています。 悩むことを止めるのも疲れたから止めるのだし、自殺するのも今の現実の辛さから逃げて辛さから解放される目的でするのだと思います。 幸福追求は、幸福追求と苦痛の回避の2種類に分けられると思います。 商売で言ったら、儲けと無駄を無くすといった考えです。 それで、人は価値観を持って物事を選択します。ちゃんと考えて選択した方が良いのか、周りに合わせて選択した方がいいのか、今にいたるまでの体験した経験、見た、聞いた、読んだ経験をもとにして考え選択すると思います。この場合の考えは意識しているのではなく無意識にしていることが多いです。 しかし、人の判断は完璧ではありません。完璧であったら占いというものは存在しないし、確実な予言ができると思います。 未熟ながらにも、生きていることで経験を積むことで自分が後悔しない選択ができるようになっていくと思います。 「選択」というものは価値観から決まるものであり、価値観は経験(読んだり見たりすることも含む)によって形成されます。 つまり、相手がそういう行動したのには訳があるのです。生い立ちにおおいに関係してきます。 ――――――――――――――――――――――― 「嫌」というのは、もう2度起きて欲しくないし、起きて欲しいとも思わないということですよね。 上の幸福追求をもっと詳しくすると 幸福の追求と苦痛の回避に分けられます。これは、幸福追求の形での分類です。 人が幸福と感じるのは、 「生存の欲」、「子孫を残す欲」、「自己中心の欲」、「信頼・絆の欲」の4つに分けることができると思います。この辺はまだ、考えが煮詰まっていないので後々変るかもしれません。 「生存の欲」とは、自分が生きたいと思う欲です。この欲は自分自身を否定されることを嫌う・拒む欲です。自分自身を否定されることは、存在してはいけないという考えにも繋がります。 そのため、自分自身が否定されたり、嫌な思いをした場合、それを消し去ろうして、思い出すことを拒んだり、それを生み出したもとを抹消することで自分を正当化しようとします。 物事を見るときに、賛成・反対、肯定・否定といった見方、どうして相手はそう考えるのか?相手は相手だなと思わないと賛成以外に対してはイライラします。 と、話がそれましたが、次に「自己中心の欲」です。人は幸福感を一定間隔ごとに味わわないと生きる気力がなくなってきます。辛かったり、苦しかったばっかりだと生きている価値を見出すことができなくなります。 そのため、自己中心的な欲を求めます。この自己中心的な欲と書きましたが、深く考えるとすべて自己中心的欲になるのですよね。この欲名は、相手や周りを傷つけることを省みない自己中心の欲といったほうがふさわしいです。(でも、長いので) これは、相手を自分より低く見て優越感に浸ったりするのが代表的だと思います。 そして、「信頼・絆の欲」です。人が人を求めるのはこの欲があるからだと思っています。 信頼とは互いの要望に互いが応えることだと思います。信頼とは約束を守ることで生まれますよね。 しかし、この信頼の欲も一歩間違えば、自己中心の欲になります。それは、応える相手が納得しているか、していないかということです。 好きで応えていた場合、「信頼」と言えますが、嫌いで応えていた場合、相手のご機嫌取りや服従させれていることになります。 話をだいぶ前に戻し、人の価値観は、生まれてから上の欲をもとに生きて経験をして形成されると思っています。 ―――――――――――――――――――――― 人の「生存の欲」は大きなものです。この欲は社会(家庭、地域、組織、日本社会、最終的には宇宙)に適応する欲です。適応することが生存の条件だと思います。 しかし、解っている通り、家庭で通用したことが会社なので通用するとは限りません。通用しなかった場合、修正をしますが、その修正はけっこう辛いものです。ですから、自分を変えないで周りがおかしいとか、周りが自分に合わせろといった考え方をする人もいます。 だから、摩擦が生まれるのだと思います。 以上を理解できれば、なぜ、「嫌」なことが起こるか解ると思います。以上の結論からすれば、「嫌」なことが起こることが当然なのです。 でも、それは当然なのだから受け入れることができると思います。 それでも、「嫌」なことで辛いと思うのであれば、それは、noagerdaさんが理想を抱いているということです。 悩むというこは、現実を受け入れられずに自分が描いた理想を追求ことだと思います。 叶う理想なら追求してもいいと思いますが、叶わない非現実な理想は追求するだけ疲れます。まあ、自分が実現できない理想と納得するまで考えるのもまた1つです。 それと、理想追求には、行動が必要なことが多いです。行動とは時間とエネルギーを消費して動くことです。どれぐらいの時間がかかるか、どれぐらいのエネルギーを消費するかは理想によって異なります。 大きい理想ほどかかり、小さい理想ほどかかりません。 「嫌」なことはなくなりませんが、それにこだわらないようになれればなと思い書きました。 もっともっと詳しく書いて説明した方が解ってもらえると思うのですが、長くなりすぎると飽きると思うのでこのへんにします。 以上、長くなりましたが、参考になれば幸いです。

noagerda
質問者

お礼

思慮深いご回答をありがとうございます。なぜ嫌な事が起こるのかがなんとなくわかりました。相手は成長過程で形成された価値観を基に選択と判断を行っているだけで、それが私の価値観と相容れない場合に摩擦が起きるということですよね。確かにshoujin24tがおっしゃる通り、私は理想を抱いていると思います。指摘されて実感しました。私は、私は人から公正かつ誠実に扱われるべきだという「理想」を抱いています。私自身が他人に対して誠実であろうとしているから同じ事を要求しているわけです。それが叶わないから思い悩んで後悔するということですよね。 その要求が妥当なものかをもう一度よく考えてみます。ありがとうございました。

回答No.5

全くの素人ですが、参考になればと思い書きます。ひとつは頭の中の世界と外の世界を分けてみることです。外の世界には悩みとか苦しみとか悪いとかそういうものは一切ありません。悩みとか恐れとかそういうものが存在するのは頭の中の世界だけです。このようなイメージで嫌な記憶を閉じ込める場所を考えてみます。外の世界には現在しかありません。嫌な記憶に悩まされるというのは現在を考えていないからです。人間はこの二つの世界を重ねて生きています。あなたはどちらかというと頭の世界の中にいることが多いのだと思います。そのことは思慮深いということにもなりますから悪い事ではないわけですが、体をはじめとする現在という外の世界の事も考えて見たらどうでしょう。勿論現在嫌な事があるという場合にはそれなりの対処が必要ですが、記憶が問題ならば、現在というのが記憶と戦う(?!)というか、いやな記憶とは別に生きる唯一の場所ではないでしょうか。

noagerda
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。つまり、今しなければならないことに集中しろ、ということでしょうか。そうしていると過去のことは思い浮かびません。とりあえず、昔のことを思い出す暇が無いくらい勉強や仕事に没頭しようと思います。ありがとうございました。

noname#84897
noname#84897
回答No.4

いやな記憶を徹底的に微に入り細に入り思い出し、文章化してみるといいと思います。案外、矛盾していることに気付いたり、とんでもない思い込みだったりする可能性もあります。 すごく嫌なことは、なにがどう嫌なのか、徹底的に分析してみるといいですよ。問題はどこにあるのか、自分の対応次第で避けられた事態か、またはもう運命としてあきらめるしかない事だったのか。 過去のことを過去として片付けるには、気持ちに整理をつけることだと思うんですよね。そのためには、ばくぜんと嫌な記憶として残すのではなくて、実際にあった事件として位置づけ、客観的に見る姿勢を持つのがいいんじゃないかと思います。 うまくいけば、エッセイや小説のネタになるかも。

noagerda
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。文章化するというのはいいかもしれませんね。客観的に見ることによって、相手の本当の気持ちに気づいたり、自分の思い込みや勘違いだったということがわかるかもしれません。試してみます。ありがとうございました。

  • 7ssml
  • ベストアンサー率27% (21/76)
回答No.3

こんばんは。 私も嫌な思い出は頭をよぎります。自分の失態やそのときの周りからの批判。胸にチクチクと刺さりつづけます。 しかし考えてもみてください。24時間そのことを思い出し続けていますか?否、忘れている時間のほうが多い筈です。楽しく笑っているときに嫌なことなんて思い出したりしません。 「人は忘れることができるから生きてゆける。」こんな言葉も聞いたことがあります。 ご自身で対処なさりたい、とのことでしたね、アドバイスになるかどうかはわかりませんが、私の場合は向上心を逆手にとっています。 あのときは嫌な目にあった。あのときは恥ずかしい思いをした。 でも。いま思い出している自分はあのときの自分とは違う。あのときよりもずっと成長してる。失敗をせずに大きくなった人間なんていない。そう、ただの通り道の苦い思い出。そのうち笑えるようになる。 ただそれだけの事じゃないですか。 頑張ってくださいね。プラス思考で生きるって、楽しいですよ。

noagerda
質問者

お礼

人間は一度に二つのことを考えることはできない、と聞いたことがあります。7ssmlさんの仰るとおり、楽しく笑っているときには嫌なことなんて思い出しません。 アドバイスを頂きどうもありがとうございます。私も「向上心」という言葉は好きです。確かに今思い出している私は過去に自分よりも前進できていると思えます。 そのうち笑えるようになりたいです。ありがとうございました。

回答No.2

私の場合、質問者さんとは反対の悩みがあります。 記憶力が弱くて、覚えなきゃならないことなんかも、 結構、あっさりと忘れてしまうのです。 なので、一度怒られて反省したことなども忘れてしまい、 自分自身成長できないし、また同じコトで怒られたり…という悩みがあります。 反面、嫌なことなんかも結構簡単に忘れてしまうので、 普段はかなり気楽な状態でいられ、これはこれで幸せかな…とも思っています。 そこでなのですが、 このような「性格」も、能力・個性の一つなのではないでしょうか? こういったものは、なんとか変えよう!と思っても、 なかなか難しいものだと思うのです。 であれば、それを直そうとするよりも、 むしろ「それを有効に利用できるコト」を探したほうが、 得策ではないでしょうか? 今の御自分の性格が逆に長所になるような仕事を見つける、など、 自分が短所と思っているものを逆に生かす方法を探して、 そこで幸せを得られるようにできれば、 現在の不満を打ち消す「きっかけ」にできるかも知れないと思います。

noagerda
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。こう言っては失礼かもしれませんが、私にはcoffeefreakさんの性格が羨ましいです。毎日のように悩んでは、何度楽観的な性格になりたいと思ったことか・・。 この性格を「能力・個性」と言って頂いてありがとうございます。確かに過去に失敗したことはいつまでも覚えているので、それを仕事にいかすことはできますね。私の場合はもうじき営業職に就くので、いかす方法があると思います。 少し気が楽になりました。感謝します。

  • -AKIHIRO-
  • ベストアンサー率30% (27/88)
回答No.1

過ぎたことは過ぎたこと、後になっていくら思い悩んだって 何も変えられない。 悩んで過去が変わるならいくらでも悩みますけどね。 だから、一時間くらいどっぷり落ち込んでから、 「どうしてあんなことが起こったか」 「これから先、同じような嫌なことが  起こらないようにするには、どうするべきか」 を、感情なしで冷静に客観的に考えます。 (主観的にだとまた悩み出すから…^^;) >人生80年として、あと60年もこうして悩んで >生きていくのだと思うと気が滅入ります。 あと60年間も、今の自分を何も進歩させずに 生きていくおつもりですか? 何というか…う~ん。私は、嫌な記憶と向かい合うことを、 「闘い」ではないと思っています。 嫌なことを経験するから、「次どうすればいいか」を 考えられる。嫌なことがあるから人間は進歩できるんです。 だから、「闘い」なんて重苦しいものにとらえないで、 自分をより発展させてくれるカギみたいに思いましょうよ。

noagerda
質問者

お礼

早速のご回答をありがとうございます。もちろん、今の自分を進歩させて生きて生きたいと思っております。そのために様々な本を読み、経験を積んでいくつもりです。しかし人間の根本的な性格は変わらないという意見もあります。それでもこんな自分を何とかしたいからこの場をお借りして質問させていただいているわけです。 「自分を発展させてくれるカギ」というのは私にとって新しい考えです。言われてみると私の考え方が偏りすぎていたのかもしれません。 人生を振り返ってみると、自分が進歩したと思うのは確かに:-AKIHIRO-さんがおっしゃっている通り、嫌な経験を経た後です。その意味では嫌な経験に感謝すべきでしょう。それでも「嫌な経験」自体の記憶は残ります。私にはそれが辛いんです。 私が悲観的すぎるのかもしれません。ご回答いただけたことには感謝します。ありがとうございました。

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