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何故日本はアメリカに負けたのでしょう?
なぜ日本はアメリカに戦争で負けたのでしょう? 当時日本は結構強かったと聞いたのですがアメリカはもっっと強かったのでしょうか?日本はアメリカからかなり離れていますがどうやって当時日本を制圧できるほどの軍隊を遅れたのでしょう?核を使われていなくてもやはり日本は負けていたでしょうか?
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一番の原因は、国力の差です。 ●日本の敗戦の主な原因 1)精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。 然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなけばできない仕事ばかりだった。 武器も与えずに。 米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた 2)物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった 3)日本の不合理性、米国の合理性 4)将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった) 5)精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし) 6)日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する 7)基礎科学の研究しなかった事 8)電波兵器の劣等(物理学貧弱) 9)克己心の欠如 10)反省力なき事 11)個人としての修養をしていない事 12)陸海軍の不協力 13)一人よがりで同情心がない事 14)兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事 15)バアーシー海峡の損害と、戦意喪失 16)思想的に徹底したものがなかった事 17)国民が戦いに厭きていた 18)日本文化の確立なき為 19)日本が人名を粗末にし、米国は大切にした 20)日本文化に普遍性なき為 21)指導者に生物学的常識がなかった事 ●アメリカの日本への進軍方法 簡単に説明すると、ハワイから海軍を使って南方の島(沖縄等)を占領して補給基地を作り、 爆撃機をアメリカを出発→補給基地~補給基地→日本で爆撃→補給基地の繰り返し ●アメリカが核を使った訳 1)終戦を早めるため。(ソ連が北方から日本を攻める情報があった) 2)新兵器(核爆弾)の実験 結局、核を使わなくても日本の敗戦は確定してました。
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- HPLC
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何度もすいませんがここを読むと国力の差がよくわかると思います。
- HPLC
- ベストアンサー率22% (280/1224)
更に補足。 日米開戦前、戦艦より空母の時代であることは日本も認識していましたよ。 実戦で空母の有効性を初めて実証したのは真珠湾攻撃を行った日本ですし、又その時真珠湾にアメリカ空母が運良くいなかったため損害を与えることが出来ず、山本五十六は懸念しました。
- myeyesonly
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こんにちは。 私はちょっと違う面から見てます。 どういう訳か日本は陸軍と海軍は大変中が悪く、共同行動を徹底的に嫌っていたようです。 武器の開発などもそのおかげで大変無駄な事を沢山やってます。 こういう傾向は陸軍内、海軍内でも顕著で、でかい作戦を立ててもおかしなことを沢山やってます。 当初の戦争方針は、長期化させずに、太平洋のアメリカの戦力を叩いたらすぐ講和に持ち込むという戦略だったと聞きます。 しかし、ミッドウェーでの失敗でその計画は頓挫します。 この時も、空母だけ最前線に出して、他の戦艦などの主力艦隊は後ろにいて助けにも行けませんでした。 最近、言われ出した事に、真珠湾で燃料の基地を壊したら太平洋で艦隊が動けなくて本国に撤退せざるを得なかったとかってのがありますが、なんで一回だけで引き上げたかってのは、戦後結構議論を呼んでます。 早い話が短期決戦、講和という意志が軍部内で全く徹底されてなかったのではないかって感じがします。
- kan3
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ここのサイトの10行目にも書かれています。 坂井さんは、戦後(25回以上渡米)、「こんなに大きな、資源があり余る国と戦って勝てると、なんで思ったのか。なぜ、海軍上層部は、『勝てません』と、はっきり言わなかったのか。戦略、戦術以前の問題…。あまりにもばかばかしくて…」と、あらためて旧海軍首脳への怒りと悔しさを痛感したという。
- HPLC
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参考に。 第二次大戦中の日本の正規空母は 蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳、雲龍、天城、葛城 赤城、加賀、隼鷹、飛鷹、信濃 (せいぜいこんなもんでしょうか?ちと足らないかもしれませんが) アメリカの空母でエセックス級というのがあるのですが、これはヨークタウン級の拡大発展型なんですが、この1種類だけで第二次大戦中に17隻作られました。 大和型は同型艦が全部で3隻あり、大和、武蔵は戦艦ですが、3席目は空母信濃となりました。 大和、武蔵が仮に空母であったとしても戦争の勝敗には特に影響なかったと思いますよ。 空母信濃は竣工直後の昭和19年11月28日に呉海軍工廠へ回航されることとなり、駆逐艦3隻と共に横須賀を出発したのですが、 浜名湖沖において米潜水艦「アーチャーフィッシュ」の雷撃を受け、たった4本の魚雷が命中してついに一度も戦うことなく沈みましたね。 図体がでかいだけでなんの役にも立たなかったのです。
- 1ppo
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私もNo2さんに同意見です。 なんで航空機の時代に戦艦を造るの(`´メ) 空母を造るなら解りますが。 ミッドウェイで航空機が役に立ったのは明 白なのに・・・・。 指揮官が違っていたら結果も違っていたかも しれませんね。 でも、結果として負けてよかったのではな いですか?
- kamineco
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最大の敗因はミッドウェイ海戦かな? 戦力の面では明らかに日本が優勢だったけど、 日本軍は空母をやられちゃったから、 どれだけ敵の戦闘機を堕としても帰還するところがない。 あとは海に突っ込むだけ…… 「今までの死闘は何だったのだろう」という 操縦士の悲痛な声が聞こえてくるような気がします。
- silpheed7
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工業力&技術の差、戦術、戦略の差。 戦争に製造された空母(正規、軽、護衛)の数や、航空機の数を見ても 歴然とした差があります。 特に4発の戦略爆撃機を、あれだけ大量に生産できたのはアメリカだけです。
- angel_ring
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第1が「物量の差」で、第2が「技術革新に伴う 戦術の対応の遅れ」と言われていますね。 山本五十六も「半年から1年なら優位に争える」と 言っていたそうで、米国の方が兵器を生産する 能力は上で、長期戦になれば物量の差がものをいい、 不利になると理解していたみたいです。 それと、飛行機の発達により、飛行機の優劣が 勝敗を左右する時代になっていたのに、戦艦大和の ような巨大戦艦が勝敗を左右すると思い込んで いたんですね。
- HPLC
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一言で言うと工業生産力の差。 圧倒的な物資量で圧倒されました。 日本もドイツも兵器の質やそれを扱う兵士の技量はアメリカより優秀なものがあったのですが、数が少なけりゃ話になりませんね。それに兵器を作る原料も乏しかったのです。